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2003年旅行記西安編

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過去の旅や思い出や経験を共有することで、同じ場所を訪れる人や過去の旅行に興味がある人に役立つことを願っています。
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玄奘三蔵と大雁塔:仏教の旅人とその遺産

唐代、中国の歴史の奥深くに輝く一人の高僧が大胆な旅に出ました。 玄奘玄奘三蔵。 彼は仏典を求め、未知の地を踏破しました。明代に創作された西遊記の三蔵法師のモデルとなったのが玄奘三蔵です。史実としての彼の冒険と遺産は、時代を超えて今もなお多くの人々の心を魅了し続けています。 玄奘三蔵進んだ道なき道 玄奘三蔵の旅は、中国の歴史における重要な冒険譚です。当時は、現代のように整ったルートや豊富な情報はありませんでした。彼は盗賊が横行する道や、険しい山脈や砂漠地帯を越え、荒野を進み

唐代は中国人の心のふるさと:大雁塔

「中国人の心のふるさと」 唐代はよく中国人の心のふるさとといわれます。 長安はローマと並ぶ世界大都市。 多くの文化が融合し思想が生まれ、強大な国力を誇った中国史上最も輝かしい時代です。そんな唐代への憧れと誇りを掻き立てる場所ともいえるのが、西安市郊外にある大雁塔です。 ここは『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった玄奘三蔵のために作られた場所です。1300年以上長い間、玄奘三蔵の業績を称えるだけでなく、仏教の重要な教義や経典を広めるための象徴的な建造物としての役割を果たして

西安のランドマーク、鐘楼と鼓楼

(2003年9月16日、友人と行った西安旅行の記録です) 西安市内でひときわ目を引くのが、市の中心にそびえる鐘楼です。かつてこの鐘楼の大きな鐘は、住民に時を知らせる重要な役割を果たしていました。 高さ36メートルのこの建物は、10〜12階建てのビルに匹敵する高さで、下を東西南北の4つの大通りが交差する、まさに西安のランドマークとなっています。 鐘楼:歴史と機能 鐘楼は1384年に明朝の初期に建てられました。ライトアップするとさらに、明代の壮麗な建築美が際立ちます。夜は

西安大清真寺、イスラムと漢文化の融合

西安大清真寺 西安のムスリムストリート(回民街)にある西安大清真寺は、中国で最も古いモスクの一つといわれており、その歴史は742年の唐の玄宗時代にまで遡るとされています。でも現在はまだ、それが確かであると言い切れるような、信ぴょう性の高い記録は見つかっていません。 現存する建築物は明代に再建されたものです。 一説には、イスラム教徒が政治経済両面で重要視された元代や、元代直前に建立されたのではないか、ともいわれています。当時の西安はシルクロードの重要な交易拠点であり、東方か

ムスリムストリート、西安の回民街を訪れて

西安の旧市街に位置する回民街は、イスラム教徒である回族のコミュニティが形成されたエリア。ここには多くの清真(ハラル)料理店やモスクがあり、イスラム教の文化が色濃く反映されています。 2003年に訪れた際は、中国人に対する個人旅行への規制が厳しく、外国人以外の観光客らしき人は殆どおらず、地元の人々の生活の場といった雰囲気が強く感じられる場所でした。 2003年9月15日月曜日 中国に住むイスラム教徒 中国には約2,300万人から3,000万人のイスラム教徒がいるとされて

異世界純愛ファンタジー、長恨歌

白楽天は史実をもとに様々な文学的技巧を凝らし、舞台は異世界や来世にも跨る壮大で美しい純愛ラブストーリーを創作しました。 玄宗と楊貴妃は歴史の事実そのものよりも、白楽天(白居易)の類稀なる才能によって知れ渡ったカップルといえます。 創作されたのは楊貴妃の死後50年 楊貴妃の死後、彼女と玄宗皇帝の関係については多くの噂やゴシップが飛び交っていたことでしょう。彼らの悲劇的なロマンスは、長く人々の心を捉え続けました。白楽天(白居易)は、そうした噂や話の断片からインスピレーションを

玄宗と楊貴妃のロマンスの地 — 華清池

伝説の温泉地 火山帯に属する日本には温泉地が多いけど、広大な中国には火山帯に限らず地殻運動や断層活動などの様々な地質条件によってできた温泉が数多く存在します。 中でも西安市から北30キロにある華清池は、唐の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの地として有名な温泉地。 唐の時代以前にも、西周、秦、漢、隋の時代に離宮が置かれ、古来より数々の王侯貴族が訪れたリゾート地であり、歴史の舞台です。 現在の華清池 私たちが訪れた2003年9月15日。華清池は、思いのほか何もない場所でした。

吊るされた犬猫たち

2003年、南京留学に来て早々、中国の西安を訪れました。歴史の息吹を感じるこの街で、驚きと発見の連続の旅となりました。特に、兵馬俑へ向かう途中で出会った毛皮販売店の光景は忘れられません。 兵馬俑への道 西安駅からバスに揺られ、最寄りの停留所「兵馬俑バスターミナル」に到着すると、兵馬俑まではそこから500メートルほど。 皆が必ず通るその道は、格好のお土産販売場所。そこでまさかの「毛皮ロード」に遭遇しました。道沿いにずらりと並ぶ毛皮の露天販売店。その光景は一見して圧巻でした。

往復40時間の列車旅

南京から西安へ---18時間の列車旅 南京から西安へ向かう列車は、夕方に出発して翌日の昼前に到着する。 片道18時間の長距離旅だ。 私たちは韓国人二人、日本人二人の四人グループ。知り合って2週間も経たないうちに打ち解けて、国籍で固まることもない。母語は止めよう、ってことでお互い拙い中国語で会話している。彼らと一緒だったからこそ、座ってばかりの長旅も楽しいものになった。 硬卧の寝台と異文化交流 私たちは硬卧と呼ばれる、廉価な少し固めの寝台券を購入した。 向かい合う三段

古代の遺産、兵馬俑へ

はじめに 2200年前、中国では秦の始皇帝が広大な領土を統一していました。その頃、日本は縄文時代。まだ文字もなく、古代の遺産がわずかに残るだけの時代です。そんな遥か昔の中国で、今も人々を驚かせる壮大な遺産が発掘されています。それが、秦の兵馬俑。 秦の始皇帝と日本の縄文時代 秦の始皇帝が統一した広大な領土。その一方で、日本はまだ縄文時代にあり、文字もなく、わずかな古代の遺産が残るのみでした。 兵馬俑の壮大なスケール 実際に目にすると、その圧倒的なスケールに想像力が

西安で食べた羊肉包膜

陝西省西安市西大街3号 鐘鼓楼広場 同盛祥にて。 老舗有名店らしいけど、 地元の人も日常的に利用するような気軽に入れる店内。 ここで西安名物の羊肉包膜(ヤンロウバオモー)をいただきました。 スパイス香る、羊骨スープ。 春雨の食感と、スープを吸ってふやけた焼きパンが、香ばしいすいとんみたいな不思議な食感。 野菜と、柔らかく煮込まれた羊肉のスライスもたっぷりで、見た目よりボリューミー。 トッピングにネギを使わず、パクチー、ってところが、大事なポイントなのだそう。 確かに