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辛い思い出は見方を変えると、今の生き方を変えることができる

先日YouTubeで「昭和生まれの女子が持っていそうな物」という動画を観ました。

ローラースケート、家庭科の裁縫箱(私はFelixでした)、リカちゃんの2LDKのお家、もこりんペン、匂いつきのティッシュ、星の砂、匂い玉、シール、サンリオランドのおまけのおもちゃ…ずっと「わー」「懐かしい」と声が出ていました。

そして一番声が出てしまったのがこれです。

Xまのさきさんのツイートより画像を拝借。このパッケージが可愛く大好きでした。

小学生の頃の思い出とそれに付随する感情が、一気に湧いてきました。

小学生の記憶は正しいとは限らない?


「うちは貧乏だから」と常々母から言われていたので、買って欲しい物が買ってもらえないとか、住んでいるアパートが古すぎて同級生に知られたくないという、不満みたいな感情があったな、と思い出しました。

でも動画で紹介されていたおもちゃやファンシーグッズは持っていた物も多くて、「うちは本当に貧乏だったのかな?」という疑問も改めて持ちました。

ブランドもののジャージやスニーカー、スキーウェアは確かに買ってもらえず我慢はしました。でも衣食住に困ることはなかったんですよね。

入学式の服は丸井今井(札幌の老舗デパート)でしたし、普段着や靴もいつもきれいでした。

いもだんごや餃子を自宅で手作りして楽しかったですし、あちこちのテーマパークにも連れて行ってくれました。

余裕がなかったのは事実だったかもしれませんが、母の「うちは貧乏」は、母の理想の生活から離れているが故の発言だったかもしれません。

親世代の価値観


当時は今よりもっと、社会的な地位やどんな家に住んでいて、車は何に乗っているのか、子どもの進学先はどこ、といったことが重視されていました。

母からは成績や進学先について、いつも口出しされていましたが、当時の価値観と母の経験から、そのようなことを言うのは当然だったのかもしれません。

今も変わらない部分はあって、孫(私の息子)に塾や習い事を勧めますが、孫は自分がしたいことをはっきり伝えるので、断られています。


子どもの頃って、みんなと同じ物を持っていたいという思いが強いですよね。

私はクラスの子と全然仲良くなれなくて、何となく浮いた存在だったような気がします。でもみんなと同じ物はやっぱり持っていたい、という気持ちはありました。

今振り返ると、何を持っているか、より誰とどのように遊ぶか、が大切だったのではないかと思います。

自分の枠から抜け出せず、無邪気になれず、気持ちを伝えたり、自ら動くことが苦手な子ども時代でした。

本当は両親に買ってもらったおもちゃで、ただただ楽しく遊びたかった。でもそれができなかったから、買ってもらえなくて我慢した、という気持ちに置き換えたのかもしれませんね。

自分の思い込みから抜けよう


大人になった今も、「こんなこと言ったらどうなっちゃうんだろう」という謎の恐怖心や、「こんなこともできないなんて、私はなんて無能なんだろう」という自己肯定感の低さ、「ここはこうじゃなきゃだめだ」という強すぎる固定観念に苦しむ時があります。

育ってきた時代の影響が大きいのは理解しています。でも、そろそろいいかな、と思っています。


両親はその時できる限りの物を与えてくれました。
できる限りの体験もさせてくれたと思います。

私は育つ過程で自分の感覚より、周りの目を気にし過ぎて生きづらくなってしまったので、息子には感覚を大切にして生きて欲しいと思っています。

私が生きづらいと思っているのをずっと親のせいにしてきましたが、もう感謝だけで良いのかもしれません。

人は自分の思った通りの世界で生きるのなら、今回気づいた自分の思い込みのフィルターを外して、別のフィルターや眼鏡を通して物事を見て、自分が優しくいられる世界で生きても良いんじゃないでしょうか。

親の世代の価値観は変わらないし、子どもの世代の価値観は大切にしたいと思っています。

私は思い込みや固定観念という鎧を着ています。
知らないうちに着ていたり、必要があって着た鎧です。

でも周りの人に貢献するには重たいと感じています。

いらない鎧を脱いで、その時感じたことを大切にしたいです。
その時感じたことを大切にして言葉や行動にしたいです。
そんな自分で社会に貢献していきたいです。


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