A
初めてのインドから半年後、再びインドへ。
19歳、初めての海外旅行。
2回目のインドから半年後、またまたインドへ。
11日目 ⇦前回 2回目のインド旅を終えて、大学2年の秋学期がはじまった。前までは週5でバイト、週2でフットサルをして、朝まで飲むこともたくさんあった。そんな目まぐるしい日々から一転、バイトを一つ辞めたことで時間の余裕がかなりできた。ちゃんと大学に行って、授業が終わったらまっすぐ帰宅するなんて、入学以来初めてだった。 余った時間で本を読んだり、映画をみたり、今まで忙しくて会えなかった人たちと飲みに行ったり、なかなか有意義な時間を過ごした。しかし2ヶ月くらい経つと、その
10日目 ⇦前回 朝、宿を出る前にオーナーからりんごを5個もらった。なぜこのタイミングでりんごなのか、なぜ5個も渡してきたのか、よくわからないが、ありがたく受け取った。 搭乗前に食べ終えることを条件にりんごの持ち込みを許可され、搭乗口でムシャムシャとりんごを丸かじりしていた。そんなヘンなことをしながら、昨日言われた言葉を思い出していた。 サンティー・ストゥーパからの帰り道に、アウトドアショップが軒を連ねていた。日本で登山を何回かしたことはあるものの、まだ登山靴など
9日目 ⇦前回 メキシコ人たちと一緒に朝ごはんを食べて、バス停まで見送ってお別れした。そのままバスに乗ってどこかに行こうかとしたが、どこに行けばいいのかも良くわからなかった。 そのまま街をぶらついたいたが、昨日ゴンパ(お寺)に行って感動したのを思い出し、ティクセ・ゴンパというお寺にバスで行くことにした。 ティクセに着いたら教えてもらおうと思い、隣のおばちゃんに「ティクセ!ティクセ!」とアピールした。しかしおばちゃんが教えてくれることなく、終点に着いてしまった。な
8日目 ⇦前回 朝早く起きてしまったので、朝ごはんを食べにメインバザールへ行くことにした。レーのメインバザールは車が通れないようになっていて、騒音もクラクションもなかった。おかげで空気が澄んでいて、インドじゃないみたいだった。 他の街にあるようなチャイの屋台もなかった。代わりに安そうな店に入って、サモサとチャイを注文した。隣でモリモリとサモサを食べる欧米人に、「そのソースに付けてみてもいい?」と声をかけられた。会話が弾むかと思ったが、そんなに盛り上がらず、食べ終えて店
6・7日目 ⇦前回 朝の3時に宿のお兄ちゃんに見送ってもらって、レー行きのバスに乗った。バスは小さくて、10人くらいが乗っていた。私が最後の乗客で、一番後ろの席に座った。 登っていくとすぐに森林限界に到達したようで、岩とコケだけの世界になった。途中で羊の大群(大群という言葉がぴったり)を連れた羊飼いに出会った。こんな数の羊を目にしたのは生まれて初めてだった。 ところどころチェックポイントがあり、兵隊にパスポートを見せることもあった。チェックポイントには茶店があり
6日目5日目 ⇦前回 昼の12時過ぎにマナリに着いた。バス停で客引きに捕まってホテルへ直行した。宿の値段は高かったが、「観光地だから何処もデリーより高いで。何ならウチ安い方やし」と言われ、決定。高いだけあって良い部屋だった。 宿のオーナーにレーに行きたいことを告げると、2日後の早朝にバスが迎えにきてくれるように手配してくれた。 昼ごはんを食べ、洗濯をし、休憩してから散策に出かけた。マナリの旧市街はヒッピーの聖地的な場所であるらしく、カラフルでそれっぽい雰囲気だった
4日目 ⇦前回 朝、昨日と同じところでチャイと味なしパンを食べる。店の人が自分の顔を覚えてくれたみたいで、手を振って挨拶してくれた。嬉しい。 今夜にバスでマナリに出発するが、それまでやることがない。この臭い街から一刻も早く出たいと思いながら、あてもなくブラブラしていた。 途中、道端に椅子を置いて髭剃りをしているおじさんを見かけた。髭がボーボーだったので、そろそろ剃ってもいい頃合いだった。聞くと20ルピーだと言うので、順番を待って剃ってもらった。 椅子に座ると、
3日目 ⇦前回 朝、外でチャイと味なしパンを食べ、リシケシへ出発した。ハリドワールのバスターミナルで「リシケシに行きたいんだけど」と質問すると「あっちだ」と言われ、その先でも別の「あっちだ」と言われ、それを5回くらい繰り返してリシケシ行きのバスを見つけることができた。出発を待っていると、地元っぽいインド人も「これはリシケシ行きであってるか?」と聞かれた。もっとわかりやすくすればいいのに。 リシケシに着くと、私と欧米人2人組にリクシャーが大量に押し寄せてきた。困ったなあ
2日目 ⇦前回 ハリドワールに向かう列車は快適で、日本でもあるような普通の特急の席だった。サービスで朝ごはん(かたいパンとフニャフニャのお菓子)とチャイが出てきた。ぎゅうぎゅう詰めの電車の方が旅情緒があっていいなと思ったが、ゆっくりiPadで本を読んでいられたので、それはそれで良かった。 気付いたらハリドワールに着いていた。アナウンスも何もなく、気付けたのが奇跡なくらいだった。停車してからしばらく経っていたので、慌てて電車から降りた。駅を出て、iPadにダウンロードし
1日目 ⇦前回 昨日の出来事で身も心も疲れていたが、頑張ってチャイを飲みに外へでた。外に出れば、楽しいインドがまた味わえるはずだ。 チャイを飲んでいると、いろんな人に話しかけられた。「どこからきたの?」「どの街に行く?」と、お決まりの質問たち。あるリクシャーにインドが好きで来るのは2回目だと言うと、向こうもノってきて、個人的なことも話すことができた。やはり、外に出て人と話せば楽しいのだ。 昼にチケットをお願いしていたチャンさんと会った。半年前にチケットを取ってもら
2回目のインド旅 ⇦前回 夜の10時すぎにデリーに着いた。宿はニューデリー駅に近いメインバザールの外れに取っていた。そこまではメトロで行こうと決めていた。前回空港で泣きそうだったあの頃の自分とは違うのだ。 ニューデリー駅は悪名高く、たくさんの旅人が詐欺に遭っているという。メインバザールに行くならば一個前の駅で降りてトゥクトゥクに乗るべきだが、前回駅を利用したから大丈夫だろうとタカをくくっていた。 メインバザールとは反対方向にでた。チケットがなくても構内には入れるの
前回の旅を終えてから、旅人のバイブルと呼ばれている「深夜特急(沢木耕太郎著)」を読んだ。とても面白くて、すぐに繰り返して読んでしまった。やはり旅は面白いものだと確信し、これからも旅をしよう、次はどこがいいかと考えていた。 1回目のエピローグで書いたように、だんだんとインドにもう一度行きたくなっていった。インドの観光ビザ(取得がめんどくさい)の期限を確認すると、旅を計画していた期間までギリギリ残っていた。これを決め手に、2回目のインド渡航を決めた。今回は10泊12日である。
帰国してから3週間後、全日空から電話がきた。私宛の荷物が羽田に着いたとのことだった。着払いで家まで送ってもらい、無駄に買わされたお土産たちと再会した。もう戻ってこないものだと思っていたから、とても嬉しかった。 刺激的な旅を終えてから、もとの日常生活に上手く順応できなった。戻ってすぐに学校・バイト・フットサルと毎日忙しい生活を送っていたが、いろんなことに身が入らなかった。あの2週間が夢のようで、その夢から抜けられないような感覚に陥ることもあった。ぽっかりと空いた穴を埋める
夜中に何度も起きて、上からも下からも出せるものは全部出した。部屋はものすごく暑かったが、エアコンはないし、ベッドの上にあるファンを回すと風が直接当たって余計体調を悪くしそうだった。持っている水で当たってしまったのかもしれないが、それを飲むしかなかった。いつまでも体調が良くなる気がしなかったが、チェックアウトの時間まで横になっていた。果たして無事に帰国できるのか、本気で不安になった。 時間になってなんとか外にでた。外はカラッとした暑さで、息をしているだけで苦しかった。近く
明日の飛行機で帰国するので、今日中にはアムリットサルに戻らなければならなかった。できれば夕方までに戻ってパキスタンとの国境で行われるセレモニーが見たかったが、帰れる雰囲気ではなかったので家でゆっくりした。 昼ごろにショッピングモールに出かけて、なぜか買い物がはじまった。モヒートのお母さんになぜかズボンを買ってもらい、マックをご馳走してもらった。 ショッピングモールを出て、バス停まで連れて行ってくれた。このバスでアムリットサルまで行けるらしい。ついにお別れだった。この
9時過ぎに起きた。10時間以上寝ていたことになる。モヒートの家に来て安心したのもあるだろうが、旅に疲れていることは確かだった。 朝ごはんは彼のおじさんがやっている食堂に食べに行った。チャパティの中にカレー風味ジャガイモとバターが入ったものが、インドで食べたものの中で一番美味しかった。おじさんは優しくて、チャイやラッシーもご馳走してくれた。 その後はパンジャーブ州の博物館みたいなところにも連れて行ってくれた。歴史の映画を見たが、上映中はずっと寝てしまった。 夕方家