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【ASD】「真面目すぎる」「天然」というエピソード

「真面目すぎる」ってオブラートに包んだ言い方で、裏にあるのは「要領が悪い」だと思う。
 診察中に私はよく患者さんに他人からの評価を聞くのですが、"天然"、"真面目すぎる"はスクリーニングに引っ掛けるワードです。

匿名医師 ツイッターより

 上記の内容は発達障害をスクリーニングするときに、医師が患者さんからこれまでの生育歴を聴取する時に注意している言葉とのことです。医師は匿名なので根拠としては弱いのですが、個人的にはわりと納得感がある内容です。

 自分はASDという発達障害を呈しているのですが、「真面目すぎる」「天然」という言葉は両方とも言われることが非常に多いです。

 「天然」についてはガッツリと過去にも記事にしていました。ASDを抱えていると「認知のずれ」があるため文脈や仕草などの非言語的なサインが読み取れないことがあります。言われた内容に対する背景が読み取れないので字義通りに受け取ってしまい、相手の意図を誤って解釈することが多いです。
 これは学生時代だったら面白いボケで済んでいたのですが、社会人になると「コミュニケーションコスト」が絡んでくるので、意図の読み違いが多いと、叱責されたり使えない奴という認定されて虐められたりすることがあります。
 自分としては社会に出て非常に苦労した点です。現在は障害を開示して、障害特性を説明し合意を得ているので、虐められたりすることなく平和に過ごせています。

 もう一つの「真面目すぎる」もよく言われていました。「すぎる」という言葉からも決して良い意味ではなく、「過ぎたるは及ばざるが如し」という意味の“正しい道には適っていない”という意味で間違いないと思われます。結局のところ「要領が悪い」を上手いこと誤魔化してくれた言葉だったのでしょう。

 この要領の悪さは発達障害や知的障害にありがちな「知覚統合」の弱さが原因と考えられます。
 「知覚統合」とは、「言語を介さない視覚的な情報を扱う指標」です。図形や地図を理解したり、パズルを組み合わせたり、規則性を見つけたりする能力に関係しています。さらには目の前にないものをイメージ、図式化し、それによって推論や思考を行う能力でもあります。

 知覚統合が弱いことで「物事を客観視し、俯瞰することができない」という弊害があります。これが弱いことで、細かな一つ一つの事実にとらわれすぎて、全体の構図が見えてこない。主観的な視点にとらわれてしまい、客観的に物事を俯瞰することが難しくなるということがおきてきます。

 自分の要領の悪さは知覚統合が弱いため、部分的なことにとらわれやすく全体像を掴むことに難があることが原因だと思っています。
 全体像が掴めないと「今、何をやるのが最適か」が分かりません。場合によっては生活する上で大きな支障につながり、余計な苦労をする可能性があります。

 「天然」と「真面目すぎる」という他者評価は、ASDの問診で注意して聞かれるエピソードということに対し、これまで学んできた内容や自分の体験と合致する点があります。これらの言葉をよく言われるならAS傾向を疑ってもよいでしょう。
 もちろん、正確さに関しては医師の診断が必要なのは言うまでもないですが、一つの参考になる点だと思います。

 今回の内容はここまでとなります。余談ですがトップ画像を自作してみました。YouTubeのサムネイルを作ったりもするので、余裕があったのトライしました。
 そんな訳で最後までお読みいただきありがとうございます😆

 


 

 


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