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美術史と私と

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過去を色眼鏡で見ないことー木村伊兵衛の展示に寄せて

ここでいう過去とは、自分の記憶の中にあるような経験した過去ではなく、自分の生まれるもっと前、自分の知り得ない時間としての過去である。 「木村伊兵衛と画家たちの見たパリ色とりどり」ーー言わずと知れた日本の名写真家・木村伊兵衛の作品のうち、日本人写真家として戦後初めてヨーロッパを取材した彼がカラーで捉えたパリのスナップ写真群をメインとして、目黒区美術館が企画した展示である。 今回の展示は、フライヤーに印刷された彼の写真に惹かれたことがきっかけで足を運んだものだった。 これま

展示替えのススメ

展示替えとは。美術館や博物館において、展示してある作品を入れ替えることである。例えば会期の長い企画展において、保存などの観点から会期を前期と後期に分けて作品の一部を入れ替えるといった形で行われている。ではここに展示替えのススメとして文章を書き始めたのは何故か。ここでいう展示替えとは、自分の部屋における展示替えのことである。 展示替えとは何か。意外なことに、ジャパンナレッジでこの言葉を引いてみても見出しは一件もヒットしない。代わりに「模様替え」の語を引いてみる。 私の部屋の

人生で初めて絵を買った。

先日、人生で初めてギャラリーで作品を買った。正方形の黒い画面にケルトの組紐紋が白く抜かれ、内部が赤と青紫のグラデーションで彩られている。この絵を初めて見たのは今年の三月のことで、ちょうどそのころ鶴岡真弓先生の『ケルト/装飾的思考』をはじめとした本でケルトの組紐紋と写本装飾について勉強していたため、飾られていたいくつかの絵の中で目に止まったのだった。 ギャラリーと書いたが、作品と出会ったのはギャラリーカフェと銘打たれたカフェと併設のギャラリーであり、元々はそこでやっていた漆作

「私の仕事は陶器を作るのではなく陶器を利用しているのです」

私が美術作品、特に工芸作品をみるときによく重要な示唆を与えてくれる文章のひとつです。 これについての詳しくはまたいつか。 私の陶芸観 私は陶器が大好きです しかし私の仕事は陶器の本道から完全にはずれています 私の仕事は陶器を作るのではなく陶器を利用しているのです 私の作品は外見は陶器の形をしていますが中身は別のものです これが私の仕事の方向であり、また私の陶芸個人作家観です 加守田章二 個展(ギャラリー・手)、1971年

「藤色」についてのはなし

先日鎌倉にある鏑木清方記念美術館へ足を運んだ。その時に展示されていた一つの作品とそこにあった「藤色」についての話をしようと思う。 展示室にあった作品の並びの中の一つに、着物にあしらわれた藤の色が印象的なものがあった。綺麗な色だと思いよく見てみると胡粉で小さな藤の家紋が描かれてある。よく見る藤の家紋のように両側から花が垂れ下がっているものでなく、おそらく片手藤と呼ばれるタイプのものであった。家紋の藤と染めの藤を合わせるところに、積み重ねられた清方の丁寧な観察や彼の感性といった

学部生のうちにやっておくべきこと

ある授業の教授が、学部生であった当時(卒論や就活、院進を見据えて)「今のうちに何をやっておいたらいいか」「何か今のうちにやっておくべきことはあるか」という質問を卒論の担当教官に投げかけたところ「出来るだけ専門外のことに触れておきなさい」という言葉をもらった、という話をしてくれたことがある。 その教授は今になってやっとその言葉の意味が身に沁みると話していたし、この言葉が本当に効いてくるのはきっともっとずっと後のことなのだろうと思ってはいるが、この言葉を実践し始めたばかりの学部

展示メモ3:眠り展@東京国立近代美術館

先月まで竹橋の東近美で開催されていた眠り展。フライヤーのデザインが気になって興味を持ったのが始まりだが、その内容は思っていたよりも素晴らしく、私的2020年度ベスト展示になるかもしれない。 「問い」のスタンス「眠り展」というシンプルなタイトルながら、その中身は「眠り」を主題とした単なる作品の寄せ集めではなく「眠り」についての問いかけである。各章の章立てと導入文を見るとそれがよくわかる。下にその導入文の一部を引用しておく。 序章 目を閉じて  眠るためには、まず目を閉じなけ

ジョルジョ・デ・キリコとカーテン

自分の専門分野も定まりつつあり、今後論文にすることはないだろうなというこれまでの考察(レポートなど)を記録用に順次上げていこうと思います。 シュルレアリスムの画家であるジョルジョ・デ・キリコと、彼の作品において度々登場するカーテンのモチーフについての考察です。(過去にレポートで書いた内容をほぼそのまま転載。) ジョルジョ・デ・キリコの作品のうち、カーテンのモチーフが登場する作品の例として《子どもの脳》、《神託の謎》、《秋の午後の謎》の三つを挙げたい。以下の論では長尾天氏の

いけ好かない作品を見に行こう

大学2年の時、東アジアの美術工芸品を紹介する講義を友人と一緒に受けていたことがある。出てくるものには陶磁器や銀食器が含まれていたため、授業後にはよく「これはオシャレ」とか「これ家に欲しい」などといって感想を言い合うのが常であった。 ある日のこと、陶磁器を紹介する回の中で「曜変天目茶碗」が紹介された。曜変天目茶碗として明確に現存するものは世界で3つ(全て日本)しかなく、その文様を生み出す技術が謎に包まれ現在でも再現できていないことからも、その3点は全て国宝に指定されている。「

スケール感と実物性ー複製の可能性

大塚国際美術館にて鑑賞した陶板名画について、スケール感の再現が私にとって物質的な要素を超えた「体験としての記憶」をもたらしたという話。 スケール感と実物性大塚国際美術館といえば陶板名画で有名な美術館である。美術館でありながらオリジナルの原画を所有せず、世界の名画の陶板複製だけでコレクションが構成されている特徴を持つ。 複製画のメリットとしてこれまで聞いたことがあったのは、複製であるゆえに触れることも可能なほど(現在はコロナの影響で接触は禁止)近くで作品を鑑賞することができ