【発達障害】擬態の限界🫠
このコラムを読み、自分の中では「擬態」や「過剰適応」という言葉が考えつきました。
「擬態」は当事者が発達障害をカモフラージュするという意味で、主に当事者が発信するときに用いる傾向があります。「過剰適応」は与えられた環境に馴染もうとする適応努力において、行き過ぎた適応努力であることを言います。
ASD の過剰適応について、「社会的規範と適当に距離を置くことができず、完全に規範を満たすような融通の利かないやり方で極端に頑張る場合があり、適応しようとすること自体がかえって不適応の原因となる」と説明があります。
そして、最近のASD 研究においては、camouflage(カモフラージュ)という概念が注目されています。カモフラージュについては WHO の診断ガイドラインの引用で「多大の努力により多くの状況で適切に振舞えることもある、そのため他者には障害が明らかにならない」と述べられています。
また「自分の意思より相手の喜ぶ言動をとることで社会的に受け入れられるように努力し、社会的に孤立することがなく多動や不適切な行動も目立たない反面、本人の内的葛藤を高め、内面化による不安やうつを生じる」とも言われています。
ASD のある人の中に、「社会に適応しなければならない」というこだわりを背景として、「みんなと一緒でなければならない」という理念への過剰な傾倒を示す人がいるといいます。ここでは、「仕事は完璧な出来栄えであるべき」などの強い理念は、一時的な就労を支えることはあれ、長期の就労継続の妨げとなるため、成人期のQOL を損なうという言及もあります。
紹介したコラムは、発達障害における典型的な過剰適応と言えそうです。
自分は「こだわりが強い」と診断書に記載されています。そのこだわりの一つに「社会に適応しなければならない」という形での強い承認欲求が存在していました。
しかし、過去に適応障害を呈して発達障害が判明して以降、承認欲求よりも安全欲求を十分に担保することがよっぽど大切だと痛感させられました。
適応障害の回復は比較的早かったらしいですが、あの時の症状の苦しさは一生忘れることができないでしょう。
また、自分は「発達障害を受容してそれを広く公表する」という選択をしています。
理由は自分の障害を隠しながら仕事に集中するのは非常に難しく、周囲にもかえって負担になると判断しました。あくまで自分の所感ですが作業療法士の業務は、自分の障害を隠して取り繕ってできるほど容易い仕事ではないです。それもあり「障害開示」という選択をしています。
今回は発達障害における「擬態」と言われていることについて、過剰適応を引き合いに自分の体験談を踏まえて書かせてもらいました。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
【引用文献】
・自閉スペクトラム症における過剰適応とカモフラージュの臨床的意義
千田 若菜・岡田 智
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/80836/3/070-1882-1707-15.pdf
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