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学生時代のブログに残していた過去記事を転載し、雑多な興味関心を綴っていきます。主に留学…

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学生時代のブログに残していた過去記事を転載し、雑多な興味関心を綴っていきます。主に留学や仕事で訪れた中国での体験が中心になります。

マガジン

  • 南京留学日記

    大学時代、多感な21歳〜22歳を南京で過ごしました。当時の日記を少しずつ転載していきます。

  • 西安旅行記

    過去の旅や思い出や経験を共有することで、同じ場所を訪れる人や過去の旅行に興味がある人に役立つことを願っています。

記事一覧

固定された記事

自己紹介

はじめまして。 このnoteは、私が学生時代に書いた旅行日記を再掲載するためのものです。実は以前、WordPressで運営していたサイトがあったのですが、自分の技術不足とネ…

asha
1か月前
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みんな、このトリに夢中です

南京に来てからお世話になっている、中医薬大学のH教授の息子さん、テン君がランチに南京のおいしいものをご馳走してくれると言ってくれました。 ありがたいことです。 …

asha
1日前
4

アパート契約まで、1ヶ月間滞在した学生宿舎

南京大学の外国人学生用の宿舎「西苑」は、20階建ての建物です。 (南京市上海路金銀街20号) 部屋の種類 部屋のタイプは以下の3種類があります。 1. トイレとシャワー…

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2日前
3

もう騙されない

「不要」(いりません)もう絶対に騙されるまい。 上海から南京への列車の中で、ずっと考えていました。 これからは何か余計な接触がある前に、すかさず言おう。そう心に決め…

asha
4日前
3

上海発、南京行き――驚きと教訓の3時間旅

巨大な上海駅空港から上海駅まではタクシーで約1時間。 近代的なビル群を抜け、百貨店やホテルが立ち並ぶ繁華街に入っていくタクシー。ぎっしり並んだタクシーの列と誘導係…

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4日前
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未知なる南京へ——インターネット黎明期のサバイバル準備

2003年、インターネットがまだ黎明期で、情報の海は今ほど豊かではありませんでした。 私は大学の単位交換留学制度を利用し、9月からの約4ヶ月間を、江蘇省南京市の南京大…

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5日前
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陕西八大怪第四怪:大きすぎる飯茶碗でかきこむ、農家の食事

陝西省第四の不思議陝西省の飯茶碗、老茶碗陝西人は食事の際に、まるでたらいのような大碗を使う文化があります。 その大きさは、金魚鉢ほどの直径があり、まるでたらいの…

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11日前
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陝西八大怪第三怪:唐辛子への愛

「陝西八大怪」は陝西省の八大不思議というような意味です。 郷土の風習を端的に表す8つのキャッチフレーズのようなもの。 第三怪は唐辛子について。 豊かな土地が産んだ…

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12日前
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陝西省八大怪、第一怪、第二怪:小麦文化の奥深さ

北は麦作、南は米作 陝西省、特に西安を含む関中地域は、麦作地帯です。 関中地域の南には秦嶺山脈という標高2000〜3000m超えの山脈が広がっていて、この山脈が中国大陸…

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2週間前
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陝西八大怪(陝西省の八大不思議)

西安旅行のお土産に買ったハガキに書かれていた、陝西八大怪。 「怪」とは、中国語では、「珍しい」「風変わり」「ユニーク」といった意味があります。 つまり陝西八大怪…

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2週間前
5

西安市動物園へ、移転前の訪問

2003年、現在の秦嶺野生動物園の前身である、長楽公園内の西安市動物園を訪れました。 その日は晴れていたのに、園内の雰囲気はどこか沈んでいて。 動物たちの元気のなさ…

asha
3週間前
5

大雁塔地下宮殿

大雁塔からの帰りにバスを探していて、西に曲がったところで急に視界に入ってきた地下宮殿。ここは公式の大雁塔の地下宮殿ではなく、かつての防空壕を利用して作られた商業…

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3週間前
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玄奘三蔵と大雁塔:仏教の旅人とその遺産

唐代、中国の歴史の奥深くに輝く一人の高僧が大胆な旅に出ました。 玄奘玄奘三蔵。 彼は仏典を求め、未知の地を踏破しました。明代に創作された西遊記の三蔵法師のモデルと…

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1か月前
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唐代は中国人の心のふるさと:大雁塔

「中国人の心のふるさと」 唐代はよく中国人の心のふるさとといわれます。 長安はローマと並ぶ世界大都市。 多くの文化が融合し思想が生まれ、強大な国力を誇った中国史…

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1か月前
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西安のランドマーク、鐘楼と鼓楼

(2003年9月16日、友人と行った西安旅行の記録です) 西安市内でひときわ目を引くのが、市の中心にそびえる鐘楼です。かつてこの鐘楼の大きな鐘は、住民に時を知らせる重要…

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1か月前
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西安大清真寺、イスラムと漢文化の融合

西安大清真寺 西安のムスリムストリート(回民街)にある西安大清真寺は、中国で最も古いモスクの一つといわれており、その歴史は742年の唐の玄宗時代にまで遡るとされてい…

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1か月前
7
固定された記事

自己紹介

はじめまして。 このnoteは、私が学生時代に書いた旅行日記を再掲載するためのものです。実は以前、WordPressで運営していたサイトがあったのですが、自分の技術不足とネット上の何らかのトラブルが重なり、残念ながらデータが消失してしまいました。しかし、幸いにも当時の日記を紙に印刷して保管していたため、ここに改めて公開することにしました。 2000年代前半の情報が多いため、内容は古いかもしれませんが、当時の旅行の記憶や経験が誰かのお役に立つことがあるかもしれないと思ってい

みんな、このトリに夢中です

南京に来てからお世話になっている、中医薬大学のH教授の息子さん、テン君がランチに南京のおいしいものをご馳走してくれると言ってくれました。 ありがたいことです。 こちらに来て一番困っているのは、実は食事。 味覚が合わないとか、不衛生だとか、そんなことではなく、南京には基本的に一人客を前提とした飲食店が少ないのです。 上海や北京は事情が違うようですが、南京には個食文化が根付いていません。レストランや食堂で出てくる料理は、数人でシェアすることが前提の大皿料理ばかり。テイクアウ

アパート契約まで、1ヶ月間滞在した学生宿舎

南京大学の外国人学生用の宿舎「西苑」は、20階建ての建物です。 (南京市上海路金銀街20号) 部屋の種類 部屋のタイプは以下の3種類があります。 1. トイレとシャワーの共用シングル 2. ツインルーム 3. トイレとシャワー付きのシングル 男女別にフロアが分かれており、それぞれのフロアには共用のコンロと冷蔵庫があります。設備は非常に小さいため、ほとんどの学生は自炊をせずに外で食事をすることが多いです。 私はトイレとシャワー共用のツインルーム(1日8ドル)を選びまし

もう騙されない

「不要」(いりません)もう絶対に騙されるまい。 上海から南京への列車の中で、ずっと考えていました。 これからは何か余計な接触がある前に、すかさず言おう。そう心に決め、頭の中で呪文のように唱えました。 ちなみに「不用(プゥヨン)」という言い方もありますが、「いらんわ」みたいなちょっとぶっきらぼうなニュアンスになります。 20時ごろ、南京に到着案の定、列車の出口には荷物運びのおじさんやお兄さんたちが降りる乗客に群がってきました。 「もう油断すまい」 初めて訪れた上海駅で痛い

上海発、南京行き――驚きと教訓の3時間旅

巨大な上海駅空港から上海駅まではタクシーで約1時間。 近代的なビル群を抜け、百貨店やホテルが立ち並ぶ繁華街に入っていくタクシー。ぎっしり並んだタクシーの列と誘導係の大声には驚かされました。 私のように大荷物を抱えた客がタクシーからエスカレーターへと誘導されていきます。エスカレーターを上った先には上海駅前広場が広がっており、人、人、人の群れ。まるでお祭りのような賑わいだけど、その日はまだ平日で、これが週末や祝日、正月になるとどんな状況になるのだろう、と想像せずにはいられません

未知なる南京へ——インターネット黎明期のサバイバル準備

2003年、インターネットがまだ黎明期で、情報の海は今ほど豊かではありませんでした。 私は大学の単位交換留学制度を利用し、9月からの約4ヶ月間を、江蘇省南京市の南京大学で学ぶことが決まっていました。でも、そこでの生活に関する情報はほとんど得る手段がない状況でした。 南京がどんな場所なのか? 持って行くべきものは何なのか? 手に入る情報は圧倒的に不足していました。 あちこちの書店を巡り、有益な情報を探し求めましたが、一番まともな情報源は『地球の歩き方』くらいで、その南京市の

陕西八大怪第四怪:大きすぎる飯茶碗でかきこむ、農家の食事

陝西省第四の不思議陝西省の飯茶碗、老茶碗陝西人は食事の際に、まるでたらいのような大碗を使う文化があります。 その大きさは、金魚鉢ほどの直径があり、まるでたらいのよう。 陝西の人々はこの大きな茶碗を、碗が「老大(大きい)」という意味で、「老碗」と呼び、それを手にして集まる食事を「老碗会」と称します。家ではなくても、老碗さえあれば、おかずや主食を一緒に盛りつけ、場所に縛られずに誰かと食事を楽しむことができます。 老碗文化の起源老碗や老碗会の文化がいつから始まったのか、正確な

陝西八大怪第三怪:唐辛子への愛

「陝西八大怪」は陝西省の八大不思議というような意味です。 郷土の風習を端的に表す8つのキャッチフレーズのようなもの。 第三怪は唐辛子について。 豊かな土地が産んだ唐辛子文化と奥深さを賞賛する言葉で、 第一、第二の不思議に続いて、食文化についての内容です。 陝西第三怪豊かな土壌でうまれた唐辛子の王様関中地域は古代から豊かな土地です。肥沃で平坦な黄土平原には、年間を通じて豊富な雨量があり、農作物の栽培に適しています。 そんな関中で栽培される細長い唐辛子は「秦椒」と呼ばれ、別

陝西省八大怪、第一怪、第二怪:小麦文化の奥深さ

北は麦作、南は米作 陝西省、特に西安を含む関中地域は、麦作地帯です。 関中地域の南には秦嶺山脈という標高2000〜3000m超えの山脈が広がっていて、この山脈が中国大陸の食文化において、麦作と米作を分ける境界線として機能しています。 標高は日本の北アルプスと同程度ですが、その長さはなんと約10倍。内陸部の広範囲にわたって連なっているため、南北の気候境界線を形成しています 陝西省は麦が主食 関中地域では多様な麦文化が発展し、日常の食事は三度ともに小麦を主原料とします。

陝西八大怪(陝西省の八大不思議)

西安旅行のお土産に買ったハガキに書かれていた、陝西八大怪。 「怪」とは、中国語では、「珍しい」「風変わり」「ユニーク」といった意味があります。 つまり陝西八大怪とは、陝西地方特有の伝統や文化を称賛し、他の地域との差別化を図るための表現で、「八大不思議」といった意味になります。 陝西八大怪は別名、関中八大怪 「陝西八大怪」といっても、実際に書かれている習慣や風習は、陝西省全体に当てはまるものではありません。 陝西省全体のたった4分の1を占める関中地域と呼ばれる地域にのみ当

西安市動物園へ、移転前の訪問

2003年、現在の秦嶺野生動物園の前身である、長楽公園内の西安市動物園を訪れました。 その日は晴れていたのに、園内の雰囲気はどこか沈んでいて。 動物たちの元気のなさが目立ち、ライオンやトラのような大型動物でさえ、くるくると同じ場所を同じ動きで行き来するか、外をぼうっと眺めているか。園内が狭いためかもしれません。 園内を歩いていると、さらに驚くべき光景が。 柵を越えて動物を見ようとする人々がいたのです。 事故も心配だし、檻の中の動物にだって相当なストレスでしょう。 中国の

大雁塔地下宮殿

大雁塔からの帰りにバスを探していて、西に曲がったところで急に視界に入ってきた地下宮殿。ここは公式の大雁塔の地下宮殿ではなく、かつての防空壕を利用して作られた商業観光施設です。 手作り感あふれる観光スポット 私が訪れたときはチケット売り場もなければ価格表記もなく、スタッフさんも他の観光客もおりませんでした。 どこにでも人がいる国で、ここには誰もいない…訳のわからないまま中に入ってみました。 長い長いトンネル状の空間には出口があり、別の広場へ通じていました。 地下宮殿という

玄奘三蔵と大雁塔:仏教の旅人とその遺産

唐代、中国の歴史の奥深くに輝く一人の高僧が大胆な旅に出ました。 玄奘玄奘三蔵。 彼は仏典を求め、未知の地を踏破しました。明代に創作された西遊記の三蔵法師のモデルとなったのが玄奘三蔵です。史実としての彼の冒険と遺産は、時代を超えて今もなお多くの人々の心を魅了し続けています。 玄奘三蔵進んだ道なき道玄奘三蔵の旅は、中国の歴史における重要な冒険譚です。当時は、現代のように整ったルートや豊富な情報はありませんでした。彼は盗賊が横行する道や、険しい山脈や砂漠地帯を越え、荒野を進み、定

唐代は中国人の心のふるさと:大雁塔

「中国人の心のふるさと」 唐代はよく中国人の心のふるさとといわれます。 長安はローマと並ぶ世界大都市。 多くの文化が融合し思想が生まれ、強大な国力を誇った中国史上最も輝かしい時代です。そんな唐代への憧れと誇りを掻き立てる場所ともいえるのが、西安市郊外にある大雁塔です。 ここは『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった玄奘三蔵のために作られた場所です。1300年以上長い間、玄奘三蔵の業績を称えるだけでなく、仏教の重要な教義や経典を広めるための象徴的な建造物としての役割を果たして

西安のランドマーク、鐘楼と鼓楼

(2003年9月16日、友人と行った西安旅行の記録です) 西安市内でひときわ目を引くのが、市の中心にそびえる鐘楼です。かつてこの鐘楼の大きな鐘は、住民に時を知らせる重要な役割を果たしていました。 高さ36メートルのこの建物は、10〜12階建てのビルに匹敵する高さで、下を東西南北の4つの大通りが交差する、まさに西安のランドマークとなっています。 鐘楼:歴史と機能 鐘楼は1384年に明朝の初期に建てられました。ライトアップするとさらに、明代の壮麗な建築美が際立ちます。夜は

西安大清真寺、イスラムと漢文化の融合

西安大清真寺 西安のムスリムストリート(回民街)にある西安大清真寺は、中国で最も古いモスクの一つといわれており、その歴史は742年の唐の玄宗時代にまで遡るとされています。でも現在はまだ、それが確かであると言い切れるような、信ぴょう性の高い記録は見つかっていません。 現存する建築物は明代に再建されたものです。 一説には、イスラム教徒が政治経済両面で重要視された元代や、元代直前に建立されたのではないか、ともいわれています。当時の西安はシルクロードの重要な交易拠点であり、東方か