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蝉も鳴けない

今日から晴れて有休消化である。
学校は夏休みらしいが、外で遊ぶ子供の声は聞こえない。
蝉の声も聞こえない。
蝉も鳴けない暑さなのだ。

仕事のない日々になったけれど、どこにも行かない。
心の中で「秋になれば」とか「涼しくなれば」とか妄想はしているけれど、「神護寺展」も「徳川美術館展」も残暑のうちに閉幕してしまう。

まあ、仏像は寺にあってこそという従来の思いを、ここぞとばかり強調して自分を言いくるめている。
昔、阿修羅さんが出張ってきたとき、美術コラムを書いていたので一般公開より前に「報道枠」で内覧会に入れてもらった。
寄って寄って、台座や後ろ姿まで細かに見せていただき、一層親しみを覚えたのは、いまも記憶にある。
それより何より、人がいなかったことが一番なんだけど。

猛暑なので、きっとみんな冷房が効いたところに集まるよね。。
そもそも上野駅から博物館まで、いやいや家から最寄駅まで、炎天下を歩いて行けそうにない。
先週までは会社に行けたけど・・・。

ってか会社は、お金のためだから!
生活かかってるから!

直近での神護寺はコロナ前の2018年10月。
仏さまは寺にあってこそだが、絵画は美術館やギャラリーで見るのが当たり前になっている。
尾張の徳川美術館はたぶん2016年。
相次ぐ家族の看取りとコロナで、心がお腹を空かせているが、こう暑くては、どこにも行く気になれぬ。

卒論は奈良仏師で、毎週、週末には23:45発の「大垣行き」から「西明石行き」に乗った。
出かける口実だったのかもしれない。
あの頃は、真夏でもいまほど気温は高くなかったと思うし。

コロナが第11波だという。
もう言われなければ数えることもできない。
秋にはすこしは収まるといい。
涼しくなったら銀座あたりの画廊巡りもしたいもの。


そもそも、世間の夏休みというものが苦手。
人の一斉移動はもちろんだが、暑さが嫌い。
子供のころは、これに加えて「宿題」というものが最悪だった。
宿題のおかげで学力が身についたという人に、いまだ会ったことはない。
あれは勉強ではなくて、ただの課題。
子供にノルマを課して喜ぶなんざ、一種の虐待とさえ思っている。

滞仏時代にお世話になったご家族には、当時小学生の女の子がいた。
夏休みの宿題がないだけでなく、長期休暇ではない通常の登校期間も、たとえば親と徒歩やサイクリング旅行に行くとか、登山やキャンプで何日も休む場合も、その教育的意義を認めて「登校したことにする」単位を与えるというシステムを聞いて、日本の子供たちは本当に気の毒だと思った。

ってか、自分が興味を持って「やりたい」「知りたい」と思ったときでないと、知識や経験は身につかないのよ。
強制的なノルマではね。
「光る君へ」で、赤染衛門が彰子にいろいろ教えていたけれど、彰子がボーッとしていたのは「ボーッとしている子」だからじゃなくて、興味が持てないから。
まだ「その時期」じゃないからだと思う。


読んでいただきありがとうございますm(__)m