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恋人優先という不文律と、アセクシュアルな私の虚無感

この社会には一般的に、恋人は友人より優先という謎の不文律?マナー?がある。

前から予定していた友人とのお茶より、恋人とのデートを優先するのは仕方ない、そんな雰囲気がある。キャンセルされた友人の側としては、ここでギャーギャー騒ぐと、相手から距離をおかれてしまう可能性があるから、そっと身を引くしかない。自分に恋人がいない場合は特に。分からず屋さんだと思われてしまわないように。

恋人がいないときは、一緒に旅行したり、二人きりでご飯を食べにいったりしていた異性愛者の異性の友人は、恋人ができると二人きりでは遊んでくれなくなる。それは当たり前の常識だという。「むしろ今までが例外だったんだよ」と言われる。

私は「アセクシュアルだから”無害”なのにな~」って思うけど、どうやら私が相手を好きにならないというだけでは足りなくて、相手が私を好きにならないということが必要らしい。うーん。それは確かにアンコントローラブルですわ。

友人に恋人ができるたび、私は寂しくなる

友人が遊んでくれなくなるというせいもあるけれど、それよりも、友人たちは恋愛に支配されている世界を生きているという事実を突きつけられるからだ。私はその世界からは外されてしまっていて、どこまで歩いてもその世界にはたどり着かない。

私には夢があって、人生のだいたいの時間はそのために費やしている。夢のために生きる世界は、恋愛のある世界/ ない世界とは別の座標軸だから、ここでは私は皆と一緒に過ごすことができる。

でも、生活の世界、日常の世界に戻ってくるたび、虚無感に襲われて、動けなくなる。

パートナーができたことで、この虚無感は少しはマシになったけれど、それはただ寂しさを紛らわす手段が増えたというだけで、根本的な解決ではない。

老人ホームでも色恋沙汰があるっていうし、恋愛に支配された世界と折り合いをつけながら死ぬまで生きていくものなのだろう。

アセクシュアルに生まれた定めと受け入れつつも、どこか寂しい今日この頃なのである。


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