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勝手につぶやき<光る君へ(最終回)>

大河が最終回を迎えると「年の瀬だなぁ」と思う。
48本目の「光る君へ」の感想文。

長いドラマでは、誰もが知っているような歴史的出来事が「杭」となる。
そこで、架空と現実、主観と客観、感情と知識の二つの世界が円のように重なり、交じり合う。
それで物語がすり合わされて自分になじんでいく。

今回の大河ドラマは、素材としては好きだが「杭」が少ない。
だから、自分の頭の中ですり合わせをしなければならない。
それをしないままだと、すべてが作り物の世界になってしまって、共感しにくい。
前の記事で書いた「他人事感」が、自分と登場人物たちのあいだにのさばってしまうのだ。

前回「刀伊の入寇」が杭になるやもと思ったが、そうでもなかった。
そこで、制作側は、男として女として妻として人としてなどの感情面にスポットを当てて、視聴者の共感を得ようとする。(そう見える。)
そこに私は違和感を覚える。

予告の時から嫌だったのだが「あなたと殿はいつからなの?」「私が知らないとでも思っていたの?」は、私としては要らない。
妻として言うのも好きじゃないけれど、大河ドラマではなおさらだ。
こういうことを倫子さまは言わないキャラだと思っていたし、言わせないでほしい。

知っていて知らぬふりをして、それでもなお夫の命が尽きようとするこのときに、「夫の妾になって」と頭を下げる。
そこに愛と嫉妬と正妻の意地を見たかった。

そして、このシーンを利用して、まひろと道長とのこれまでのなれそめみたいなのを語る必要ある?
視聴者は、1年間これを見てきて、二人がどういう出会いをしてこうなってきたかをわかっている。
なのに、あえて数行のセリフで説明するのは、最終回だけ見る人用なの?
これで急にダイジェスト版みたくなってしまう。
すごくもったいない。

ここは、視聴者が想像してきたまひろや倫子の心の世界をそのままにしてほしかった。
言葉で答え合わせをするのはなんだか野暮だなぁ。
だから、宮仕えをやめて旅に出るとき、道長に決別宣言したところで終わればよかったんだよと、あらためて思う。

臥せる道長とまひろのシーンは、私にはしんどかった。
家族を在宅介護・看護し看取ってきた人には、結構堪える。
病で意識が混濁した中でも、耳だけは最後まで聞こえるんだよね。
だから、そばにいる人が話しかけるのはすごく大事で、「三郎」の物語を語っては「続きはまた明日」と言うシーンには涙が出た。

だって「明日」は来ないかもしれないんだから。
死にゆく人にもそうだが、生きている人にだって「明日」という日はないのだ。
「明日」になればそれは「今日」になって、まだ見ぬ「明日」に希望の光を見ようとする。
だから明日は永遠に来ない。
それでも「また明日」と言わずにいられない人の愛らしさ。
これを「あはれ」と呼ぶのかもしれない。

物語の「三郎」には、直秀を感じた。
道長は、「まさかあんにゃ」の三男坊で、普通にいけばもっとラクに生きられる可能性もあった。
でも、現実は容赦ない。

「伏籠」をかぶせておいたのに犬君が逃がしてしまった雀の子は、道長でありまひろであったのかもしれない。
片付けようとして崩れ落ちる朽ちた鳥籠は、叶わなかった自由への諦めか。
しかし端から籠のない人生は、外と内との境がないぶん、きっとどこか淋しい。

直秀のシーンがなんだかずいぶん前のように感じる。
周明みたいに、変に引っ張らなかったせいで、逆に「過去」と「過去に依ってある現在」を際立たせたと思う。
もし、これが制作側の言うように「ソウルメイト」としての道長とまひろを描いたのだとすれば、その根底に直秀の存在があるのは間違いない。

二人で素手で?土を掘って、直秀の遺体を埋めたのだ。
こんなに強烈な体験の共有があるだろうか。
これこそが、二人を繋ぐ魂の絆になったと感じる。
それは、抱き合ったことや、結果、子を成したことなど足元にも及ばない。
だから、二人の思わせぶりな愛の描写はありがちで、逆に安っぽくなってしまうのだ。

光る君の死に姿を書かなかったのは、幻がいつまでも続いてほしいと願ったゆえとまひろは語る。
愛する者が死んでも、そして自分がいなくなったあとも、物語は続く。
兼家、道隆、道長と、帝の外戚になることで持ち続けた権威を、あれほど父を嫌悪した彰子が確実に受け継いでいるシーンは、愛する者の屍を乗り越えて生きていく現実を見せつけていたと思う。

ラスト、双寿丸は朝廷の討伐軍として東国の戦へ向かう。
歴史もまた、次なる「武士の時代」へと続いていく。
主人公の死で終わるのではなく、「続きはまた明日」というようなラストシーンはとても印象的だった。
歴史が続く感覚を味わいたいために、夏から秋まで2回も「平清盛」を見たのだが、見た甲斐があった。

さすが最終回というほど、役者さんの「老けっぷり」品評会のよう。
歯と手のきれいさが若さを感じさせるのはしかたがない。
最後まで乙丸は愛らしかった。
ファーストサマーウイカは、起用を聞いたときは「え?」と思ったが、回が進むごとになじんでいったと思う。

これで、今年1年の大河ドラマの記事48個が完了。
去年は見なかったし、その前は別のサイトで書いていたが、他のブロガーさんは「感想」と銘打って、書かれているのは「あらすじ」だったりして、物足らなかったのでここに移転してきた。
いただいた「スキ」は、あらすじではなく感想を求めている方々からのものだと解釈し、満足と深い感謝をしている。
みなさま、ありがとうございました。

これを機に、48本をマガジンに集約しようかとも思ったが、面倒くさいのでたぶんしない。すみません。
来年も大河感想文を書くかどうかは(見続けるかどうかも)、微妙なところ。



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風待ち
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