[推し本]文化の脱走兵(奈倉有里)/国ではなくそこにある人に思いを寄せて
デビュー作「夕暮れに夜明けの歌を」ではなんとも静謐ながらまっすぐ真摯にロシア文学に取り組んだロシア留学時代を書いた奈倉さんのエッセイ集。奈倉さんの文章に一度でも触れたら、どんどん読みたくなる、そんな書き手です。
私の以前の「夕暮れに夜明けの歌を」書評も多くの方に読んでいただけたようです。
「文化の脱走兵」では、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、ヨーロッパ各国から集まった文学大学の日々でつい「○○○人の誰それ」と国名が名刺のようにつきまとうのに戸惑っていた時に、
と教えたのは文学大学の(おそらくロシア人の)先生です。
「見ようとしないと見えてこない」からこそ、国の行いを大きな主語だけで語らず、そこにある人を知ろうとすることは大事だと思います。でもどうやって?
ロシアやウクライナに知己が多い奈倉さんは、今の状況に心を痛めながらも、友人たちに簡単に状況を聞くなどかえってできません。その時どこで人々を知ろうとしたのでしょうか。
「巣穴の会話」の章は、そんな手段があったのか、と紛争地と言われる国の無名の人々のしたたかさとユーモアに思わず膝を打つでしょう。そして奈倉さんの観察眼と、人間を信じる暖かい眼差しが通底していて希望を感じます。人間は破滅的な戦争を起こすどうしようもない生き物ですが、憎みあい続けなくてもいいシステムも同時に持ち合わせるのではないかと。。。
以下のリンクでも読めるのでぜひ。
https://gendai.media/articles/-/117281
奈倉さんは、100年以上前の第一次世界大戦時代に若き詩人セルゲイ・エセーニンが兵役の中で、戦う勇気より逃げる勇気をと詠った詩を改めて今呼び起こします。その詩の一編が本書のタイトルにもつながっています。
最終章では、奈倉さんが祖父母の地でもある柏崎へ移住したとあり、もちろんそれは原発とともに暮らすということですが、普天間基地の近くに住んで市民生活に入り込んでくる政治を考え続ける上間陽子さんも思い起こします。アレクシェーヴィチやサーシャ・フィリペンコの作品に出る「小さな人々」の実践でもあるのでしょう。
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