見出し画像

インナーチャイルドは決して赦さない

はじめに

こんにちは。虐待サバイバーの明日葉 ありすです。
今日は、昨日書いた“父の個人史”についての続きを書いていきます。

決して耳障りの良い内容では有りません。負のオーラで満たされるような記事になると思われます。不快に思われる方はブラウザバックをお願い致します。

昨日の記事に興味を持っていただけましたら、下のリンクからご一読ください。

冷静

昨日、記事を出した後、夫のマッドさんから
「すごく冷静に淡々と書いてると思って」と言われました。
確かにそうだな、と思います。

実際、主人格の私はこういった“情報の整理”をする時、必ずソースを探しに行きます。

昨日の記事であれば、父や周囲の言っていた「へいきがっこう」や「こうかかい」「おおさか」「ぞうへいしょう」という言葉のソースを、まず探しに行きます。

それぞれ、「陸軍兵器学校」、「工華会」、「大阪空襲」「大阪陸軍造兵廠」だった事が分かりました。父や周囲が話していた事柄の信憑性、裏を取りに行ったわけです。

元々私は、こういう作業が好きです。
何につけても、情報のソースやエビデンスを探しに行くという行動が身についているようです。

そうやって情報を探しに行くうちに、「調査」しているような気分になって、嫌でも「冷静」になって行くのは事実です。
ですから、淡々と書けてしまいます。

調べているうちに冷静になる。色んな場面で使える方法でもありますね。

蛮行

昨日の記事でも少し触れましたが、父の育成環境が過酷だった事は事実ですし、同情もします。ですが、私に対して行ってきた事は、決して正当化出来る物では有りません。

辛い過去が有ったからと言って、他者、それも我が子が障害を負うほどの蛮行を繰り返す事など、許されるはずが無いのです。

「戦争という想像もできない時代を過ごしてきたんだから、許してあげたらどうか」、などと仰る方が居るかも知れません。

ですがそれは、“思いやり”や“優しさ”を一切与えず暴力で支配する人間に対して、“思いやり”や“優しさ”をもって許せと言っているのと同じです。
そういったセリフは、マウントした上で更に相手を傷つけるだけの行為です。そしてそれも蛮行です。

「許せないのは辛いよ」などと諭しますか?
ですが、それは単なる傲慢です。他者の軸で評価され指図される理由など、誰にも有りません。

傷の多さも深さも、そこから少し感情を遠ざけられるようになるまでの時間も、人それぞれです。

解離

私は、複雑性PTSDの他に、解離性同一性障害も患っています。多重人格と言ったほうが伝わりやすいかも知れません。
主治医とのセッションで、20人前後は別人格が居ることが分かっています。

幼少期、日常的に命の危険を感じるような暴力や、自尊心を壊滅的に叩き潰される環境に晒され続けた為です。
トラウマケア専門 こころのえ相談室から引用します。

障害となる解離症状が起こるのは、その人が生きるか死ぬかのギリギリの状況で、決死の覚悟で挑むものの敵わなくて、脅かされることが続き、何処にも逃げる場所が無く、崩壊するときに、身体・時間感覚、思考、情動が捻じれて、バラバラになります。

人は命を失いかねない危機な場面に曝されると、人は目の前で起こっている出来事から少し離れた位置に身を置き、自分を危険から切り離そうとします。そして、大きな外傷性ショックに対して、心と身体は分離し、知覚の断片化や意識の喪失、二つ以上のあいまいな自分が存在するような状態になることがあります。

慢性的に身体は凍りついて、自分のことがよく分からない感覚のなかで、保護する人格耐える人格ただ笑う人格自分を傷つける人格など、人格がいくつもあるなかで暮らしています。このように長期に渡って、緊張が強いられ、自分の命を守るためとか、必要に迫られることで様々な人格に分かれていきます。

子どもが可哀想な子ども(交代人格)を作ることはとても悲劇的なことです。なぜなら、子どもが加害者から暴力などを振るわれるときに、可哀想な子どもが身代わりになるからです。この解離症状は本来の私を守っているとも言えますが、この恐怖や痛みをを切り離す行為が、可哀想な子どもを切り捨てたことにもなるので、罪の意識に苛まれ、自分で自分を責めることがあります。さらに本来の私が背負うべき罪悪に対して、神のように振る舞う悪魔的な人格部分が背後から見ており、許されてはいけない罪を何倍もの懲罰にして返すことがあります。そして、自分の体を傷つけて拷問的苦痛を与えたり人間と関わり傷つけ憎しみ合わせるようにお金を盗んだり、掲示板でなりすましてレイプのお膳立てをしたりと、それは現実の加害者の何倍もサディスティックに振る舞います。

解離性同一性障害の原因

敵対

私の別人格の中には、私を快く思わず、敵対しようとする別人格が多く存在します。冷静に分析して、怒りや呪いから一歩距離を置いて考える私や、前に進もうとする私を忌み嫌っています。

父に対する私の感情は、愛情や許しではなく憐れみのようなものなのですが、「なぜそんなに冷静で居られるのだ」と苛立ち、怒りも呪いも内包したままで居ます。

また、身代わりに殴られてきた子は、私の中でまだボロボロに傷だらけで、やはり私の行動を理解できず、ただただ苦しみ、悲しんでいます。

今まで私を守ってきてくれたことに感謝して、「もう大丈夫だから休んでいて良いんだよ」と話しかけますが、インナーチャイルドたちが背負わされてきた物があまりにも大きすぎて、警戒態勢を解けずに居るようです。

「あんな親は殺したかった」と思い続けている子は、濁りきった澱を吐露するために人格交代をして表舞台に立ち、加害者の何倍もサディスティックに肥大した子は、私の歩みを止めようと心身の不調を引き起こし、私を真っ向から否定し、時に自傷行為を伴います。

目立ったことをすれば殴られ続けてきた子は、外に出ることを極端に怖がり、外へ出る私が好きではありませんし、いつもボロボロなこの子を「情けないヤツ」と見下し、唾を吐くようにこき下ろす子も居ます。

総じて、私を通して見る両親を呪い、父が癌で亡くなったことを喜び、まだ健在な母が早く死んでくれれば良いと心から望んでいます。
ですから更に言えば、常識的に考えて“人を殺してはいけない”から“殺しちゃダメ”と中の子を止めてきた私を、実害を与えた両親以上に憎んでいます。

麻痺

私がやけに冷静に虐待について書けるのは、ある意味「麻痺症状」が続いているせいかも知れません。あるいは、敢えて感情に蓋をしているだけで、自覚がないのかも知れません。

というのも、こういった記事を書いた後、必ずと言って良いほど心身のバランスを崩すからです。おおかた、中の子たちとの確執が有るからだろうと思います。

表に出ている私を知っている人、あるいは私の文章を読んでくださる方の一部は、「アグレッシブな人」「冷静に分析できる人」あるいは「俯瞰して見られる人」と感じるかも知れません。

ですが実際のところ、私の中で細分化してしまった子達の殆どは、いまだに親を恨み呪っていて、前向きでも冷静でも有りません。

寧ろマッドさんが言うように「中の子達と同じ様に父親を恨んでいられたほうが、ある意味では楽」だというのが実際です。

おわりに

ここまで自我が細分化してしまうと、本当の自分がどんな人間なのか、全く分からなくなります。ですから、いつまでたっても自信が持てません。
こうやって書いている自分は、ただ格好をつけたいだけなのかも知れません。

恨みも呪いも、全て手放す必要など無いでしょうし、赦せない思いが私を後押ししている事も確かです。
愛情や赦しと言った、いかにも「良い人そう」な実態を伴わない幻想、或いはファンタジーは、拘れば更に自分を苦しめることになりかねません。

そんな心を縛る枷は一度全てかなぐり捨てて、自分を全面的に「そのままで良い」と認めるところから、また歩んでいけるのだと思っています。

#虐待サバイバー #毒親 #アダルトチルドレン #複雑性PTSD #解離性同一性障害 #親ガチャ #児童虐待

記事を評価して頂ける様でしたら、ぜひサポートもお願い致します!頂いたサポートは、クリエーターの活動費、愛するニャンコ達のおやつ代として使わせていただきます!