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『罪と罰 下』(ドストエフスキー著、工藤精一郎訳、新潮文庫)

あらすじ

主人公の妹の結婚をめぐって、主人公と婚約者の会合は決裂した。しかし、妹の判断で、母親、妹、婚約者、主人公、さらに主人公の友人も交えた会談を行う。最終的には激しい口論となり、この会談も決裂する。会談後、主人公は家族に別れを告げる。一方の婚約者は、相手が女だけなら、まだ望みはあると考え、主人公を貶めようと画策する。

この婚約者の企みは失敗に終わる。

主人公は偶然知り合った娼婦のもとを訪ねる。主人公は信仰深い娼婦に対して、「神はきみに何をしてくれた?」と詰問する。そして、主人公は、今日肉親を捨ててきた、と告白する。その上で、似た者同士、ともに生きていこうと誘う。そして、翌日、高利貸しの老婆を殺した人物が誰かを教えると言って立ち去る。

翌日、娼婦のもとを再訪する。そこで主人公は老婆の殺害を告白し、主人公と娼婦は、ともに生きていくことを誓い合う。

同日、親しくなった警察官が主人公の部屋を訪ねてくる。そして警察官は殺人事件についての推理を展開し、犯人は主人公である、と断定する。そして主人公に自首を薦める。

主人公は母親や妹とも会い、これからも自分のことを愛してくれるように頼む。

主人公は遂に自首を決意し、警察署に出頭する。そして、流刑地へ行くことになる。

主人公の思想

主人公は当初、社会主義的な思想を持っていたようだ。しかし、流刑地のシベリアへ送られ、その間も共に生きていくことを誓い合った娼婦からの愛情を受け続けていた彼は、最終的にはキリスト教を信じるようになったようだ。流刑地では、これまで同様、聖書を嫌っている節があるが、それでも監獄のなかに聖書を置いていることからも、何らかの心境の変化があったものと思われる。

視点についての疑問

本作は、基本的には3人称で書かれている。しかし、過去の出来事を振り返って記述しているともとれるような文章表現がちらほらと見受けられる。これは誰の視点で書かれたものなのか、疑問である。刑期終了後の主人公が、過去の自分を振り返ってまとめた、と捉えるのが妥当なのだろうか。

差別意識

作品の時代設定は、19世紀半ばころだが、特にドイツ人に対する差別意識が強く出ている。なぜ、強い反ドイツ感情があるのか、疑問である。ただ、シラーについては褒められていると思われる。

一方で、フランスに対してはとても友好的ともいえるような態度が示されている。たとえば、高貴の象徴?としてフランスの歌を歌わせる場面があったり、会話文に時折、フランス語が混じることがあったり。さらにはナポレオンを賞賛している内容もあった。最後の点に関しては、ナポレオンはロシア遠征も行っているため、なぜロシアで称賛されるのか不明である。

フランスに対する友好的な態度の背景には、この時期、ロシアにはフランス資本による援助を受けていたから、という点は考えられそうな気はする。



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