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「観光バスの行かない・・・」

新卒で採用が決まった会社には、教師になるからという言い訳で内定を辞退した。
教員採用試験の合格通知をもらった自治体には、民間会社に就職するからと言った。
大学の就職課には、結婚するから教員にはならないし、内定も辞退したと届け出た。
そして、その相手とは、それから半年後に別れた。

3か月くらいバイトして、3か月くらい旅に出る、そんな日々を重ねた。
高校までヤングケアラーだった私に、両親は甘かった。
そして、経済的にはすこし安定していたけれど、相変わらず父は大酒飲みで、家庭内は喧嘩が絶えなかった。
私は幼いころからの「緩衝材」という任を逃れるように、ひとりの旅を続けた。

できるだけ、家に帰りたくない。
お金が尽きるまで旅の空のもとにいて、宿で働いて居候したり、駅で寝たり、見知らぬ家の親切で泊めてもらったりした。
有り金が10数円になるまでそうやっていて、最後はターミナル駅から私鉄に乗る運賃もなく、お茶ひとつ買う金もなく、飲まず食わずで1日かけて歩いて帰宅した。
そのときも、そうまでしてなぜ帰るのかと自問した。

要は、家が心配で帰ったのだ。
たとえば家庭内の諍いが、何か犯罪に発展しているのではないか、と。

だから、私の旅は「そこに行きたい」という強い思いはない。
とにかく「ここではないどこか」に身を置きたかった。

そんな頃、たまたま古本屋で見つけた随筆に目が留まった。
岡部伊都子著「観光バスの行かない・・・」。
「埋もれた古寺」というサブタイトルがついていた。

その時点で、書かれてから既に時が流れており、観光バスが行くようになったところも多々あった。
しかし、僭越ではあるけれど、私は著者の感性にひどく共感した。

中学生から結婚するまで、「時刻表」を定期購読していた。
「そんなの、毎月同じじゃないの?」とよく言われたけれど、「違っているから買い直す」という性質のものではなかった。
情報ではなく情感を得るためのもの。
実際の旅には、持たないし、事前に調べたりもしない。
「何も決めない」「予定がない」というところが、私の旅で最優先されるべきものだった。

ガイドブックも北から南まで買い集めた。
そして、けして実行されない妄想の旅に使った。
海岸沿いの鈍行限定一筆書き旅とか。

そしてガイドブックはいつしか「ガイドブックに載っていない」ところを知るための資料となった。
岡部氏の「観光バスの行かない・・・」は、その思いに沿うものだったのだ。

だから、私は人に旅の地を勧めない。
一人旅をする人にはこっそりと告げることもあるが、家族やグループやツアーで行きそうな人にはあえて言わない。

ガイドブックを持たないので、情報はすべて現地で得る。
ヨーロッパを歩いたときも、地図と宿泊リストは現地でもらうものという前提があった。
異国の旅で一番楽しいのはホテル探しで、住まいを探すように探す。
看板の出ていない、個人でやっているゲストハウスが好きだ。
娘が嫁いで空いてしまった部屋にすこし手を入れてお客を泊めるような宿。

実際に部屋を見せてもらって値段の交渉をし、主人におススメを訊いたり、身振り手振りで世間話をするのが楽しい。

昨日テレビで、ヴェネツィアのオーバーツーリズムのニュースを見た。
私が行った頃からすると想像もつかないとんでもない事態になっていた。
こんな混雑では、小さな宿も当日では泊まれまい。
いまは、言葉ができなくても、個人で簡単に予約できるサイトに、私が足で見つけた隠れ宿も載っている。

もう岡部氏が綴ったような「観光バスの行かない」ところなどないに違いない。
むしろ交通の不便なところほどツアーでということになるのだろう。
私が旅をしなくなったのは、コロナ禍もあるが、私の望む旅がしにくくなったということもある。

長くブログを書いてきたが、岡部氏のこの著書に触れたのは、今回が初めてだ。
私は情報ケチなのだ。
こんな素敵なものをみんなに知ってほしいという寛容さに欠けている。
自ら探して迷って悩んで決断して、失望したり、歓喜したりするような、そういうガイドブックに載っていない旅に焦がれ、結果的に人生そのものがそんなふうになった。

「たったひとつの
 石ころが
 あなたの足を停めたから
 私に会えたってことも
 あるのよ」

読んでいただきありがとうございますm(__)m