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JAZZに出会ってNYに行ったら価値観ぶっ壊れた話①

高卒で地方都市の駅で定期券売ってた19歳のわたしが、JAZZに出会って留学をきめ、NYまで行った時の話です。

なんでJAZZにハマったの?

みなさんジャズって聴いたことあります?カフェでなんとなくかかってるお洒落な音楽がジャズなの?(たぶん、きっとジャズですw)ジャズって難しくない?(分かります、楽器のソロ長いですよね。)
元々、歌う事が大好きで、個人でライブ活動をしていましたが、最初はロックや定番の洋楽カバーを歌う日々。ある日突然ジャズに目覚めます。。。!

マリーナショウとの出会い Marlena Shaw!

当時、付き合っていたDJ彼氏に誘われて、マリーナショウのライブを見に行きました。指定席も買えないお値段だったので、一番後ろの方で立ったまま見てたんですがね。
彼女の声を聞いた瞬間に涙腺崩壊
なにが起こったのか、わからないほど、聞いた瞬間に鳥肌が立って
涙が止まらなくなりました。パニックですよ。
ライブ中に感動が止まらず。これがジャズなのか!ジャズやりたい!!!
と、譜面を書いて、友人を頼って大学のジャズ研セッションに行くことから始めました。

マリーナショウの何がそんなに刺さったのか?

  • 声そのものの響き(音圧なのかスーッと心に染み渡りました)

  • 声でリズム出しができるリーダーシップ(スキャットでドラムを煽る)

  • 杖をついてアンコールに出てきたのに歌い出したら真っ直ぐ立つ姿

ただ歌うだけではなく、その場を指揮するリーダー。自由でいてゴリっと刻むリズムに魅了され、発せられるバイブス(波動、周波数)に震えました。

私もマリーナショウみたくなりたい!

純粋なわたしは、ビリーブYOUR鳥肌 を信じていたので。これがわたしの進む道!と確信を持ちジャズにのめり込みます。
元々、英語が大好きだったのもあり、音楽仲間だったベースの先生から
「アメリカの大学だったら、ジャズ学べるよ?」と教えてもらい
「大学も行けて、一人暮らし、英語も使えて音楽も出来るの最高やん!」と、留学を決意。留学の予備校に通いながら、働いて、歌う日々。

父と母は借金返済が大変だったので全く頼れず、給料から毎月貯金。予備校のお金は、祖父から借りて毎月返済していました。
天国のおじいちゃん、ありがとう。

いざ、大学選びと出願 Apply for CCNY

コツコツと働き勉強をして、23歳には渡米すると決めて大学を選び出願。
ここでネックになるのが学費。夢見るハタチそこそこの私は有名大学のバークリー音楽院の学費を見て撃沈。
奨学金用のオーディションを受けるも、ジャズを始めたばっかりでスィングって何?レベルな私は受かるはずもなく。。。。
テネシー、ユタ州、田舎の学費が安そうな大学へ出願しようとしてたら偶然発見したのが、ニューヨーク市立大学シティカレッジ校でした。

公立大学だから、学費がそこまで高くない!
音楽科があって、ジャズボーカル科もある!
しかもNYってあのニューヨーク?ジャズといえばニューヨークじゃん!

もう絶対行きたい。と、鼻息荒く出願。しかしこの大学はめちゃくちゃ競争率が高いので合格するのは稀だと。併願しなよ。と、予備校の先生からは強く言われました。

ありえないくらいギリギリの合格通知

もうVISAの手配しないと、間に合わないよ。どうする?と聞かれ始めた2月下旬。ついに届きました、ボロボロの封筒に入った合格通知。
「え、マジ?倍率すんごい高いのに、うかったーーーー!!!NYやった!」
頭の中はお祭り状態、VISAを取るために、あり金&親から一瞬借りたお金を口座につっこみ、見せ金として残高証明を取ったり、退職願を書いたり、時計台でライブやらん?という誘いを受けてライブ活動をしながら渡米準備をしていったのであります。

レジで立ち往生!買い物もできなくて部屋で号泣

あんなに勉強していったけど、スピーキングはやっていかなかった。
NYの英語はとにかく早い。ドラッグストアでレジをやってる黒人さんが何を話しているのかさっぱりわからない。
Debit or Credit? え?何?4回聞き返してキレられる。(永遠に繰り返す)
初めてのおつかいもままならない23歳。

不甲斐なさすぎ!何にもできないじゃないか!
英語力も足りない!ESLから入れって言われた!
ジャズのクラスもオーディション落ちた!

なんてこった。私は何もできない。寮でもルームメイトが何言ってるかわからない。マジでやばい孤独がすごい。こんなんでやっていけるのか?

20歳超えてあんなに泣くことあるのかっていうくらい部屋で泣きました。

泣いた後の切り替えは早くて、友達はできたし、日本人コミュニティにも顔を出したり。先にアメリカに行っていた高校の同級生もいたし。泣いた後は開き直って、朝から晩までひたすら勉強。夜は、ルームメイトに頼まれてお酒を買いに行ったりしてましたね。
(アメリカの飲酒は21歳から。その頃、23歳の私はモテモテでした。調達員として(小声)
頑張っている人には優しいアメリカ。だいぶ学校にもなれてきた頃に実家から連絡が入ります。

「お父さん、末期癌なんだって」

え?今まだ、10月なんですが、私アメリカきたの8月なんですが?
どうやら私の渡米後、父がげっそり痩せて、病院に行ったら末期癌だとわかったらしい。そんなことってある?
そもそも生涯借金が1億円を超す、スピリチュアル好き全開、いきなりインドに行く謎な父が。癌?
あの殺しても死ななそう。とか親戚中から借金して色々言われている父が癌?なんだそりゃ。
余命1年だって、最初言っていたのに11月には、余命1月に短縮されていた。
なにそのミラクル?

「俺な、血管年齢若くてな、40歳らしいぞ(ドヤ顔)」
4月にあなた、自慢してましたよね。血管の若さを。。。。(白目)
後にこの血管の若さが、仇となって転移が猛烈スピードで進んだと知る。

冬休みに帰ろうとしていたけど、そこまで待っていられない!
11月下旬にある長期休暇で、もう帰国する。でも最低でも1学期は履修終わっていないと、復学はできないらしい。
よし、今とってるクラスの教授に交渉だ!!!!

コーラス以外の教授には快諾してもらって、オンラインで宿題を送ったり
スピーチのクラスは電話で教授と話してテストを受ければ単位は貰えることになった。寮の退去も、交渉して泣き落としをして、なんとか返金してもらえる事に!

3ヶ月前までガチで話せなかったのに、交渉できるまでに成長したのすごいな。やっぱりスイッチ入ると人間なんでもできるよね。
これで、帰ってお母さんを助けて、宿題やりながら頑張ろう!

なーんて考えてたんですが。甘かった。
破天荒パパの置き土産が、もっとあったのです。。。。続く。

この頃、支えてくれた友達とは今でもたまに連絡を取ったりしています。
寮のルームメイトや、音楽科だった日本人の友達たち。高校の同級生。
辛い時に力になってくれてありがとう。


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