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アミ小さな宇宙人 第5章 誘拐

アミを一度は信じたペドロ。しかしアミが円盤を取りにしばし姿を消すと急に、「誘拐されるのでは?」と不安を感じ始める。

野放しの想像力は、コントロールできず恐怖で人を殺したり、良い人ばかりの中に悪やバケモノを作り出してしまう。
現実はもっと単純で美しいもの。そうだと知っていれば訳のわからない恐怖に呑み込まれることも不安を感じることもないとアミは言った。

これは、
「馬鹿な旅人の話」に通づるものがある。

これは『フルーツバスケット』ってアニメに出てくる話なんだけど(ずーっと昔にこれと似た話を聞いたことがある気がしてるけど思い出せない。)

馬鹿な旅人は、騙されるということを知らない。

周りからは馬鹿だお人好しだと笑われて騙されまくって利用されて身ぐるみ剥がれて、終いには目玉まで取られてしまう。
だけど本人は騙されているとは思わない。

見えない目で、目の前の相手が喜んでいると信じて「あなたが喜んでくれたなら私は良かった。良かったですね。」と涙を流して喜ぶ。
相手がもう目の前にいなくても、ベロベロバーをして「お前馬鹿じゃねえの??」と嘲笑っていようとも。

実は騙されているかどうか?ということは旅人にとって関係なく、
私がそれをしたいからする、という単純な思考で行動しているだけなので全く見返りを求めていないだけなのだ。

それは例えるならば、自分の気ままにしか行動せず自分が来たい時だけ寄ってくる猫の様な感じだ。猫が側に来る時は嘘偽りなくただ側に居たいからで、こちらの顔色など全く疑わないし伺わない。忖度もない。 

なので持論だけど私は「猫は神(愛)の化身」だと思っている。ヒトも猫の様に生きられたら、と。

フルバ繋がりでも一つ言えば、猫はそんな無償の愛の存在だから当然とても愛されて最後に永遠の絆を望まれるんだけど、気高く「永遠は望まない、あなたの側に居られて幸せでした」と言い切ってその生を全うし1人で死んでゆくんだよね。


アミに話を戻すと、

自分の胸の脳(愛)に従って、自分に出来る事をやりたいように一生懸命する。

アミの言いたい「単純で美しい事」とはこれじゃないだろうかと思っている。


自分の知識や技術を磨く事は、面立っては人生の目標とか思われがちだけど、その根っこは大なり小なり愛(好き)であって、

競うことや、比べられたり評価されたりして凹んだりしながらも更に上を目指したり、挫折したりしながらも諦めずにやり続け手に入れるもの、そうやって磨かれた技術や、作り出された作品は風に乗り世界へと広がってゆく。

知識や技術、作品は、愛が羽ばたいていくのをサポートする為の道具、つまり翼なんだ。


出来ることを1つでも増やして翼を得、心(愛)をサポートできる様にする事。

神様から借りた身体を使って、今出来る事を懸命に。

それが愛に生きるって事。

この身体で、それを全うしようとする事。

それが人生なんだ。



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