見出し画像

仕事に行きたくないと、学校に行きたくないのは同じ理由

今日は日曜日ですね。
明日からまた1週間が始まると気が重くなります。

私には9歳の息子がいますが、彼は今学校を休んでいます。

1年生から何度か学校に行かない、行けないことがありました。
今回は担任の先生に、彼が書いた本の感想が長いから短くするように指摘を受けたことがきっかけだったようです。
もともと担任の先生のことを良く思ってなかったので、ますます学校には行きたくないという気持ちが強くなったようです。

休んでいる間に、少しでも勉強をしてもらいたいと算数のドリルをするように促した結果、計算ができず、不機嫌になりました。

私は「わからないことをそのままにしていてはできるようにならないよ」と彼に伝えましたが、これって自分にそのまま返ってきているよな、と思いまます。

できない・わからないがこわい

仕事においても自分の考えが及ばない範囲のことに直面すると不安が強くなります。

私の場合は仕事による疲労で考えがまとまらなかったり、気持ちが不安定になると、「もうこの仕事は続けていけない」と仕事を辞めようと考え始めます。私は何度か転職していますが、体力面の限界で退職したことは何度かあります。

できない・わからないという思い込み

息子が無理に登校することや、自分が疲れ果てているのに仕事を続けることは望んでいません。

しかし「できない」「わからない」からそこに目を向けない、というのはこの先も同じようなことが起きた時に、何も解決しないままになってしまいます。

息子は担任の先生との関係はあるでしょうが、今後も誰かから何かの指摘を受けた時に、否定されたと感じ怒りや悲しみを感じるだけでは、より良い答えにはたどり着かないでしょう。

算数の問題が解けないからやらない、というのも、どこまでならわかるのか、わからない時はどのように解決するのかということに向き合わないため、苦手意識だけが残ります。

これは私自身が取り組む課題そのもので、仕事の何に疲れているのか、その疲れをとるために何ができるのか、周りに協力を依頼することはできるのか、ということを整理し実践する必要があります。

そもそも自分の中に、「仕事とは忙しくて大変なものであり、疲れて当然だ」「疲れている自分を理解してもらうのは当然だ」という固定観念がそもそもあり、この固定観念に従って行動しているように感じます。

どんな未来を想像して学び、働くのか

そもそも何のために仕事をしているのでしょうか。

収入を得て家族を養うため、今の生活を続けるため、どこかに遊びに行くため、でしょうか。

私は仕事を続けることで、悩み苦しんでいることを解決できた時に味わえる充実感を得るためなのかな、と感じる時があります。

職場の同僚と協力して取り組んだことが解決した時にも、嬉しさを感じるため、その満足感を得るためなのかな、とも考えます。

しかし仕事が辛い、大変だという思いは疲労につながり心身を蝕んでいきます。

そもそもどのような未来を想像して仕事をするのか。
ここに「何のために仕事をするのか」があるのではないでしょうか。
私が想像した未来では楽しく、笑顔で、充実感を感じながら仕事をしています。
自分や家族、周りの人が幸せになれるために仕事をしているから、そう感じられるのでしょう。

今が辛いから、疲れているからこの先も同じ状態で働く必要はないですよね。

しかしこれまで問題を解決してきた経験や培ってきた能力はこの先も無駄にはなりません。

「母親と子どもはつながっている」、「子は親の鏡」という言葉を耳にします。

息子が今立ち止まっているのは、私が自分の課題に向き合わず解決できていないからだと思います。

私が仕事を含め、人生へ取り組むことで、息子も自分の人生を自分の判断で選択し楽しく、充実したものになって欲しいと思います。

私はそんな息子の応援ができたらいいなと思っています。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?