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「お別れホスピタル」の療養病棟と兄の緩和ケア病棟の話

NHK土曜ドラマ「お別れホスピタル」を見た。
同じスタッフで制作された「透明なゆりかご」は大好きで、何度も見た。
しかし、「透明な~」が命の誕生を絡めた展開であったのに対して、「お別れ~」は文字通り人生の最期を描く。

楽しみにしていたくせに、おっかなびっくり見た。
おしゃべりのあまりの喧しさに、物語の登場人物だけでなく視聴者の耳も塞がせていた患者さんたちが次の日には亡くなっていく。

生と死。
喧騒と静寂。

ヒロインは「療養病棟」の看護師さん。
岸井ゆきのはもとから好きな女優さんだし、わずか数分しか登場しない脇やゲストも、昭和生まれの私には豪華な布陣で、その演技の確かさと自然さが、見る者を画面の中に引き込む。

人が亡くなる場面では、哀しみと喪失感がフラッシュバックして「もう無理、もう見られない」と思いながら、目を背けることができず最後まで見た。

「療養病棟」は、治療を目的としている。
治癒や生命維持。
一般病棟に入院できる期間は限られていて、過ぎると退院か転院を迫られる。
自宅では看護はできるが治療は難しい。
だから、多くは転院するのだろう。
転院先を見つけるのもまた難しい。

父のときも苦労して、相場?より高額という評判の病院にしか入れなかった。
治る見込みはないが、何もせずにこのまま死なせる勇気がなくて、高額になることには目をつぶって転院させた。
この時点で、余命半年ということだった。
私たちは、貯蓄の残金を数えて、半年は大丈夫と計算した。

しかし、父は2年生きた。
「生きた」には違いないが、口から飲食できなくなった父の喉を切開して、チューブでドロドロを注入して生きていた。
「胃ろう」の是非を問う話はあちこちで聞くが、気管切開はどうなのか。
まだ私は結婚していて、夫は「延命はしないという話だったのに、これは延命だ」と、私と実家の決断を責めた。

もう助からない年寄りのために有り金を使い切って、そのあとはどうするつもりなんだ。俺に言ってきても金は出さないからな。
という夫と婚家の意思を感じずにはいられなかった。
父がいなくなった後も、文無しになった母と兄をどうするのかを、彼らは心配していたのだろう。

気管切開が延命に当たるかどうか、いまもわからない。
他人の話なら、私も「それは延命」と感じたかもしれない。
事実、父を送った母も兄も「自分のときは、ああいうことはしないでほしい」と言った。
結果として、私はそれにしたがったわけだが、選ばなかった道の果ては見えないから、是非をつける手立てはない。
父のときの夫の話はとてつもなく正論で、それゆえに私は傷ついた。
結局、どちらにしても傷つかずにはおれないということだけがわかった。

兄は抗がん剤治療をやめると決意したときに、私と「緩和ケア病棟」を見学し、その場で予約した。
「お別れホスピタル」のリアタイ視聴者が「旧ツイッター」に書き込んでいるのを見たが、「療養病棟」と「緩和ケア病棟」をいっしょくたにイメージした投稿が散見された。
後者は治療をしないということで、明らかに異なるもの。

ドラマの「療養病棟」には、余命6か月の患者が入院してくるけれども、兄がいた「緩和ケア病棟」の入院は最長1か月までと決まっていた。
つまり、1か月以内に亡くなるということが前提。
平均は1~2週間ということだった。

予約をしてから後、2度目の救急車を呼んだとき、予約前や1度目のときと大きく違ったのは、救急隊がバイタル測定以外のことを何もしなかったことだ。
乗せてすぐに発車した。
予約をしてから1か月半ほど経っていた。

抗がん剤の中止は、副作用の大きさと効果のなさゆえの決断だったが、そこには「QOLの向上」を求めてというのもあった。
副作用のない1か月半は、生活としてはまずまず楽しいものだったかもしれないが、救急車の中から二度と戻ってこれない自宅を見上げながら、兄は「案外短かったね。」と言った。

緩和ケア病棟では、延命につながる治療は一切ないので、水分補給のための点滴すらない。
脱水症を恐れて、老いた母には再三「水を飲め」とやかましく言っていたが、ここではそれもない。
むしろ、当人の欲求のままに、飲みたくなければ無理に飲ませることをしなかった。
「植物が枯れていくように逝かせることが目的です」と主治医が言っていた。
そのために、最大限に苦痛を軽減するということで、痛み止めの注射だけは行った。
モルヒネだろうか。
だんだん量が増えて、たびごとに意識が朦朧とする。
起きている時間が少なくなる。

脱脂綿に水を吸わせて、乾いた唇をちょんちょんと潤わせたが、そんなもので水分が取れるわけもない。
「自然に枯れていこうとしている体にとっては、点滴は負担なのです。休みたいと言っている内臓を無理に動かすのは負担でしかないのです。」と医師は言った。

数日のうちに、パンパンに腫れていた足や腹のむくみがスッキリとなくなった。
そして、文字通り、植物が枯れるように乾いていった。

あと数日と言われたので、交渉に交渉を重ね、友人知人にも無理を言って、老健から母を連れ出して、兄のベッド脇まで運んだ。
認知症の進んだ母は、ときおり夫と息子の思い出の区別さえつかなくなっていたが、このときばかりはしゃきっと母親の顔になり、
「はよ元気にならなだちかん(ダメ)ぞ。」と息子を励ました。
「痛いか?苦しいか?」との問いに、兄は口のかたちで「大丈夫」と答えたが、本当だったのか、母を安心させたいがための言葉だったのかわからない。

母を連れて行ったのが日曜で、その後毎日「今日か明日か」と言われたが、また次の日曜が来た。
それはきっと、当時「社畜」のように働いていた私の仕事に支障をきたさないために、兄が日曜まで待ってくれたのだと思う。

ちょうど、終末期医療の看護師さん向けの講義録をまとめていたときだった。
これは何の偶然か。
「ハアハアというのは『自発呼吸』で、はたからは苦しそうに見えますが、生命体としての自然な反応なので、このとき焦って酸素吸入などすると逆効果になることがあるので注意してください。『自発呼吸』のあと顎が上下する『下顎呼吸』になり、数分か数十分の後に亡くなります。」

2日前に書いたことが、実際に目の前に繰り広げられていた。
私は、自発呼吸のときは慌てずに、そのまま兄の名を呼び続け、思い出を語り、感謝を告げた。
そして、教科書通りに呼吸が変わった瞬間に、目の前のナースセンターに駆け込み「下顎呼吸になりました」と報告した。

緩和ケア病棟では、看護師さんは、病棟付きではなくて患者付きだった。
だから、担当の看護師さんは、ほかの誰よりも患者さんと親しくなる。
私の報告を聞いて駆けつけてくれた看護師さんは、兄の呼吸が止まった瞬間、私よりも先に号泣した。
そのことに、私は大きく救われたと思う。

父もいない。
母もそばにいない。
親戚はみな遠くに住んでいて来られる者はいない。
兄の友人は、何度も見舞ってくれたけれど、それゆえこの期に及んで早朝の急を告げて乞うのは厚かましい気がした。

けれど、看護師さんが哀しみを共有してくれた。
私は彼女の肩を抱いて、「励ましたい」と思った。
励まされているのは私なのに。
そう。
励ますということは励まされることなのだ。

励ましながら(励まされながら)、しっかりしなくちゃという別の緊張感が生まれた。
ほかに誰も差配する者はいないのだ。
事前に早期割引で契約してあった葬儀業者に電話し、状況を説明した。
退院や精算や書類などの手続きについて、想像していたよりずっと冷静に対応できたのは、あのとき看護師さんが先に号泣してくれたからだと思っている。
人は自分の哀しみを誰かに共有してもらうと、強くなれる。

そんなことを思い出しながら、昨日の「療養病棟」のドラマを見た。
これは、たぶん、私にとって今季ベストの作品になると思う。
今季は医療ドラマがたくさんあるけれど、ほかのすべてが霞んでしまった。

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