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西安のランドマーク、鐘楼と鼓楼

(2003年9月16日、友人と行った西安旅行の記録です)

西安市内でひときわ目を引くのが、市の中心にそびえる鐘楼です。かつてこの鐘楼の大きな鐘は、住民に時を知らせる重要な役割を果たしていました。

高さ36メートルのこの建物は、10〜12階建てのビルに匹敵する高さで、下を東西南北の4つの大通りが交差する、まさに西安のランドマークとなっています。


ライトアップされた鐘楼

鐘楼:歴史と機能

鐘楼は1384年に明朝の初期に建てられました。ライトアップするとさらに、明代の壮麗な建築美が際立ちます。夜は見えにくいけど、朱塗りの木造建築が特徴的。

もともとこの鐘楼には大きな鐘があり、朝の始まりを告げるために使われていました。鐘の音は、市内全域に響き渡り、鐘の音で城壁の城門が開きます。

当時、明代の西安に入ることを許されたのは、市民や商人、役人、そして訪れる旅行者。許可された時間帯や条件に応じて入場が許可され、厳格な管理が行われていました。

鼓楼:対の建築

鐘楼から少し離れた場所にあるのが鼓楼です。鐘楼と同じく明代の建築で、鐘楼よりも先に、1380年に建てられました。鼓楼は名前の通り、夜には太鼓を叩いて時を知らせていました。朝には鐘、夜には太鼓というわけです。

太鼓の音で城門は閉じられ、外部からの侵入を制限・管理し、安全を確保していました。


鼓楼からの眺め私が見ている場所からの眺めが下の写真↓


鼓楼のすぐ眼下に民家が広がっている。良すぎる立地は再開発が心配。
瓦屋根も直せていないように見える。
鼓楼

現存する中国最古の時報建築


西安の鐘楼と鼓楼は、中国各地にある時報建築の中でも特に古く、保存状態が良いことで知られています。

ただ、時を告げる鐘楼鼓楼システム自体の存在は、明代よりもさらに400年前の唐代にも存在したようです。規模は小さいのものの、長安では寺の中に設置し、時報としての役割だけではなく、行政や儀式の場としても機能していたようです。

また、宮廷の中に設置されていた鐘や太鼓については、隋代にははじまっていたともいわれています。そういった文化的な基盤の上に、科学技術が飛躍的に発展した明代になって、さらに洗練された形で建築されたのでしょう。


鼓楼から眺めた鐘楼とその間の広場

明代とはどんな時代だった?歴史的建造物が多くつくられた理由

それにしても、鐘楼鼓楼に限らず、歴史的建造物は明代のものがすごく多いです。西安大清真寺もそうだし、万里の長城や紫禁城にしてもそう。中国の有名な建造物は、大体が明代なんじゃない?というくらい、説明書きには「明代」の文字が並んでるし、その影響で私たちが想像する中国らしさって、どこか明代の建築様式をイメージしている気がします。

明代って、一体どんな時代だったのか。

明代は経済的に発展した比較的平和な時代でした。そのため公共建築や宗教建築に資金を投入することができました。
また、そういった建築物を多く作る必要もありました。
なぜなら、明の前の時代は元朝、つまりモンゴル族の時代です。
明は漢民族の王朝。モンゴル支配の影響を払拭するために、漢民族の伝統や文化の復興に力を入れた時代でもありました。この時期に、伝統的な中国文化(漢民族の文化)を復興させるため、多くの重要な建築物が再建され、現在に至るまでその姿を保っているのです。


鼓楼。
鼓楼も鐘楼も釘を使わずつくられています。
乾燥している西安では木は劣化しやすく
保存には大変な苦労があると思います。


胡桃糖

こちらは鼓楼と鐘楼の間の広場で売っていた核桃糖(クルミ糖)。
中国、特に漢民族文化の伝統的なスナック。

クルミを主原料とし、糖蜜や砂糖で甘く煮詰めて作られます。カリッとした食感と、クルミの香ばしさ、そして濃厚な甘さが特徴です。

夜食じゃなく甘いお菓子を夜に売ってる、といのが何とも不思議なのだけど、中国の人たちはこういったものも散歩のお供に食べるのかな。

それに、ここは回族の多い地域。
戒律によりお酒を飲めない彼らは様々なお茶請けを楽しむと聞いたので、こういったお菓子も昼夜問わず需要があるのかもしれないな?と思いました。


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