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陕西八大怪第四怪:大きすぎる飯茶碗でかきこむ、農家の食事


陝西省第四の不思議

陝西第四怪、碗盆难分开

歌谣:
老陕饭碗特别大,面条菜肴全盛下。
碗能把肚填饱,老碗会上把话拉。

陝西省の第四の不思議、茶碗とたらいの区別がつかない。
陝西省の人々が使うご飯茶碗はとても大きく、
その中に麺もおかずもすべて盛り付ける。
一碗でお腹いっぱいになり、老碗会で話が弾む。

陝西省の飯茶碗、老茶碗

陝西人は食事の際に、まるでたらいのような大碗を使う文化があります。
その大きさは、金魚鉢ほどの直径があり、まるでたらいのよう。

陝西の人々はこの大きな茶碗を、碗が「老大(大きい)」という意味で、「老碗」と呼び、それを手にして集まる食事を「老碗会」と称します。家ではなくても、老碗さえあれば、おかずや主食を一緒に盛りつけ、場所に縛られずに誰かと食事を楽しむことができます。

直径25〜30cmくらいあるので、ちょっとした金魚鉢並みの大きさ。
持てばかなりの重さで、
中にスープや麺を入れたら、尚のこと。

老碗文化の起源

老碗や老碗会の文化がいつから始まったのか、正確な記録はありません。どの世界でも共通することですが、歴史記録は王侯貴族や政治的出来事に焦点を当てることが多く、庶民の日常に関する記録はほとんど残っていません。そうした起源については口承や伝統が伝えるものです。

戦争との関係

一つの説としては、戦乱の時代、兵士が食料を奪いに来ることがあったため、人々は家ごとに一人が飯碗を持って門の外で食事をし、見張り番をしたそうで、これが「老碗」の始まりとされる由来です。


農耕との関係

また、関中地域は、長い歴史を通じて農耕を主要な生業としてきました。この地域は肥沃な土地に恵まれ、古代から農業が盛んに行われてきました。特に関中平原は中国の農業発展の中心地の一つであり、穀物やその他の作物の生産が地域経済の基盤を形成してきました。

しかし、どんなに土壌が肥沃であったとしても、農耕の歴史が長くとも、農業技術の進歩は比較的最近のことです。人々は簡単な道具と自分自身の体力を注いで生計を立てていました。そんな実直な肉体労働に必要なのは、エネルギー源としての食事です。

食事の回数は少なく、一回の食事におけるボリュームは多め。体力と汗水を支える簡単な食事が労働者にとって必要不可欠であり、老碗はその食事スタイルにぴったりでした。

集まって食べる文化

また、農耕における体力労働は隣人の助け合いを必要とし、共同作業によって地域社会の結びつきも深まりました。この実情から農村社会では、「老碗会」という文化的風景が育まれてきたのだといわれています。

都市化が進む現代社会では、「老碗会」は徐々に歴史から姿を消しつつあります。しかし、一方で、映画の中で主人公が老碗を豪快にかきこむシーンが使われたことなどをきっかけに、老碗は人々の関心を集め、今では昔懐かしいアイコンとして観光客に人気です。

店名、その名も老碗会
西安で購入したハガキ

私もこのハガキの絵を見ていると、古き良き時代の素朴で自由奔放な人々の姿に、憧憬をおぼえます。

しかし、現実はというと。
中国における農村社会は、1950年代から2000年代にかけて大きな社会変化の中で厳しい状況に直面していました。日本社会とは比べ物にならない、全く異なる現実がありました。

土地改革における農家の迫害、大躍進政策の失敗とそれによる数千万規模の餓死、依然として残る戸籍制度による生活や職業選択、社会保障の面での大きな制約。高校の歴史で習うような、世界的な事実ではありますが、これらは中国の公式な歴史教育やメディアでは、否定的な側面について限定的にしか教えられません。

語られないことは、なかったことになります。歴史は、今の立場や視点によって解釈されるものですが、明るい側面に偏った情報だけでなく、暗い部分も含めて学ぶことが、本物の価値を持つ体験につながります。
そうでなければ、実際にその場所を訪れても、本物を模したレジャーランドに来たことと、何ら変わらない。

老碗文化は非常に興味深いものですが、中国の観光地はしばしば歴史の明るい面に焦点を合わせ、誇大化したコンテンツの消費に偏っていると感じます。特にある時突然登場する、観光用の謎の村などは、この傾向を象徴しています。

架空の〇〇の国、の世界観を一から構築するのは大変だけど、今あるものを違った解釈ですり替えるように作り変えてしまうことは、比較的簡単なことでしょう。

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