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好きな本レビュー第1回目 『西條奈加/千年鬼』

読書が趣味の人間による好きな本レビュー、第1回目です。
映画レビューの記事のやつも含め見出し画像は自作なのですが、なんか読書レビューのやつは謎に80年代アメリカ風になってしまった。作り直すかなぁ・・・
というわけで記念すべき第1回目好きな本レビューです。


西條奈加『千年鬼』

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こちらとの出会いは立ち読みです。私はことあるごとに書店をぶらつくのが好きなのですが、今回もそうしていた中で出会いました。
「千年」と「鬼」というキーワードの組み合わせになにか大きな歴史スペクタクルのような、ドラマチックなものを期待してパッと手に取り、冒頭をパラ見。(個人的に、冒頭がするするっと読めればこの本は相性が良いということになるのです)
まんま勢いで最初の話をその場でぜんぶ読んでしまいました。


鬼の芽は鬼ではなく人に宿る
恨み辛みを糧として
ときにゆっくりと ときにひと息に 身内に育つ
やがてその実がはじければ 額に二本の角をもつ 人鬼となる
げに恐ろしきは 鬼ではなく この人鬼なり

本の冒頭の文にあるこの「鬼の芽」を摘んでいく小鬼の物語です。
恨み辛みを糧として、人の身内に育ってゆく「鬼の芽」。
チラッと想像しただけでも誰にもちょっとだけ身に覚えがありそうなことでなんだかギクッとさせられます。

それぞれの話で主人公が違い、様々な時代、それぞれの人にまつわるストーリーかと思いきやとんでもない、この話すべてにはとても大きな背景が。
最初の話を読んだだけでは人情感に溢れた一回一回結末のある話かと思ってしまうが、読み進めていくうちにこの小鬼のとある切ない思いが永きにわたって紡がれた、とても壮大なひとつの話であることがわかってきます。
人に「過去世」を見せることのできるこの小鬼。
食べ物をもらった恩として、出会った人が見たい過去を見せてゆきます。
亡くなった母親、誰かに殺されたに違いない恋人、起きた事件の真相・・・
過去の出来事の本当の姿を知ることで、それぞれの人の心が結末を迎え、宿していた鬼の芽が摘まれてゆく。
だけど、小鬼がこの人々に出会い鬼の芽を摘むのにはわけがあって、それがもう切ない。


ボロボロになってゆくこの小鬼と、迎える結末、変えられないこと、そんな決まりごとの中にも生まれる希望。
「地獄とは、希望の絶えた世界です」との文が刺さります。

哀しい、切ない、そんな中に最後の最後でもひと掬いの希望がある。
小さな希望を残して終わる、かなりキュンときてしまうラストでした。

地獄と見誤ってしまうような現実でも、ちょっとの希望があれば地獄にはなり得ない。天国のような場所でも胸に絶望しかなければそこは地獄。
地獄とするか希望のあるものとするか、こころ次第。

この本からはそのようなことを伝えられたような気がしました。

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