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#5 人生がはじまる瞬間 <研修先検討編>

こんにちは。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

僕は最近、コンビニに寄るたびに『かじるバターアイス』を探す日々を送っております。

さて、前回のあらすじです。

<前回のあらすじ>
地元、福島県で出会ったイチゴの味をきっかけに、自分が大好きなイチゴという作物の可能性を確信した僕は、イチゴ農家になることを決意しました。

就農までの道のり

農家になるにはまず作る作物のことを学ばなければなりません。
独立就農を志す場合、その学び方には主に二つの道があります。

①農業研修を受ける
農業大学校や研修生の受け入れを行っている農家さんのもとで農業技術を学ぶ方法です。
研修機関中の生活資金については農業次世代人材投資資金(準備金)の制度を利用し、年間150万円を最長2年間受給することができます。

②農業法人に就職して学ぶ
一般企業で働くのと同じように、企業や個人農家に雇用してもらい毎月定額の収入を得ながら、農業技術を学ぶスタイルになります。

いずれにせよ「どこで農業をやりたいか決まった時点でまずは地域の農政課に相談しに行った方がよい」と僕は思います。

その地域の農業に詳しい行政の方から具体的で有用なアドバイスを頂くことができるからです。

これは以前、全国新規就農相談センターでオンライン面談をした際に勝間さんがおっしゃっていたことでもあります。

研修先がない!

ちなみに僕は、①の道を念頭に行動を開始いたしました。

研修先を紹介して頂くために役所を訪問したのは、あのイチゴを味わってから一週間も経っていなかったでしょうか。

「この町で農業を始めたいんです」

県の農業振興課の門戸を叩いた時、担当者の岡本さんはむしろ歓迎してくださりました。

しかし、「いちご農家になりたいんです」と伝えると次第に表情が曇り始めました。

「はっきり言っちゃうと、この辺に研修生として受け入れてくれるようなイチゴ農家さんはいないんだよね……」

先ほどご紹介した農業次世代人材投資資金(準備金)の交付要件には以下の事項が定められています。

『都道府県等が認めた研修機関等で概ね1年以上(1年につき概ね1,200時間以上)研修すること』

ポイントはこの『都道府県等が認めた研修機関』という点で、研修先として認められるためには研修機関自らが地方自治体に申請を行わなければならないのです。

ただでさえ多忙な農家さんが面倒な申請を既に行っており、認可されている場合はラッキーなのですが、そうは問屋が卸さず、都道府県によっては自分が作りたい作物の研修先がないということはあり得る話なのでした。

「そもそもイチゴはお隣の栃木県が強すぎるからねえ……きゅうりとか他の作物はどう?」
「農業大学校の社会人向けコースで学びながら、週一とかでどこかのイチゴ農家に通ってみたら?」

岡本さんは親身になっていくつかの提案をしてくださいました。

しかし恐縮ながら、僕はどこかしっくりきませんでした。

どうしてもイチゴのという作物に注力したい。その思いが強かったからです。

八方塞がりのち急転直下

三日三晩、無我夢中で読み漁ったイチゴ関連の書籍をいくつかめくりながら、どうしたものかと思案いたしました。

そして、それこそイチゴのほんの先端をかじった程度の知識ではありますが、僕にはこんなイチゴ農家で学びたいという希望も芽生え始めていました。

①IT技術を取り入れ、科学的根拠に基づいた栽培を行なっているところ
②高設栽培であること
③複数品種を扱っているところ

もちろん全国を見渡せば、これらの要素を満たす研修先がなかったわけではございません。

けれど、他の都道府県で学んだ場合、学んだ地域で就農を開始しなければなりませんでした。

教える側としてはボランティアではなくその地域の農業を盛り上げるために、投資としてやっているので当たり前と言えば当たり前の話です。

やはりどこかで妥協する必要があるのか。僕がそう考えていた時でした。

「ここいいじゃん。飛び込みで行ってみたら? 一、二年くらいは貯金で生活できるべ?」

ちょうどリビングにいた父が僕の読んでいた雑誌のページを指差してこんなことを言いました。

ページには上記三つの要素を兼ね備えたイチゴ農家が紹介されておりました。

イチゴ農家になるには「行政を通じて研修を行う」か「農業法人に就職する」しかないと思い込んでいた僕には思いもよらぬ一手でした。

即決即断するしかない状況

その次の日には、僕は東北自動車道をひた走っていました。

生来、僕は行動力のある人間ではありません。どちらかといえば人と話すのは苦手ですし、自分のことを開けっ広げに話せる方でもございません。

それでも今回、即座に行動したのはそれしか残された道がそれしかなかったからです。

どこかで妥協すれば他に道はあったのかもしれませんが、妥協だけはしたくありませんでした。

妥協してしまえば、有楽町線で感じたあの惨めさをまた味わうような気がしました。

できることならばもうこれ以上自分を嫌いにはなりたくありませんでした。

無論、僕の頭にメルヘンなお花が咲いており、その根っこが雑草のごとく質が悪いことは否定するべくもございませんが。

イチゴの巨人

向かう先は埼玉県。これまで全く縁のなかった土地です。

今回は電話でアポを取っておりました。事務所に入ると、雑誌に載っていた社長が迎えてくださいます。

社長は自身もイチゴ農家である同時に栽培コンサルタントとしての顔も持っておりました。

オランダで学んだ知識をもとに、徹底した環境制御を行い、「24時間365日イチゴのことを考えている」そうです。

応接間で向き合うと、社長は「どんな用件で訪ねられたのですか?」と単刀直入に切り出しました。

ピンと背筋を伸ばし、威風堂々とした社長の姿には全くお年を感じさせない凛々しさがございました。

目の前のイチゴの巨人に対し、「ぜんぜん未経験なのですが、イチゴ農家になりたいんです!」おいそれと伝えるには勇気が入りましたが、伝えなければ話は始まりません。

僕は「地元でイチゴ農家を目指している」こと「研修生として受け入れて頂けないか」ということをたどたどしく伝えました。

「そうですか。うちでも若い子が何人か学んでるんです。いいですよ」

あっさりと快諾の返事を貰い、ほっと胸を撫で下ろしました。
すると、社長は「ただし」と付け加えました。

「やる気のない子には途中でお帰りいただくことにしてるんですね。そうしないと現場の空気がよどんでしまうんですよ」

どきりと心臓の鼓動が速くなりました。やがてその高鳴りが、冷たい恐れからぐつぐつとした熱情へと変わっていくのが分かりました。

はじまった瞬間

左利きのエレンという漫画に登場する海堂学長いわく、人生には”はじまる瞬間”というものがあるそうです。

学長の言葉を聞いて、これからデザイナーを目指す生徒たちは、そんなのわかるんですかねと苦笑いを浮かべますが、海堂はこうきっぱり断言しました。

「わかるよ。はじまったら はじまった時わかるよ」
――左利きのエレン(かっぴー)より

僕の中で明確に何かが変わった感覚がありました。

しかし、それは海堂学長の台詞読んでわくわくしたような高揚感や希望を伴うものではありませんでした。

それはもっと無機質で、電灯のスイッチがカチリと押された時のような無造作な変化でした。

「重々承知しました。八月からここで研修させてください」

自然と出た台詞はもはや自分の意志なのか、僕の夢が僕に寄生して言わせたのか判別できませんでした。

変化の対価

『人生がはじまった瞬間』が勘違いでないことを祈るばかりです。

結果はいずれ分かるでしょうが、もし勘違いだった場合、一日中毛布を被って身悶えすることくらいはお許しください。

こうして、埼玉に引っ越してイチゴ栽培の研修を行うことになりました。

それはつまり環境の変化であり、一つの変化には複数の変化がぶら下がってついているものです。

ですから僕はシステムエンジニアという職を辞し、二十代の大半を過ごした東京を離れなければなりません。

次回 ⇒ 「#6 また会う日まで <退職編>」



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