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運動部考

人生で運動部というものに入ったことがない。

大学で演劇のサークルに入ったが、それ以外は小学校から高校までずっと美術系だった。

小学校は図工部。
なぜかずっと模型飛行機を作っていたが、わたし一人だけ市販のキットではなく、自分で設計した三角翼の機体を作って、全く飛ばなかったのを覚えている。

中学は晴れて正式な美術部に入ったが、わたしの意気込みに反して、誰も部活に出てこなかったので、ほとんど活動した記憶がない。暗黒期である。

高校でようやくまともな美術部と出会った。
ここでは相当頑張って、朝は自主的に部室でデッサンしたし、休日のほぼ全て、絵を描きに部活に出ていた。
そういえばスケッチ旅行もクロッキー会も企画したものだ、大したことである。

大学に進学すると、美大だったこともあって、さすがに「美術部」はなかった。
それでもイラスト研究会とか陶芸部とか、それらしいサークルはいくつもあって、実は自分は設立メンバーとして、母校に絵本研究会を立ち上げたりしている。
ただ、この頃になると作品制作というのは、もう個人の領域に属するもので、特にサークルである意義もなかったから、これはあくまでお楽しみのためだ。

ここで初めて、前述の演劇の方にのめり込んでいた。

というわけで、わたしには運動部的なメンタリティーというものが、かけらも理解できない。

たぶん、運動部と文化部の絶対的な違いは勝ち負けの存在だろうと思う。

もちろん文化部にだって大会はあるが、そこで賞をもらおうが、それは相対的な出来不出来の問題であって、一対一で相手をねじ伏せたという感覚はない。
強いていえば演劇には、体を動かす爽快感とか、やり切った時にアドレナリンが出るような瞬間があるのだが、あれはまた勝ち負けとは別のものであろう。

試合終了の一点に向かって、それまでの全てを積み上げていくような、そういうキリキリしたものは自分には無縁であった。

それが良いことなのか、何かの欠落なのかは、全くわからない。

というか、多分残りの人生でも、他人と勝利を争うような機会は訪れないのではないか。

繰り返し、良いことなのかは、全くわからない。



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