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たかが糊、されど糊。

糊がなければ、製本の仕事は成り立たない。

製本では大まかに2種類の糊を使う。
いわゆる「でんぷん糊」のようなものと「ボンド」のようなものがある。
場合によっては、この2つを混ぜて「第三の糊」を作って使用することもある。

「でんぷん糊」は小麦粉から作ることもでき、戦時中のアトリエでは、糊を作ると子供達が盗み食いすることもあったそうだ。


その頃の子供たちのように、本も糊を「食う」のである。


本を一冊作るのに、かなりの糊を消費する。
私たちのアトリエでは、毎月2kgは軽く使っているだろう。

特に糊がたくさんいるのは、ハードカバーに布(クロス)や革、あるいは美しいマーブル柄の紙を貼る時だ。

本の見開き以上ある表面は意外に大きい。

そこに、専用の大きめの筆にたっぷり含ませた糊を均等に伸ばさなければならない。
「たっぷり」といっても多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。
ハードカバーに合わせる素材によってその量は変わるし、もちろん表面の大きさによっても違う。
しかも、糊が乾かぬうちに、次の「ハードカバーに表紙を貼る」という作業に移行しなければならないというプレッシャーがある。

この時は真剣勝負だ。

こんな時に電話がかかってこようが、お客さんが来ようが、御構い無し。

最後まで任務を完了しなければならない。

製本職人はそういうオーラを発して仕事に挑む。

しかし、この緊張した作業の始まりが私は好きだ。
むろん、あの緊張感が好きなのではない。
その始まりが、なんとも可愛らしいからだ。


私が製本を習い始めた時、先生のCは30年以上製本を続ける慣れた手つきで、この作業をいとも簡単にやって見せた。

「まず、こうやって糊をたっぷりとって、中心から外に向かって、”太陽”を描くの」

そこにはまるで子供が描くような”太陽”が浮かび上がった。
ただそれは、よくあるクレヨンやペンで描かれた黄色やオレンジや赤の太陽ではなく、白く、もったりと厚みのある太陽だった。

そしてそれは次第に満遍なく引き伸ばされ、あっという間に本体を包み込んでいた。

彼女のなめらかに滑る筆の運びを見ると、「ああ、早く私もやってみたい!」という、小さい時の、あの待ちきれないような、ワクワクした気持ちが蘇った。


でも実際は、毎回この工程には苦戦し、そしてまた挑戦するの繰り返し。

それでも、私は毎回この”太陽”から始めて、自分を鼓舞する。



今日は一日中どんよりした天気。
でもアトリエの”太陽”が、なんども浮かんでは私を励まして消えていった。