くだらないことに本気を出すことの楽しさ
にんじん
数ヶ月に一回、読み終わった本を売りに行く。
先日は9冊の本を売って1冊の本を買った。
ジュール・ルナールの「にんじん」という本だった。
20代の頃、この本を題材にした映画を薦めてくれたひとがいた。残念ながらその映画は古くて手に入らず、かわりに原作の本を図書館で借りて読んだ。そのとき手にとったのは舞台風に描かれたもので、私には読みづらく、薦めてくれた人が私に何を伝えたかったのか分からないままだった。
今回手に取ったその本は、2016年に訳されたもので、にんじん視点で編集されていて読みやすい。にんじんは、19世紀の後半にフランスで生れた少年だ。髪が赤いので家族からにんじんと呼ばれている。3人兄弟の末っ子である彼は、あまり人に好かれる容姿をしていない。性格も人懐こくはない。どちらかと言えば賢すぎて子供らしさがなく、煙たがられていたかもしれない。だからといって子供らしくいることが禁止されるなんてことはあってはならない。しかしにんじんは、母親から執拗ないじめを受けている。いじめを受けているから子供らしさを失ったのかもしれない。
父親も兄弟も、母親の行動をやめさせようとはしない。彼女の独裁的な性格をとがめることをあきらめている。にんじんはそれに耐えられない。それはそうである。母親が気に入らない子供だからと言う理由で、自由に生きることを禁止される道理などあるはずがないのだ。
子供が、母親のことを嫌いだと認めること。離れたいと決心し打ち明けることの勇気と賢さに、私は打ちのめされた。
黒い塊は母親を象徴している。その意地悪な仕打ちは一時のもので、過ぎてしまえば楽しみを見いだしていけることを彼は知っている。それでも、傷つく心はどうすることもできない。嵐にもみくちゃにされる木の葉のように、右往左往してきりもみするしかないのだ。心はまるで紙くずのように、小さく丸められて心許なくどこかへ飛ばされていってしまうようだ。
にんじんは、作者ジュール・ルナールの幼少期の体験期であるとされている。訳者の髙野優氏は巻末の解説に、作者がこのような虐待体験を強く生き抜くことができたそのヒントとして、《レジリエンス》と言う言葉をあげている。
ここまで読んで,この作品を薦めてくれた人の意図が分かったような気がした。私もどのようにかして、その時々を切り抜けて今ここに居るのだからだ。私にはその力があるのだから、胸を張って生きろと言ってくれたのだと、今解釈する。
しかし、私を支えてくれた大人などいたのだろうか・・。
保育園
そうして考えてみると、保育園の存在が大きいことに気がついた。私は生後11ヶ月で父親と離れている。双方の祖父母は車で2時間の距離におり、行き来はなかった。近所に親戚が居るわけでもなかった。唯一の家族以外の人間との接触は、保育園の先生と園児たちだった。
そして、私は保育園での記憶がたくさんある。
最後までお迎えが来ないと、職員室の園長先生の膝の上に座らせてもらってすね毛を抜かせてもらっていたこと。痛いだろうに何も言わず、にこにこしてくれていたことも覚えている。
園長先生にしばしば屋根裏部屋へ連れて行かれて、こっそりとケーキを食べさせてもらっていたこと。本当に子供が喜ぶのを見るのが好きな園長先生だったのだと思う。
本棚にある絵本の数を数える係だったこと。帰る前に自分のクラスの絵本を数えて、大きさの順に並べてから帰っていた。
よく、皆が遊んでいる教室の隅で、椅子を机代わりにして絵本を読んでいたこと。
※読んでいた絵本はこちら
砂場で泥団子を作るのが得意で、教えてとせがまれたこと。
凧あげをする日だったのに急に雨が降ってきて、やむのを待ったこと。先生が、100まで数えたらやむよ!といって、みんなで数えたら、本当に100まで数えた時に雨がやんで、空がきらきらぴかぴかしていたこと。近くの空き地に移動して、凧をあげたこと。
敷地内の小さなプールは毎年先生たちがペンキで絵を描いてくれた。書いた後はブルーシートで隠されていて、乾いたらシートが取り払われる。パーマンだったり、ハットリくんだったり。
折り紙で野菜や果物を作って、段ボールのお金でお店屋さんごっこをしたこと。柿の橙色がリアルで、ただ丸めただけの折り紙なのにとてもおいしそうだった。たくさん売れた。
夕方になると、中学生のお姉さんが金網の向こうから手を振ってくれる。だんだんと塀の向こうへ見えなくなるけど、鞄を投げて私たちを笑わせてくれる。
プラネタリウムに遠足に行ったけれど、まっくらでつまらなくて、みんなで早く朝になれ!と合唱してしかられたこと。
廊下でかとちゃんけんちゃんごっこをしたこと。ちょっとまって、またないよ、じゃかじゃん。もしもし。わたしだ。この電話はばくはつする。
そんな思い出がいくつもいくつも出てくる。
それなのに、家でのことは何一つ覚えていないのだ。
保育園の園庭、教室、廊下、遊具、すべて覚えているのに、家の布団、家具の配置、どこでどう食事をしていたのかとか、母とした会話だとか、食事の風景だとかお風呂だとか、おもちゃだとか、全く何一つ、覚えていないのだ。
私にとって、保育園でのびのびできていたことが、こころの救いだったのではないだろうか。にんじんのように、お母さんのことが嫌いだなんて、その当時の私は思っていなかっただろうと思う。おかあさんが私のことを嫌いだなんて、恐ろしくて認めることができなかったから。
でも、保育園から帰りたくないと泣いて鉄棒にしがみついた私を、無理にひっぱって腕が抜けたことがあったらしい。家が怖かったのかもしれない。
保育園に居られる時間が、私にはほっとする時間だったのかもしれない。
ほっとする場所
子供の頃から、よく空を見ていた。雲が流れるのを、ぴかぴかする空気を。
それから地面を見ていた。一粒ずつ砂を掘る蟻を、水たまりをすいすいと進むアメンボを、湿気た岩の裏にいるミミズを。
そうするとこころのごちゃごちゃが整理されていくような気がした。デフラグされていくCドライブのアニメーションを見ているみたいだった。
よくふざけていた。叱られているときも志村けんのまねをしたし、かとちゃんのまねをした。そしてまた叱られた。
もっとふざけたいもっとあそびたい
くだらないことをしていると楽しい。
みんなで本気でやるともっと楽しい。
それを大人になってからやろうとすると、なんだかそれはいけないことのような気がする。でも一度やってみたら、心の中はうきうきして、もっともっとと求めてくる。それを叱る人はもういない。自分がストップしているだけだ。あのときあの人が、恥ずかしいからやめなよと言ったから。あの人がこんなことをしたら引くかもしれないから。大人とはそういうことを楽しむものではないはずだから。もっとまじめに。もっとしっかりしなきゃと思うから。
私はもっとくだらないことをたくさんやって、笑っていたいと思う。
人生って、そうやって楽しんで過ごしていくものでしょ?苦しいことを選んで真面目な顔して過ごさなきゃいけないなんて、そんなばかな。
ふざけるたびに黒い塊がやってきて、「許されると思っているのか」「何様の分際で」「自分だけが笑っていて、周りに悪いと思わないのか」と、責められることも、それが私を落ち込ませることも知っている。だけど黒い塊がやがて過ぎ去っていくことも知っている。この罪悪感の源を理解できる。だから私は、もっと私をのびのびと遊ばせることができそう!
嵐の中の木の葉なら、かえって誰よりも遠くまで飛んでいって、高く長く景色を楽しむことができるはず!
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