見出し画像

映画「君たちはどう生きるか」を、ある業界に生きた女性たちへの賛歌として考察する。

遅ればせながら、件の話題作を昨日7/21(金)にIMAXで鑑賞。一晩明けた今、ペンをとりました。いろんな感情を喚起する作品とはいえ、私的には「アニメーション業界を支え続けた女性たちの闘いと、それを人生の一部として伴走しつづけた監督・宮崎駿による人間賛歌」と感じられる。その理由について、備忘録的に記そうと思います。

本作を「宮崎駿氏の半生のメタファーであり自伝的作品」と評する試み、その意義や根拠についてはSNS等で盛んに議論されており、情報も豊富です。この文章ではそれらを割愛します。宮崎氏の戦時下での生い立ち、あるいは件の海外児童文学小説「失われたものたちの本」についてはあまり言及しません。私が気づいた事情についてのみ語ろうと思います。

❶ 削り出しの矢、それを導く羽
❷ 黎明期のアニメを支えた女性の力
❸ 夏子と産屋は何を意味しているのか
❹ 積木のバランスはなぜ危ういのか

削り出しの矢、それを導く羽

本論に入るにあたって、最低限の認識を共有しておきたいと思います。本作の監督・宮崎駿氏とプロデューサー・鈴木敏夫氏の関係についてです。劇中に登場する主人公・眞人を宮崎氏、名脇役たるアオサギを鈴木氏になぞらえる向きは多く、私もその感覚を覚えました。

結論といって差し支えないと思いますが、主人公・眞人が削り出したあの「矢」は鉛筆でありペン、彼にとっての武器そのものです。最初は単純な「鉛筆」であったのが、「羽毛で勢いのついたペン(鉛筆で描いた線を、インクをつけたペンでなぞるのは漫画やセルアニメの基本。ペンは古来、鳥の抜けた羽を利用した)」になったとき、猛烈な勢いを持つようになった。まさに「風の谷のナウシカ」を連載すること、それをきっかけに、アニメ映画監督としての人生が大きく切り拓かれたことに相違ないでしょう。

根拠というほどでもありませんが、簡単に事実をおさえておきます。映画「ルパン三世/カリオストロの城」が商業的に大失敗とあいなり(現在の評価からは考えられない結果ですが……)、新進気鋭の若手監督・宮崎氏の出世街道は完璧に頓挫しました。当時にしては破格、数億円単位の損失を被り「宮崎に二度と映画を撮らせるな」という風潮があった。以後、5年間も冷や飯を食う彼に助け船を出し、原作マンガの連載というアクロバットで生計を助け、オリジナル作品たるナウシカで業界復帰の道筋をつけたのは、当時「アニメージュ(アニメ業界をオタクたちに開放すべく煽動した著名な雑誌)」の編集長だった鈴木氏です。まだ徳間書店のサラリーマンであって、プロデューサーとしての自覚もない頃のこと。

眞人の人生はアオサギの落とした羽、それを鉛筆に加え「羽ペン」に改造したとき、猛烈な勢いで動き出す。宮崎氏にとって、鈴木氏にそそのかされ(幼少期からの夢であった)マンガ連載に舵をきった事実、それが逆に「原作付映画の監督」へ道筋をつけた流れは、驚嘆すべき魔法であり大きな転換点だったに違いありません。さらに、漫画版ナウシカは特殊な作り方をしたことでも知られています。鈴木氏が画策し、宮崎氏の鉛筆描きのディテールをうまく活かしつつ、ペン入れの工程そのものを省いた。印刷技術で鉛筆描きの濃淡がしっかり白黒で現れるように工夫した、というプロセスも有名です。それをして「魔法」のように回顧した、とも考えられる。

眞人がアオサギの羽を破こうとする(連載の原稿を落とすぞ、と脅す)ことが鈴木氏にとって痛かったに違いないわけで、この「鉛筆」「羽ペン」から二人の、一連託生の人生が始まったというわけです。

また古来、人類は鳥の羽から作ったペンとインクで文字や絵を描いてきた歴史があり(ペンの語源)、従って絵や文字を描くクリエイター=鳥、というメタファーまでは前提としていいでしょう。今作で登場するペリカン、インコ、そしてアオサギ(ペリカン科の生物ですが、鈴木さんは元雑誌編集者なので文字を操る立場であり、やや毛色が違うと解釈できます)などはすべてペンにすがるクリエイターの比喩と考えれば、弓、羽との関連から物語を整然と理解できます。

また、ペリカンと聞けばドイツの老舗文具メーカーであり、万年筆やインクを思い起こす方もいるでしょう。黎明期のアニメーションはセルロイドにペン入れし、そこへ色を塗って完成させていましたから、漫画家を志した頃を含め、宮崎氏の青春はペンやインクと格闘する日々でもあったのです。

黎明期のアニメを支えた女性の力

本論に入ります。この映画は主人公・眞人をクリエイターとみなし、彼が迷い込む世界を「アニメ業界」になぞらえて進む。異世界から飛んできた石の建造物(注:日本のアニメ黎明期はディズニーの見よう見まねで始まった)は、日本のアニメ業界やスタジオジブリを象徴している。この屋敷がさまざまな(架空の)世界の狭間に立っている、というセリフからみて、このメタファーは解釈の幅を許さないようにも感じられますし、「建物の中はインコで一杯だ」というセリフにも、労働人口こそ増えてはいるが、それをまかなうだけの懐がなく、低い賃金にあえぐアニメ業界を示唆している。

さて、そろそろ一人目の女性を紹介しましょう。保田道世さんです。創業の頃からジブリを支えた色彩設計のプロであり、77歳にてご逝去されました。東映動画への入社は宮崎氏に遡ること5年前で、かなり先輩にあたります。あの押井守に「凄いおばさん」と揶揄されるほどの有名人でもありました。そして、アニメの黎明期は彼女のような女性クリエイターたちが支えたといっても過言ではありません。というのも、鉛筆描きの原画・動画をペンでなぞる「トレス」という作業、さらにそのセル画に色をのせる「彩色」という行程がもっとも膨大かつ過酷で、主婦たちがパートとして動員されることも多く、つい近年まで「彩色は女性の職場」という認識は続いていました。

保田さんは入社当初、手でペン入れする「ハンドトレス」という行程を担当されていましたが、やがてトレスマシンという機械が登場し、鉛筆のカーボンをセルに焼き付ける(熱転写)ことでトレスは半自動化(完璧ではなく、手で補う)にこぎつけます。ちなみにこのトレスマシンおよび転写されたセルは熱いもので、手袋をしないと火傷する。トレスマシンの登場後、保田さんは様々なトレス技法を開発した功労者だと伝わっています。まるで魔法のように……

トレスマシンで鉛筆描きの動画をセルへ熱転写する様子。高熱を発するため、手袋が必須。

つまり、彼女こそ「火を使い熟す魔女となり、ハンドトレス=ペン入れ(ペリカンのペンやインクが担った仕事)を過去にした人物」に他ならない。劇中に登場するヒミは、保田さんのメタファーだと捉えることができます。その後、保田さんはスタジオジブリでも魔女ぶりを発揮し、彩色工程のデジタル化を強く推進しました。色を操る彼女の貢献なくしてジブリ映画の成功はなかった、といえるほどの存在です。劇中、ヒミの部屋がポップでカラフルだったことも、色の表現を担ってきた保田さんへの敬意の表れとみなせるでしょう。

夏子と産屋は何を意味しているのか

二人目の「女性」を紹介しましょう。大田朱美さんです。彼女はいわずとしれた天才アニメーターであり、宮崎駿氏が東映動画に入社するきっかけを作ったといわれる国産アニメ映画の傑作「白蛇伝」でデビューを飾りました。後に二人は夫婦となり、二子をもうけるまでになります。彼女はキリコであり夏子であると解釈できます。

物語の筋書きを振り返ってみましょう。眞人はキリコにタバコを要求されたり、あるいは伝統的な弓矢の在処を囁かれたりしますが、頑固で融通の効かない少年で、自分で矢を削るし、ひたすら思い込みで行動する。現実世界の大田珠美さんは宮崎氏の先輩にあたります。そして、才能は彼以上だったと指摘する方も多くいる。ここからは想像になりますが、きわめて画力の高い新人という触れ込みだった宮崎氏に大先輩として冷や水を浴びせ、「魚の捌き方」をうまく教示したのは朱美さんだったのだろうと推察できます。ここに、キリコ=大田朱美のメタファーであるという解釈が成立します。そして、キリコはワラワラに栄養を与えるべく奮闘した。ここに、ワラワラは無垢な魂であり、子供向けアニメーションを創造し続けた東映動画、その仕事の矛先たる親子連れの観衆であったという解釈が成り立ちます。

後に朱美さんは宮崎氏と結婚後、懐妊・出産します。その前後で、彼女はアニメーターとして働き続けることを熱望した。ここに一つのヒントがあります。当時、猛烈な高度成長期にあった日本社会において、アニメ業界もご多分に漏れず「結婚すれば女性は引退」「出産すれば子育てが本業」という思想が主流の、いわば女性「非」活躍社会に他なりませんでした。

夏子が産屋に籠もる。それは「穢れ」として女性の出産を扱うこと、いわば女性蔑視の象徴です。古来、日本では「生理中の女性を別室にて隔離する」ということさえ行われていた、といいます。子育てに勤しむ朱美さんがアニメーターとしての将来を断たれる様(居眠りしながら子供を散歩させていたことを知った夫・宮崎が「仕事をやめてほしい」と申し入れた)は宮崎氏にとって心苦しい事実でした。今から思えば性差別の極みといっていいでしょう。

そんな状況下で、彼は60〜70年代の本格化する労働争議に直面し、組合活動を担う書記長という肩書きを担いました。先の保田道世さんとはその集会で出会ったといいます。宮崎駿の歩みとは、これらの<アニメ業界で不可欠な労働力を担い献身的に働き続けた女性たち>に感謝し、彼女たちに一定の報いを提供しなければならないと感じた、感じざるをえなかった一人の男性労働者、組合書記長の歩みに他なりません。なんと言っても、彼は女性天才アニメーター・大田朱美の将来を奪ったのです。夏子をめぐる妊娠・出産についての心苦しさ、負担や後悔は、妻をめぐる宮崎氏自身の懺悔に他ならない。だからこそ眞人は産屋に飛び込む。そう考えれば、あの場面は不可欠なものだったと感じられます。

そういうわけで、冒頭から登場する老婆たちは皆、監督の青春時代の盟友、戦友たる女性たちであり、眠る眞人の回りを囲む人形たちは、アニメを生業とするクリエイターにとって守護神のような存在。それほど宮崎氏は、低賃金と厳しい労働条件の下、自分にアニメーションを手ほどきしてくれた先輩や仲間への、あるいは「彩色」や「トレス」といった地味な作業の主力でもあった女性たちへの敬意と賛辞を惜しまない。従って私は本作を「古参のアニメ作家が奏でる女性賛歌」として楽しむのが適切ではないかと考えています。だからこそ眞人のお父さんは滑稽に描かれる。男女の対比を強調しているようにも感じられるのです。

積木のバランスはなぜ危ういのか

最後に、件の積木について言及したいと思います。13個という数が宮崎氏の手掛けた過去の監督作の本数である、ということを指摘する方々は多いようです。私は、そのバランスが極めて危ういことに、クリエイターとしての生き様を感じました。

宮崎氏が映画監督として息を吹き返すきっかけとなった「風の谷のナウシカ」には、有名な逸話が残っています。完成させるにあたり、期日に間に合わせるためラストシーンとして予定されていた「王蟲と巨神兵のバトル」をシンプルな展開に変更したこと。ナウシカが復活するラストをめぐり、プロデューサー・高畑氏、(原作漫画を描かせた仕掛け人であり製作委員会に名を連ねる)鈴木氏、宮崎氏の3人で意見の衝突があったこと等々。

なかでも、プロデューサーたる高畑氏が、完成してヒットしたにも関わらず「ナウシカは30点」と酷評したことは有名な事実です。「風の谷の生活(生計の立て方など)がきちんと描かれていない」のが理由といいますが、そうした丁寧な描写がないからこそ、スピーディでわかりやすい展開を持つ魅力的なエンタテイメントになっている。プロデューサーの立場で30点をつける高畑氏に対し、宮崎氏は激昂しますが、一方で「その妥協が商業的成功につながった。成功を望んだのは貴方自身だ」と指摘したのが鈴木氏だったといいます。宮崎氏はいずれの見解に対しても憤り、そして悲しんだ——つまり、彼は文学性=理想と、エンタメ=現実の間で常にゆらぐ人生を歩んできたことになります。

宮崎氏たちはスタジオジブリを立ち上げる際、アニメに就業する人たちがまともに食べられるように、最低でも給与を2倍にしたいという思いがあったといいます。つまり、商業的な成功を得て次回の制作につなげる、という正のスパイラルを描くことに固執した。特に宮崎氏は東映時代にさまざまな経験、中でも高畑氏との協業による企画の遅延に懲りて、「作品を完成させて世に送り出すことこそ労働者たるアニメーターの本分」と考えるようになり、計画の延期を毛嫌いするようになりました。ところが高畑氏はジブリを立ち上げてからも、予算や日程を度外視し、会社が傾いてもなおアニメ作家の本分を貫く。赤字もたくさん作る。だから他のメンバーが一致団結し、その赤字をどうにかして解消する……ジブリという飛行船は、きわめて危ういバランスを保ちつつ飛び続けたわけです。

そういうわけで「文学性」と「エンタメ」のバランスにおいて宮崎氏は苦しみ続けました。映画の中では、大叔父が積木に腐心している。そのパーツをみて、なぜか眞人は「悪意が含まれる」と指摘しています。悪意とは、すなわち無垢な子供の魂=ワラワラを貪ることで生きながらえてきたアニメ屋、その商業的な成功が妥協の産物であり、文学性を犠牲にしたことへの後ろめたさを示唆するものと考えられる。

エンタメ=商業主義を単純に悪行としてとらえるのか、あるいは生計をたてるための善行ととらまえるべきなのか。クリエイターという生き様(眞人の自傷行為と同じ見た目の傷が、キリコにも刻まれていた)において、これは永遠の課題ともいえるでしょう。あるいはクリエイターに限らないかもしれません。人間という生物は、おしなべて「生きながらえる」ことと「理想を求める」ことを天秤にかけている。戦争をすべきでないという理想が、そして戦時下の特需により食べるものに困らない裕福な家庭という現実が、少年の心を複雑にした。時に自らの正しさを犠牲にしてまで、生計を立てることに奔走する必要がある、それが人間。そういった業を描くことが、積木や傷の表現となって現れている。そうとらえることができると思うのです。

おまけ:ラストで眞人はバランスをとることを拒絶し、一片のかけらを握り、古の建造物の外へ出て実世界へ舞い戻る。それが「バランスを欠いた作品群」の創造、すなわち「理想の追求」を宣言しているものと考えれば、「俺にはできなかったが期待しているぞ、やってみせてくれ」というニュアンスの激励——この表現に「君たちはどう生きるか」という問いかけそのものが込められていると感じました。

以上、まとまりなく長々と書き連ねましたが、あくまで私見であり妄想の類です。さまざまな反論や異論がおありかと思いますが、膨大にある考察の一つとして、なにとぞ捨て置きください。終わります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?