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玄奘三蔵と大雁塔:仏教の旅人とその遺産

唐代、中国の歴史の奥深くに輝く一人の高僧が大胆な旅に出ました。
玄奘玄奘三蔵。
彼は仏典を求め、未知の地を踏破しました。明代に創作された西遊記の三蔵法師のモデルとなったのが玄奘三蔵です。史実としての彼の冒険と遺産は、時代を超えて今もなお多くの人々の心を魅了し続けています。

玄奘三蔵像
東京国立博物館に納められた鎌倉時代の創作ですが
髑髏の首飾りに強そうな眼差しが印象的です

玄奘三蔵進んだ道なき道

玄奘三蔵の旅は、中国の歴史における重要な冒険譚です。当時は、現代のように整ったルートや豊富な情報はありませんでした。彼は盗賊が横行する道や、険しい山脈や砂漠地帯を越え、荒野を進み、定まらない国境をいくつも越えるなど、多くの困難に直面しました。それでも彼は仏教の真理を求め、中国に仏典を持ち帰るという使命感に駆られ、不屈の精神で旅を続けました。

その旅は当時の中国の歴史や文化にとって非常に重要な出来事でした。玄奘三蔵は旅のルートや訪れた国々を詳細に書き記しており、その記録は当時の歴史を知るために貴重なものです。その強靭な精神と類稀なる能力は後世に多大な感銘を与え、彼は中国の偉大な僧侶の一人として称賛されることとなりました。

出典 東京大学仏教青年会 玄奘三蔵の旅

玄奘三蔵が歴史にもたらしたもの

17〜19年もの歳月をかけて仏典を持ち帰った玄奘三蔵は、帰国後も精力的に翻訳作業に取り組みました。持ち帰った仏典は657部、5200巻にも及びました。

翻訳とは単なる言葉の置き換えではなく、特に仏典のようなものは中に宿る思想が要で、原典の精神を伝えるものでなければなりません。西域の思想に深く通じていなければ成し得ない偉業でした。彼は西域で仏教の真髄を学び、仏教に付随するさまざまな学問、例えば土木技術や天文学、地理学なども修得しました。彼の旅行記『大唐西域記』は、当時の地理学的知識の宝庫となっています。

「遍く(あまねく)覚悟を広める」という意味を持つ大遍覚堂。
大遍覚は玄奘の諡(死後の称号)でもあります。彼の偉大な業績とその精神的な広がりを称えるために与えられた称号を冠した建物は、仏教の教義を学び伝えるための場として設けられました。

仏教を学ぶことで多岐にわたる知識や技術を身につけ、それを自国に持ち帰るという構図は、唐で仏教を学び書や土木技術などの知識を持ち帰った日本の空海にも通じるところがあります。仏教は現代的な意味での単なる宗教を超えた、当時最先端の学問の場でした。

唐代の最先端学問としての仏教

1. 総合的な学問の中心

仏教は単なる宗教としてだけでなく、当時の総合的な学問の中心でもありました。寺院は学問の場であり、様々な分野の知識が集積され、伝承されました。

2. 仏教の教義と実践

仏教の教義には、宇宙の成り立ちや人間の心の働きに関する深い探究が含まれており、それが自然科学や哲学と結びついていました。

3. 文化交流

仏教は国境を越えて伝播していたため、仏教徒たちは異なる文化や技術に触れる機会が多くありました。これにより、異文化の知識や技術が仏教の学問の一部として取り入れられました。

4. 修行と実践の中での習得

 仏教修行の一環として、様々な実践が行われ、それに伴う技術や知識も学びました。例えば、寺院の建築や維持管理のための土木技術や農業技術などです。

その意味で、玄奘三蔵の旅は単なる物理的な移動にとどまらず、文化的な交流であり、宗教的行為を超えた、中国の文化や科学の発展に寄与する偉業でした。彼の精神と使命感は、中国の歴史の中で輝く偉業として今なお称賛され続けています。

大雁塔に訪れる人々が持つ赤い蝋燭。中国では白い色は好まれません。

観光地としての寺院が整備されているため忘れがちですが、中国は宗教活動に大きな制限のある国です。大雁塔は単なる宗教的な参拝を超えて、歴史と文化、そして信仰の融合を象徴しています。

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