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西安旅行記

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過去の旅や思い出や経験を共有することで、同じ場所を訪れる人や過去の旅行に興味がある人に役立つことを願っています。
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陕西八大怪第四怪:大きすぎる飯茶碗でかきこむ、農家の食事

陝西省第四の不思議陝西省の飯茶碗、老茶碗陝西人は食事の際に、まるでたらいのような大碗を使う文化があります。 その大きさは、金魚鉢ほどの直径があり、まるでたらいのよう。 陝西の人々はこの大きな茶碗を、碗が「老大(大きい)」という意味で、「老碗」と呼び、それを手にして集まる食事を「老碗会」と称します。家ではなくても、老碗さえあれば、おかずや主食を一緒に盛りつけ、場所に縛られずに誰かと食事を楽しむことができます。 老碗文化の起源老碗や老碗会の文化がいつから始まったのか、正確な

陝西八大怪第三怪:唐辛子への愛

「陝西八大怪」は陝西省の八大不思議というような意味です。 郷土の風習を端的に表す8つのキャッチフレーズのようなもの。 第三怪は唐辛子について。 豊かな土地が産んだ唐辛子文化と奥深さを賞賛する言葉で、 第一、第二の不思議に続いて、食文化についての内容です。 陝西第三怪豊かな土壌でうまれた唐辛子の王様関中地域は古代から豊かな土地です。肥沃で平坦な黄土平原には、年間を通じて豊富な雨量があり、農作物の栽培に適しています。 そんな関中で栽培される細長い唐辛子は「秦椒」と呼ばれ、別

陝西省八大怪、第一怪、第二怪:小麦文化の奥深さ

北は麦作、南は米作 陝西省、特に西安を含む関中地域は、麦作地帯です。 関中地域の南には秦嶺山脈という標高2000〜3000m超えの山脈が広がっていて、この山脈が中国大陸の食文化において、麦作と米作を分ける境界線として機能しています。 標高は日本の北アルプスと同程度ですが、その長さはなんと約10倍。内陸部の広範囲にわたって連なっているため、南北の気候境界線を形成しています 陝西省は麦が主食 関中地域では多様な麦文化が発展し、日常の食事は三度ともに小麦を主原料とします。

陝西八大怪(陝西省の八大不思議)

西安旅行のお土産に買ったハガキに書かれていた、陝西八大怪。 「怪」とは、中国語では、「珍しい」「風変わり」「ユニーク」といった意味があります。 つまり陝西八大怪とは、陝西地方特有の伝統や文化を称賛し、他の地域との差別化を図るための表現で、「八大不思議」といった意味になります。 陝西八大怪は別名、関中八大怪 「陝西八大怪」といっても、実際に書かれている習慣や風習は、陝西省全体に当てはまるものではありません。 陝西省全体のたった4分の1を占める関中地域と呼ばれる地域にのみ当

西安市動物園へ、移転前の訪問

2003年、現在の秦嶺野生動物園の前身である、長楽公園内の西安市動物園を訪れました。 その日は晴れていたのに、園内の雰囲気はどこか沈んでいて。 動物たちの元気のなさが目立ち、ライオンやトラのような大型動物でさえ、くるくると同じ場所を同じ動きで行き来するか、外をぼうっと眺めているか。園内が狭いためかもしれません。 園内を歩いていると、さらに驚くべき光景が。 柵を越えて動物を見ようとする人々がいたのです。 事故も心配だし、檻の中の動物にだって相当なストレスでしょう。 中国の

大雁塔地下宮殿

大雁塔からの帰りにバスを探していて、西に曲がったところで急に視界に入ってきた地下宮殿。ここは公式の大雁塔の地下宮殿ではなく、かつての防空壕を利用して作られた商業観光施設です。 手作り感あふれる観光スポット 私が訪れたときはチケット売り場もなければ価格表記もなく、スタッフさんも他の観光客もおりませんでした。 どこにでも人がいる国で、ここには誰もいない…訳のわからないまま中に入ってみました。 長い長いトンネル状の空間には出口があり、別の広場へ通じていました。 地下宮殿という

玄奘三蔵と大雁塔:仏教の旅人とその遺産

唐代、中国の歴史の奥深くに輝く一人の高僧が大胆な旅に出ました。 玄奘玄奘三蔵。 彼は仏典を求め、未知の地を踏破しました。明代に創作された西遊記の三蔵法師のモデルとなったのが玄奘三蔵です。史実としての彼の冒険と遺産は、時代を超えて今もなお多くの人々の心を魅了し続けています。 玄奘三蔵進んだ道なき道玄奘三蔵の旅は、中国の歴史における重要な冒険譚です。当時は、現代のように整ったルートや豊富な情報はありませんでした。彼は盗賊が横行する道や、険しい山脈や砂漠地帯を越え、荒野を進み、定

唐代は中国人の心のふるさと:大雁塔

「中国人の心のふるさと」 唐代はよく中国人の心のふるさとといわれます。 長安はローマと並ぶ世界大都市。 多くの文化が融合し思想が生まれ、強大な国力を誇った中国史上最も輝かしい時代です。そんな唐代への憧れと誇りを掻き立てる場所ともいえるのが、西安市郊外にある大雁塔です。 ここは『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった玄奘三蔵のために作られた場所です。1300年以上長い間、玄奘三蔵の業績を称えるだけでなく、仏教の重要な教義や経典を広めるための象徴的な建造物としての役割を果たして

西安のランドマーク、鐘楼と鼓楼

(2003年9月16日、友人と行った西安旅行の記録です) 西安市内でひときわ目を引くのが、市の中心にそびえる鐘楼です。かつてこの鐘楼の大きな鐘は、住民に時を知らせる重要な役割を果たしていました。 高さ36メートルのこの建物は、10〜12階建てのビルに匹敵する高さで、下を東西南北の4つの大通りが交差する、まさに西安のランドマークとなっています。 鐘楼:歴史と機能 鐘楼は1384年に明朝の初期に建てられました。ライトアップするとさらに、明代の壮麗な建築美が際立ちます。夜は

西安大清真寺、イスラムと漢文化の融合

西安大清真寺 西安のムスリムストリート(回民街)にある西安大清真寺は、中国で最も古いモスクの一つといわれており、その歴史は742年の唐の玄宗時代にまで遡るとされています。でも現在はまだ、それが確かであると言い切れるような、信ぴょう性の高い記録は見つかっていません。 現存する建築物は明代に再建されたものです。 一説には、イスラム教徒が政治経済両面で重要視された元代や、元代直前に建立されたのではないか、ともいわれています。当時の西安はシルクロードの重要な交易拠点であり、東方か

ムスリムストリート、西安の回民街を訪れて

西安の旧市街に位置する回民街は、イスラム教徒である回族のコミュニティが形成されたエリア。ここには多くの清真(ハラル)料理店やモスクがあり、イスラム教の文化が色濃く反映されています。 2003年に訪れた際は、中国人に対する個人旅行への規制が厳しく、外国人以外の観光客らしき人は殆どおらず、地元の人々の生活の場といった雰囲気が強く感じられる場所でした。 2003年9月15日月曜日 中国に住むイスラム教徒 中国には約2,300万人から3,000万人のイスラム教徒がいるとされて

異世界純愛ファンタジー、長恨歌

白楽天は史実をもとに様々な文学的技巧を凝らし、舞台は異世界や来世にも跨る壮大で美しい純愛ラブストーリーを創作しました。 玄宗と楊貴妃は歴史の事実そのものよりも、白楽天(白居易)の類稀なる才能によって知れ渡ったカップルといえます。 創作されたのは楊貴妃の死後50年 楊貴妃の死後、彼女と玄宗皇帝の関係については多くの噂やゴシップが飛び交っていたことでしょう。彼らの悲劇的なロマンスは、長く人々の心を捉え続けました。白楽天(白居易)は、そうした噂や話の断片からインスピレーションを

玄宗と楊貴妃のロマンスの地 — 華清池

伝説の温泉地 火山帯に属する日本には温泉地が多いけど、広大な中国には火山帯に限らず地殻運動や断層活動などの様々な地質条件によってできた温泉が数多く存在します。 中でも西安市から北30キロにある華清池は、唐の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの地として有名な温泉地。 唐の時代以前にも、西周、秦、漢、隋の時代に離宮が置かれ、古来より数々の王侯貴族が訪れたリゾート地であり、歴史の舞台です。 現在の華清池 私たちが訪れた2003年9月15日。華清池は、思いのほか何もない場所でした。

往復30時間の列車旅

賭け事が引き起こした西安旅行 留学先の大学で授業が始まってから3日目の夜、友人と一緒に四人で小さな賭け事をしていました。ルールは、勝った者の言うことを聞くというもの。その結果、ソンフンが勝ちました。 「ねえ、僕たち明後日から西安に行こう!」とソンフンが提案しました。最初はその無計画さに驚いたものの、動揺している我々三人の様子をよそに、彼はこうも続けました。 「人生は一度きり。この日、この時間、この瞬間はもう戻らない。だから今すぐに行こう。」 どこから借りて来たセリフだ