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人生で運動部というものに入ったことがない。

いきなりお名前を出して恐縮だが、タグチさんが「運動部考」という記事で
「人生で運動部というものに入ったことがない。」と書かれていた。
隣でビールなど飲んでいれば、「おお、私も!私も!」とテンションを上げて中生お代わりをオーダーするところだ。

私の通った区立の中学校は、部活を2つやることになっていた。
誰が何のためにそう決めたのか、わけがわからない。
それで、2つのうちひとつは文化部、もうひとつは運動部にせよということだった。

そういえば小学校のときも「課内クラブ」と「課外クラブ」の2つに加入させられた。
でも、こちらは運動部の「強制」はなかったから、私は演劇部と新聞部に入った。

中学ではたと考えた。
私に務まる運動部はなんだろう?
チームプレーが苦手である。
いじめ回避のために身に着けた協調性はかなりあると思うが、そもそもの運動能力が低い。
私のヘマのせいでチームが負けたり、窮地に陥ったりすることに、精神が耐えられない。

一般的に子供の運動能力の基礎が身につくのは、6歳とか8歳とか言われている。
私はそのころ、栄養失調だった。
シンプルに食べるものがなかった、というか食べ物を買うお金がなかった。
紛争地帯の難民の子供が骨と皮なのを見ると心が痛むが、あれの一歩手前。
そう言うと「戦時中の人?」とか思われるけれど、世は高度成長で富があふれかえっていた頃、我が家は極貧だった。
私もだが、よく母が餓死しなかったものだと思う。

みんなと環境が違うので、ただでさえ「みんなとすること」が苦手なのに、「みんなと運動すること」は拷問でしかない。
中学生の頃は、経済的には落ち着き始めていたが、運動能力は向上していない。
交通費がもったいないので、家族と(主として母と)遊びに行くときは、朝から夕まで歩き倒した。
だから、体を動かすことで自信を持てるのは、かろうじて「歩く」ということだけ。
「おかち(徒歩)部」というのがあれば入ったのに。

ユニフォームとか道具を買い揃えなければならないところには入れない。
こういうのって、経済的に生徒を差別してるよね。
同じものを揃えるという強制は、出入りのスポーツ用品業者や文具業者から賄賂をもらっていたからではないかと疑っていた。

国会中継をたびたび見ていた私は、ほかの子供より政治的な思考が多く、この癒着と利権の闇を暴く新聞部に入るべきか悩んだが、学校新聞はそういうものを求めていないことは小学校時代に痛感していたので、文化部は演劇部を選択した。

そして運動部は、昔やっていた兄のラケットがあったのと、色がついているシャツなら何でもいいというところが決め手で卓球部に決めた。

人生の選択は、子供のころからお金の有無に左右されるものなのよ。
東大に行ける人たちは、もちろん能力や努力もあるけれど、やっぱり富裕層が多いというのにも納得できる。
「蛍雪の功」が賞賛されるのは、もともとそういう例が少ないからというのもあると思う。

好きなものとそうでないものとをバランスよくこなすのは難しい。
私は演劇部にのめりこみ、卓球部は最初の1回しか参加しなかった。
卓球部長は上級生の美形の女子で、少女漫画の恋愛ストーリーのヒロインみたいな人だった。
話し方も穏やかで上品で、いかにもお育ちの良いお嬢様という感じ。

その「おねえさま」が、私を探したり、待ち伏せしたりする。
演劇部の練習場所にやってきて「卓球の練習にも参加してくださいね。楽しみに待っていますからね」みたいなことを言って優雅にほほ笑む。

・・・・。
言われれば言われるほど、気持ちは「無理、無理、無理、無理!」となる。
このおねえさまから、必死に逃げ隠れする日々が続いた。

演劇部には、脚本を希望して入ったのだが、求められて意見を言っているうちに、部長に請われて監督と演出もやることになった。
区の演劇祭の公演が迫っていた。
とてつもなく忙しくなり、それを口実に卓球部の顧問の先生に正式に「退部」をお願いしに行った。

しかし、その後もやはり、私はあのおねえさまが苦手で、遠くからでも姿を認めるとこそこそと隠れた。
3年生の後半は、彼女はもう部長を退いていたけれど、私の苦手意識は収まることがなく、彼女が卒業したあとは、心底ホッとした。
彼女は全然悪くない。
悪いのは練習をサボり続けた私。

その後、私は演劇部長になったが、出てこない部員はほったらかしだった。
やりたい人だけ来ればよい。
やりたくないことを無理強いして、それが好きになることはあまりないような気がした。
私の顔を見て、こそこそと隠れるような人をつくりたくない。
「あの子、練習さぼって、どこそこにいたよ」と注進してくる部員もいたが、無理に参加させるよりも、いつか気まぐれにでもやってきたとき、いつも来ているように迎えたいと思っていた。

高校は、放送部に入った。
最初、演劇部の練習を見に行ったが、やたらみんなで走っていたので「無理」と判断した。
体力が必要なのはわかるけれども。

大学は「鉄道研究会」。
しかしここは、一人で行けない人たちが「集団で」旅行するサークルだったので、中学卒業と同時に一人旅を始めていた私には無意味と感じてすぐに辞めた。
以降は、バイトと旅と恋が忙しく、そこそこ勉強の楽しさにも目覚めていたので、どこのサークルにも入らなかった。

学生時代の記憶はどんどん遠ざかるが、いまも体力や運動能力?でできそうなのは、歩くことだけだ。
大学の新入生のときには、山手線一周ハイクに参加した。
東日本大震災のあと、「次」に備えて、会社と自宅とを7時間かけて歩いた。
足と靴さえあればあとは自由なのが何より。


読んでいただきありがとうございますm(__)m