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声をかけたら手伝ってくれるよね。

これまで4台の車いすを押した。
父、姑、母、兄。

父のときは、巷にはバリアフリーという言葉が流行っていたけれど、現実はまだ追いついていなかった。

自力で動くことができなくなった父は、それまでの暴力が止んで、ようやく頭と体の衰えが一致した。
外に出るととても嬉しそうだった。
食欲も旺盛で、それまで好き嫌いが多かったのに、なんでも食べ、特に外食を喜んだ。

がんは末期となったが、高齢のぶん、進みが遅い。
家族は、残された時間を、父をすこしでも喜ばせたいと思った。
それは、若いころから何度も家庭を苦境に追い込み、呆けてからは殺人や心中まで考えた私たち自身の心を、父の笑顔を見ることで癒したかったのだと思う。

私は大きめのチェック柄のスカートを穿いて、兄と近隣のファミレスを回った。
中に知り合いが待っているふうを装って、案内を断って店内に入る。
そして、スカートの格子を目盛りにして、なにげなくテーブルの高さを測った。

車いすの父を見ると、店員さんは、椅子をどけて「こちらへ」と示してくれる。
確かに車いすは入る。
しかし。

多くのテーブルは、車いすの「肘掛け」の高さまで考慮していない。
腰掛け部分は入っても、肘掛けがつっかえて、前に詰められない。
体とテーブルの間が空いてしまう。
奥の小鉢や椀物には手が届かないし、空いた空間に食べ物が落ちる。
落とさないように前かがみにさせても、体勢がつらいので長くは持たない。
食事のとき、うんとテーブルから離れてみたらわかる。
まことに食べづらい。

しかし、肘掛けが収まる高さだと、一般客は「高い」と感じる。
だから、飲食店の検索サイトで「車いす可」になっていたとしても、たとえば入り口にスロープがついているだけということが当時は多かった。

待ち合わせの相手が見つからないふりをして、トイレも見た。
個室の面積は車いすに十分でも、通路で切り返せなくて、個室自体に入れないところがある。
そこを目で、またはスカートの格子模様で測る。
そうやって、近隣の店や病院や公共施設の「本当に入れるマップ」を作った。
ファミレスで、本当に入れて快適に食事し、トイレも済ませられるのは、「車いす可」のアイコンの店のうち、5~6軒にひとつくらいしかなかった。

姑は外食が嫌いだったから問題ないが、母は、父以上に外出と外食をしたがった。
アイコンが増えたわりには、実態はあまり改善されていなかった。

車いすによっては、もしかしたら肘掛けが撥ね上がるものがあるのかもしれない。
私が借りたものにはなかったから、私はまた食べもしないのに忍び込んで、席やトイレのサイズを測った。

以降、私は癖になった。
どこかの設えを見るたびに、ここは車いすで入れるか否かと考えずにはいられない。

近所に建った小洒落た住宅の多くは、庭に続く入口の前に、2、3段の階段状のものがある。
玄関ポーチにもあるものが多い。
これがあると、なんか小洒落度が増す気がする。
しかし私は思う。
車いすになったらどうするのか、と。
そのときに工事をしてスロープを作ればいいと思っているのかもしれない。
でも。

私はまた見る。
スロープを作るスペースがあるかないか。
どこに作るか。
余計なお世話だけれど、新築の時点でデザインや調和も考えて作っておけばいいのに、と思ってしまう。
人さまのお宅なのに、無礼なことである。

レストランに行っても、美術館・博物館(私は「館」がつくと入りたくなる。郷土資料館とか、中身がどこも代り映えしないとわかっていても)に行っても、真っ先に頭に浮かぶのは、車いすが入れるかどうか。
階段だけか、エレベータはあるか。
トイレに手すりはあるか。

母も兄もいなくなって、私ひとりになって、もう私は車いすを押すこともないというのに。
いや、私が車いすになったら。
押してくれる人がいない状態で、私はこの店や館に入れるか。

「抱きしめる」で書いたこの町。

ここだけでなく、オランダには、車道と歩道の間にもう1本通路があることが多い。
場合により自転車道路になるのだろうが、同時にそこは「車いす道路」でもある。
実に多くの車いすがそこを通っていた。
最初は、車いす利用者のイベントでもあるのかと思ったが、日常的に車いすで一人で出かける人が多いのだと気づいて驚いた。

だからといって、すべてがバリアフリーというわけではない。
何しろ何十年も前の話だ。
しかし、わずかな段差があれば、気軽に声をかける。
本人も周りもだ。
そして、近くの人が持ち上げる。

その印象があるので、私も見かければ、持ち上げるのに手を貸すのを厭わない。
日本人は、本人も言いづらいし、周りも声をかけにくいように思う。
でも、私はかける。
一人旅の経験は、こういうときに活きる。

父のときも兄のときも母のときも、一人で押していて、どうしても持ち上げられないときは、知らない人に声をかけてお願いする。
ちょっとした段差なら、うしろのバーに足をかけて押すようにすると、少ない力で車いすの前輪は持ち上がる。
結構私は上手いと思っているけれど、どうしてもすべての持ち上げが必要なときもある。

エレベータがそれほど万全じゃない時代、私はやっぱりためらわずに声をかけた。
お願いして断られたことはない。
そして、1階から2階まで、見ず知らずの人と一緒に車いすを上げた。
3人いるとラクだ。
大抵は声をかけた一人目の人が別の人を誘ってくれるか、様子を見て申し出てくれる人がいる。

昨日の記事で、エレベータの行列のことを書いたけれど、いくらハード面が充実したとしても、持ち上げるために声をかけたら、昔みたいに「いいですよ」と引き受けてくれる人がいたら嬉しいと思った。
そして、たぶん、きっと、いる。

読んでいただきありがとうございますm(__)m