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ASDと社会的文脈:自論に固執しないことのメリット。

 皆さんこんばんは。
 今回は、人との会話において「自分の正当性を無理に主張しないことの大切さ」について考えてみました。特に社会的・政治的な話題や個人の意見が絡む場面で有効な方法だと感じています。
 自分はASD(自閉スペクトラム症)の特性を持ち、長年にわたり自分の正しさへのこだわりが原因で不器用な人生を歩んできました。しかし、中年になってようやく、そのこだわりを手放すことの重要性を肌感覚で理解できるようになりました。

 まず、無理な正当性の主張は後々にマイナスに作用することが多いと感じます。仮に自分が正しいと思ったとしても、その場で強く主張することで対立を深めることがあります。特に権力者や上司、あるいは社会的な文脈によって、その場の「正しさ」が決まることが多い印象です。
 例えば、職場での会議や上司との対話では、自分の意見が正しいと感じても、柔軟に対応することで無駄な対立を避けることができます。これは長期的に見れば、より良い人間関係を築くために重要だと言えます。
 しかし、ASDを抱えていると、社会的文脈を読む力が弱く、権力者や周囲の人々の立ち回りを理解するのが難しいことがあります。そのため、客観的に正しい意見を述べたつもりでも、異物として社会的圧力を受けることがあります。

 対人トラブルになり不利益を被る危険がある場合は、正しいかどうかに関わらず、素直に謝ることで対話をスムーズに終結させることができるでしょう。これにより、無駄な対立を避け、関係を悪化させることを防げます。相手の立場や感情を尊重し、穏やかなコミュニケーションを心がけるのがベストだと言えます。
 しかし、ASDを抱えている場合、相手の立場や感情を推し量るのが難しい場合があります。また、自分の意見への執着もあるでしょう。その場合は、「自分は悪くない」と思っていても、パフォーマンスだけでも謝った方が後々に大きな禍根を残さず、共同体での立ち位置が良くない方向に転がるのを防ぐことができるでしょう。

 どうしても納得できない場合は、その場で強く主張するのではなく、後で自分できちんと調べて理解することが賢明です。これにより、冷静かつ客観的に事実を確認でき、自分の知識や理解を深めることに繋がるでしょう。この方法を実践することで、対話の中で感情的になることを避け、冷静に対処する力が養われます。
 また一度終わった議論は蒸し返さないことが大切です。自分は過去に議論を蒸し返してしまい、共同体に居づらくなった苦い経験があります。

 ただし、刑事罰に関わる問題や自分や他者の核心的な利益に直接影響する場合は、その場でしっかりと主張し、規約や法に則って整合性を突き詰めることが必要になるでしょう。このような場合は、感情に流されず、冷静に法的な根拠を持って対応することが重要です。重大な問題に関しては、適切な手段を講じ、必要な時には専門家の助言を求めることを検討することがベストです。場合によっては、環境を変えたり外部からの助けが必要になるかもしれません。

 ビジネスシーンにおける会話や対話においては、柔軟性と相手への配慮が求められることが特に多いです。自分の正当性を主張することが必ずしも最善の結果を生むとは限りません。ASD者にとって苦手かもしれませんが、むしろ、相手の立場や状況を理解し、柔軟に対応することで、より良好な人間関係を築くことに繋がるでしょう。また、疑問がある場合は、自分で調べて自己完結することで、冷静かつ確実な知識を得ることができるでしょう。一方で、重大な問題に関しては、しっかりと主張し、法に基づいて行動することが必要です。

 今回の記事が皆さんの日常生活や仕事での対話の参考になれば幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。

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