#4 あとには引けない選択 <作物決定編>
1週間ぶりにこんにちは。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
私事ですが、昨晩は「鬼滅の刃 無限列車編」に視線を奪われ、原稿を打つ手が完全に止まってしまいました。
映画館でも鑑賞しましたが、傑作は何度見ても良いものです。
ちなみに煉獄さんのこの台詞は作中で一番心に残っています。
「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」
――鬼滅の刃(吾峠呼世晴)より
さて、僕の中に「原稿から逃げるなァ!!」と叫ぶ炭治郎はおりませんでしたが、何とか夕方までに脱稿することができました。
前回のあらすじです。
<前回のあらすじ>
「好きな作物をやるといい」
参加した農作業ボランティアで、老舗農家の主から頂いたアドバイスに魅力を感じる一方、『好き』なだけで、本当にやっていけるのかという疑問が消えない僕は新たな観点を得るため、ある場所を訪れるのでした。
作物の条件
五月半ば、僕は地元の福島県におりました。
農という生き方を模索するにあたって、作物についてはずっと考えを巡らせてきました。
その中で、『幸せが前提の場所』を実現させるためには、以下二つの要素を兼ね備えた作物が必要であると考えていました。
(根拠についてご説明しようとすると、また長ったらしくファンシーな文章がそれこそ一記事以上続くことになってしまうのでを割愛させて頂きます……)
①ブランディングがしやすそうなこと
カッコよく申し上げてみましたが、奥深い意味はございません。
『見た目と素材の味にインパクトがあること』ということです。
②ふらっと来て食べられること
収穫したその手で作物をそのまま食べることができるという意味になります。
皆様はこれらの条件に当てはまる作物をいくつ思い浮かべることができますでしょうか。
僕の場合は有り体に言って『たくさん』でした。
きゅうり、トマト、ぶどう、さくらんぼ、ブルーベリー etc.
どれも獲れたての状態を想像すると、よだれが滴ってしまうようなポテンシャルを秘めています。
そんな中、前山田さんから頂いた「好きなのやったらいいんじゃない?」のお言葉。
新たに『③自分が好きな作物』という条件を加えると、ふと意識にのぼった作物が一つございました。
憧れの先輩
行き先はとある農園でした。
昨年脱サラをして故郷の地に戻り、営農を始めたのは僕よりも十以上の先輩です。
農園のホームページには震災をきっかけに価値観の変化があったと書いてありました。
彼の文章を読んだ時に感じた強い憧れと興味のままに車を走らせ、目的地には1時間程で着きました。
右手にビニールハウスの棟が、左手には可愛らしいログハウスが見えます。
温かみのある直売所の中には薪ストーブがあり、店員の方が元気よく迎えてくれました。
僕は事前にオンラインで購入していた箱を受け取ります。
そして店を出ると、ビニールハウスの近くで作業している人影を見かけました。
そのお顔はサイトのトップページに載っていた写真そのままでした。
今にして思えば、なぜ事前にアポを取らなかったのかと過去の自分を叱責したくなります。
僕は半ば衝動的に彼に歩み寄り、ワナビーなのかファンボーイなのか、どっちつかずの立ち位置で「自分も農業を始めたいと思っているんです」というようなことを話してしまいました。
爽やかな表情で僕の話を聞いてくださったKさんには頭が上がりません。あまつさえ、こんな提案までして頂けるとは。
「ハウスの中、見てみる?」
朱色の果実、未経験から参入する現実
ぽかぽかと暖かい白いビニールハウスの中、畝の上には緑色の小さな木がずらりと植わっております。
ツルの先にはルビーのように照り輝くイチゴの実が成っておりました。
この煌びやかな光景に見惚れるなというのは無理な話です。
KさんはNPKもよく理解していなかった僕に颯爽とハウス内の設備を説明してくださり、こう結びました。
「まあ、全部建てるのに1億近くかかったけどね」
さーっと身体から熱が引いていくのが分かりました。
「ぶっちゃけ、イチゴってビジネス性は低いと思うよ。なんでかっていうと、先行投資はかかるのに収穫できる果実の量がある程度決まっちゃってて、儲かる量は頭打ちだから。お客さんが来なかったら在庫を捌く必要もあるし」
Kさんは淡々とありのままの実情を語ります。
しかし、そんな彼の顔にも今まで出会った人たちと同じような――兵庫のおやっさんや前山田さんが見せたような――飄々と逞しいあの笑顔がありました。
「でも、僕はこの先祖代々続く土地でやりたいって思ったから。お金儲けとか関係なくね。そう決めたらやるしかないですよ」
彼らがいる場所が果てしなく遠く感じました。
僕が呆然と圧倒されていると、Kさんは脈絡なく、本当に何気ない仕草でイチゴの果実を一粒摘み取って差し出してくれました。
「食べてみる?」
お礼を言ってそれを受け取り、何の気なしに口に運びます。
美味しさが魅せる未来
一口噛んだあの瞬間を僕は生涯忘れることがないでしょう。
霧のように漂っていた予感がぎゅっと固まって確信に変わった感覚がありました。
口の中にじゅわっと広がる果汁と濃厚な甘さ。
強烈に感じた幸福感は言葉では到底言い表せません。
「めちゃくちゃ美味い……」
ただただそう思いました。それはお世辞でも思い出補正でもございません。
洗練された素材の美味しさがそこにはありました。密かな魔法として、こだわりと意志を宿しながら。
端的に言って、僕の大好きな味でした。
選択の本質
卓上のルーレットが回ります。
狙うは『15』の一点賭け、ストレートアップベットです。
個人的にではありますが、進学も就職も、最愛のパートナーと添い遂げることも、どんな選択も本質はギャンブルと変わらないのではないかと思います。
と言うと、顔をしかめてしまわれる方もおりますでしょうか。
ですが、何もそれは『正解を引き当てること』だと申しているのではございません。
選択とは『未来の気配に誘われること』だと僕は思っております。
プレイヤーも数字を当てること自体が目的なわけではないでしょう。きっとその先には山のように積み重なるチップの光景が見えているはずです。
そしてその光景は現実になるまで、その人自身にしか見えていない未来のはずです。
キャッチャー・イン・ザ・ストロベリー
芳醇なイチゴの香りが満ちた車の中で僕はイチゴ農家になることを決意しました。
この全く異なるキャリアチェンジが一点賭けを成功させるくらい難しい試みであることは承知の上でございます。
ですが、ルーレットと違って運命に関与できる点は僥倖と言えましょうか。
Kさんのイチゴを食べて明確に浮かんだイメージがありました。
それは青空と草原です。
その場所で子供たちが仲良くイチゴを頬張って笑っているのです。大人たちは一歩引いてビールやワインを傾けながらそんな風景を微笑ましくを見守っています。
ふと、今はまだ僕にしか見えていないこの『幸せが前提の場所』は、世界で最も青臭いあの台詞に通ずるものがあると気付きました。
「小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが見えるんだよ。何千っていう 子供たちがいるんだ――僕はあぶない崖のふちに立っているんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ」
――ライ麦畑でつかまえて(J.D.サリンジャー)より
とこんな具合にその時の僕は、良く言えば希望とやる気に満ち溢れており、悪く言えば浮ついておりました。
こういう心境の時にこそ、メフィストフェレスは忍び寄ってくるものです。
数日後、県に新規就農の具体的な相談をしに行った際でした。
担当者から「ちょっと前に法律が変わってねえ……今は県内にイチゴ農家の研修先はない。他の作物にした方がいいんじゃない?」と出鼻をくじかれることは全く想定しておりませんでした。
次回 ⇒ 「#5 人生がはじまる瞬間 <研修先検討編>」
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