12日目

 明日の飛行機で帰国するので、今日中にはアムリットサルに戻らなければならなかった。できれば夕方までに戻ってパキスタンとの国境で行われるセレモニーが見たかったが、帰れる雰囲気ではなかったので家でゆっくりした。

 昼ごろにショッピングモールに出かけて、なぜか買い物がはじまった。モヒートのお母さんになぜかズボンを買ってもらい、マックをご馳走してもらった。

 ショッピングモールを出て、バス停まで連れて行ってくれた。このバスでアムリットサルまで行けるらしい。ついにお別れだった。この3日間、私はほとんどお金を使わなかったし、色々と本当に良くしてもらった。今度家族で日本に旅行するつもりだと言うので、「今度は俺が案内するね!」と言って、お別れをした。

 無駄にゴージャスで、ドアを開けたまま走るバスは、信じられないほどのスピードを出していた。道が整備されていないところでもスピードを緩めることはなく、何度も揺れたり飛んだりしていた。停車するたびに売り子が入ってきて、フルーツやらガラクタを売り込んでいた。車内には爆音でヒンディー・ミュージックが流れていた。途中から鬱陶しくなって、イヤホンでビートルズのホワイトアルバムを聞いた。このアルバムのほとんどがインドで作曲されたことを思い出し、これをインドで聞くのもいいな、と悦に浸っていた。

バスの前方にあった、ゴージャスな神棚(っぽいやつ)


 アムリットサルに着いて、黄金寺院の横にある巡礼宿に向かった。ここはタダで泊まれるので期待していたが、外国人用のベッドはもういっぱいだと断られてしまった。もう6時を回っていたし、仕方のないことではあったが、一気に疲れてしまった。宿を探す気力すらなくなってしまった。

 黄金寺院の隣の広場はアムリットサル事件の現場であったらしく、爪痕がはっきり残っていた。イギリス兵がここから銃弾を撃ったとか、民衆はこの井戸に身を投じたとか、様々な説明もあった。そうか、そんなことも勉強したな、と思ってボーッとしていると、いろんな人に声をかけられた。「マニー」と言ってくる物乞いや、英語ではない言葉でずっと話しかけてくる人、ただ「ハロー」と笑顔で握手を求めてくる子供たち。

 いつまでもボーッとしているわけにはいかなかった。気を吐いて宿を探しに歩きはじめた。一軒目はもう空いていないと断られてしまったが、二軒目でエアコンなしの個室を確保した。1時間ほど仮眠して少し元気になってきたので、黄金寺院の無料食堂にいこうと外へ出た。

 夜の黄金寺院はすごかった。ライトアップされて、昼間よりも神聖な空気をまとっていた。夜風をあびながら、中で行われているであろう演奏を聞きながら、黄金寺院を眺めていた。この旅の終わりにふさわしいような、いい気分だった。

 無料食堂に行く元気もなくなってしまって、帰り道の適当な飯屋で済ませることにした。無料食堂は明日の昼にまた行けばいい。

 宿に戻ると、お腹が少し張っているような気がした。トイレに入ると、一気に下痢がはじまった。ついでに、便座に座ったまま向かいの洗面台に嘔吐した。
 なにかの食べ物が当たったのか、1週間前にガンガーで沐浴したせいなのか、原因はわからないが、とにかく苦しかった。本当に死ぬかと思うくらい、苦しかった。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?