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【発達障害】人は生まれつきの優劣を受け入れ難い?

 よく自分の発達障害を開示すると、相手は次のような困惑したような反応をすることが多いです。

・「そうは見えないよ。」
・「あなたのレベルで障害なら俺も障害者だよ」
・「何でもかんでも障害にするのは良くないよ」

 こんな感じで否認する人が大半を占めます。気を使っているのもあるかもしれません。
 逆に障害を知る前に別な職場で「空気読めないから、障害者だと思ったよ」のようなことは言われたことがありましたが。

 言われた側は、なぜこのような反応になるのか考えていたのですが、ちょうど益田裕介 先生の動画を視聴していたところ、うなずける点がありました。

・「生まれながらに脳という心にまで差がある」
 多くの人は「育ちの問題」だけだと思っています。ですから生まれながらにして劣っていること、障害があることがなかなか認め難いです。 

 「生まれながらの差を認め難い」と「育ちの問題」、これは場合によっては育ちの過程で「努力が無意味なのでは」という現実を突きつけられる側面があるかもしれません。

 そのため、本人より周囲の方が障害受容できない理由に、「努力」をさせることが無意味かもしれないという現実を突きつけられた故に、「否認」という防衛機制が働いたように思えます。

 自分の場合は、目の前の人がもし生まれながらに劣っており、障害があることを知っていたら、安易に「努力」を促すことに非常に罪悪感を覚えます。

 以前の記事で「お前もっと頑張れよ」と言われなくなった理由について考えていたのですが、今回の内容を付け加えると、
「障害がある人に対し安易に努力を促すことに罪悪感を覚える」ため、「お前もっと頑張れよ」と言われなくなったのかもしれません。

 そして、次の説明も印象に残りました。

 結論としては、「能力と伸び代のバランスや「運」は人それぞれ違う」ということを自分も相手も理解していないから、特に相手が理解していないから、だと考えます。
 努力で何とかなる部分もありますが、ならない部分もたくさんあります。

 これは、自分の障害受容を経て、非常に感じたことの一つです。何となく感じていたことが丁寧に言語化されています。
 やはり、多くの人は同じホモ・サピエンスであるものの、中身はそれぞれ異なる点があることを認め難い側面があるのかもしれません。

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