「誰が好き?」という問いと、私の二次性徴期
小学生のとき、私は「女子」として生きていた。
小学校高学年になって、私の周りには、いわゆるカーストのようなものはなかったけれど、大きな「違い」が女子を分断していた。
イケている女子、そこはかとなくダサい女子。ませてる女子、ませてない女子。話が分かる女子、話についていけない女子。
幸運なことに、違いがあっても皆仲良しだった。けれど二種類の女子の間には、大きな川が流れているような感じがしていた。
今から思うと、違いは、二次性徴の発現という至極肉体的な原因から発生している部分が大きかった。二次性徴が早く現れはじめた子、ゆっくり来た子。
私は二次性徴が現れるのは早かったけれど、女という性別自体に上手く馴染めなくなっていたから、女子の周縁に自分を位置付けつつ、二種類の女子の間を行ったり来たりしていた。
イケてる子=ませてる子=話が分かる子は、恋バナに熱中していた。ジャニーズ、若手俳優、若い先生、誰かの大学生のお兄ちゃん、恋愛漫画の主人公。同級生の男子は眼中にはなくて、実際に誰かと付き合っている子はいなかった。恋バナに現実味はなかったのだけれども、彼女たちは真剣だった。
彼女たちに「誰が好き?」と問われると私は困ってしまった。
戦国武将の名前を挙げたら、「そういうんじゃなくて」と言われた。
渋い俳優の名前を挙げたら、渋い顔をされた。
校長先生(おじいさん)の名前を挙げたら、うっすらと気味悪がられた。
よく聞くジャニーズの人の名前を挙げたら、「その人は○○ちゃんのだから、ダメ」と言われた。(今から思い出すと、かわいい)
「誰が好き?」には正解があるらしかった。私は正解が分からなかった。
私はこの問いが嫌いだった。この質問を飽きもせず仕掛けてくる彼女たちが苦手だった。
私の自分のセクシャリティが一般的ではないことに気付き始めたのは、この頃だったと思う。
彼女たちは悪くなかった、それぞれのかたちで成長を遂げていただけだった。
私も悪くなかった、ただアセクシュアルなだけだった。
彼女たちは私を仲間にいれようとしてくれていた。それは純粋な好意と友情だった。その親切な心を、否定したくない。
でも、どうしたらあの頃、私は彼女たちと仲良くできたのか、彼女たちは私と仲良くできたのか、今でも分からない。
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