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僕が今「教師」という仕事をしているのは・・・

はじめに


公立中学校で社会科の教師として働いている
アスパラガスtです。
今年で14年目になります。

僕は、

子どもたちの笑顔を見るのが大好きです。
子どもたちが喜んでくれると、僕もうれしくなります。
子どもたちの成長を感じると、仕事にやりがいを感じます。

僕が教師をしている理由。
これはとてもシンプル。

「子どもたちの人生に彩(いろどり)を」

これが僕の人生のミッション。

子どもたちが未来の社会をつくってくれます。

そんな、大切な大切な子どもたちの
とても大事な中学校3年間
をともに過ごすんです。

喜び、怒り、哀しみ、楽しみ・・・

いろんな色の経験をさせてあげたいなって、
本気で思っています。

でも、
僕がこうやって言い切れるようになったのは、
つい数年前です。

それまでは・・・

「なんだよ。このクソみたいな仕事・・・」

としか思っていませんでした。

「病休」という選択


初任校は、とても荒れていました。

「この学校いつの時代なんだ…」

って思うくらい。

生徒たちの服装は、短ランに、ボンタン。
タバコ、飲酒、バイク、エスケープ、器物破損・・・
あげればきりがありません。

「授業で勝負だ!!」

と思って、たくさん工夫したけど、
やっぱり完全には振り向いてくれません。

今から考えれば自分の力量不足なんですが、
当時はそんな余裕もなくて。

「毎日休みなく働いて、こんなに努力しているのに、なんで誰も認めてくれないんだ」

と、自分よがりな考え方をしていました。

2校目も、上手くいきませんでした。
授業は1校目の経験もあって、
わりと余裕が出てきたのですが・・・
次の大きな壁はクラブでした。

当時、陸上部の顧問を担当していたのですが、
前任の顧問の先生が毎年全国大会出場生徒を出すとてもすごい先生でして…
新しく着任した陸上素人の僕のことなんて
生徒たちが言うこと聞いてくれるはずがないんですよね。

結果、大荒れしました・・・。

この荒れた状態を上手くまとめられなかったですが、

「混乱のままでも仕方ない…」

と、なんとか自分の中で昇華して、日々の生活を送っていました。

ただ、この頃になると教師としての経験も積めていたので、
いろんな他の仕事も任せられるようになっていまして…

毎月の残業時間は

200時間ごえ

の状態でした。

僕も教師という仕事にプライドもありましたから、
なんとか頑張ってたんですが…

2か月ほどで、身体が言うことをきかなくなってしまいまして。
結果的に、

「約4カ月の病休」という選択

をすることになります。

これが教師10年目の出来事でした。

4カ月の「病休」期間


最初は、ショックでした。
体力には自信がありました。
自分で言うのもなんですが、

能力は無い努力家

です。

どんな状況でも、あきらめはしません。
でも、病休に入ってしまいました。

だから、自分に負けた気がして2週間くらいは放心状態でした。



ただ、病休に入った時点で
一つだけ決めていたことがあります。

「教師を辞める」

「負けちゃったから、転職しなきゃな」
って、自然に考えてました。

2週間くらいたつと、
いろいろと動けるようになりました。

まず家事をしました。
奥さんは働いているので、
毎日帰ってくると

「家政婦ご苦労さん」

と、笑いながらからかってくれました。

元気な時は、
近くの山に登山にいったり、
近くの河原でランニングをしたりしながら、

これまでの人生…
これからの人生…
自分がいる意味…

いろんなことを考えてました。

さて、そんな僕が、この4カ月間
何ををしていたかというと
「転職活動」です。

「教師を辞める」と決めていましたから。

転職サイトに登録して、
エージェントの人に相談にも行って、
企業の説明会的な話を聞きに行ったり、
採用の面接を受けたり、
私立中学の講師の話を聞きに行ったり、

家族もありましたので、
給料のことなども考えながら
いろいろと動きました。


ある人が言った運命のひとこと


さて、病休に入って3カ月目のことです。

病休ですので、

2週間の1度ペースくらいで通院もしつつ、
転職活動もしつつ、

といった感じの生活を送っていたのですが、

転職エージェントの人とお話をしている時に、
衝撃的なひとことを受けることになります。

「教師辞めなくても良いんじゃないですか?
      あなたには教師があってると思いますよ」


これから話すことは結果論なので、
当時は、あんまり意識してなかったんですが、
転職活動をしているうちに、

僕が僕自身にしっかりと向き合うこと
が出来ていたんです。


結果、興味がある企業は自然と
教育関連の企業ばかり
になっていました。
そして、そこで必ず自分のことを話すんですが、

そこには、必ず

僕は、

子どもたちの笑顔を見るのが大好きです。
子どもたちが喜んでくれると、僕もうれしくなります。
子どもたちの成長を感じると、仕事にやりがいを感じます。

という内容が入るんです。

これ、

この記事の冒頭に僕の自己紹介で書いたこと

なんですよね。


さて、話を戻します。

転職エージェントの人には、
僕が今病休中であること、
それまでの教師生活で頑張ったこと、
今、最低限必要な給料など、

具体的な相談をいろいろさせていただきました。

すると、

「とても有意義な教師生活を送ってらっしゃいますね。私から一つ提案です 
 が、教師をもう一度やられても良いんじゃないですか? 
 転職活動はいつでもできます。もし、それでもまたこの転職の話を聞きた
 いと思うのであれば、聞きに来てください。」

給料のこと、僕の人となりなど、
転職を紹介する側として、
条件が合わなかったからなだけかもしれません。

ですが、

この返事が僕にとって大きな衝撃となりました。

もう一度やってみようかな…
今度は、この病休期間で再発見した
僕なりの教育観を全力でぶつけてみて…

こうして、僕は4カ月の病休を経て、

「教師に復帰する」という選択

をすることになりました。



僕が今「教師」という仕事をしているのは…


僕が今「教師」という仕事をしているのは、


自分と向き合う「4カ月の病休」という選択

そして、

転職エージェントの人の何気ない一言で「教師に復帰する」という選択

をしたからなんですよね。

今は自分の教育に正直に向き合いながら、
実践をしています。
もちろん全ての子どもたちに
受け入れられるものではまだまだないですが、
チャレンジ精神を忘れず、
公教育に向き合っています。


「子どもたちの人生に彩(いろどり)を」

これが僕の人生のミッション。

教師として、少しでもこのミッションを遂行できるように、これからも過ごしていきたいと思います。


さて、結果論ですが、

「4カ月の病休期間」は、

自分の人生にとって、
とてもとても意味のある時間

になりました。

教師は今、大変な仕事だと言われています。
教師不足も深刻です。
「#教師のバトン」にはマイナスなことしか書かれません。

でも、僕は

「教師」という仕事に誇りを持っています。
全ての子どもたちを受け入れる公教育に無限の可能性を感じています。
とっても素敵なお仕事です。

「4カ月の病休期間」という選択は、
僕自身の人生に彩(いろどり)を与えてくれました。

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