ミュージカル HIU版 クリスマスキャロル ドキュメント 第十七話「窮場」
また、物語の終盤でロバートは、なほが演ずる妻に言う。
「父方の親戚が言うにはね、ボクの母は、おじさんにすごく愛されていたって」
「別れてしまった婚約者の事も、本当はとても愛してたみたいだし」
俺は、この台詞から逆算して、少年スクルージと妹ジャニスのシーンや、過去のケイトと対面する場面の演技を考えてみた。
ロバートを見送る場面と同様に、舞台を観ている人たちに向けてスクルージの人間味を滲ませなければならない。
たとえそこ迄は叶わないにしても、少なくともこれらのロバートの台詞が、観ている人々に突拍子も無いものと思えてしまったら俺の敗けなのだ。
その俺の考えを、生かすも殺すもたっちゃん次第という訳だ。
こんな重要な配役が土壇場迄決まらなかったのもヒヤヒヤものだったが、酷な様でもそんな事とは無関係にちゃんと演じて貰えねば困るのだ。
だが、いぶきにも増してたっちゃんがより不幸だったのは、いきなり台本を取り上げられたのが稽古最終日であったことだ。
無理からぬことでは有ったが、その際になほと演じたロバート夫婦の会話はズタボロで、観ていて気の毒になった程だ。
さりとてそんなたっちゃんを責める者は誰一人としていない。何故なら、それは大なり小なり皆が体感して来た事でもあるのだ。その場にいた全員が身につまされた。だが、たっちゃんに逃げ場は無い。
この時の王子に容赦は無かった。どんなに非道い状態でも助け舟は出さない。
たっちゃんにとっては煉獄の刻であったとしても、たとえ台本と違っても構わないからシーンを通すことを体験させるのが最優先だと思ってのことなのだろうと感じた。
本番の舞台で台詞が飛んでしまった時は、芝居の相手の眼をじっと見る事だ。そうすれば共演者が汲み取って芝居を続ける別のきっかけを作ってくれる。多少段取りが変わってしまっても構いはしない。
「えーと、何だっけ・・・?」そう口にしてしまった瞬間に、観客は舞台の上が虚構の世界であるとはっきりと知らされてしまう。その瞬間に全てが無に帰すのだ。
「例えば、ディズニーランドで目の前のミッキーマウスの頭が取れちゃったら、どうですか?」
それはこれ迄の稽古の中で、王子が重ねて言っていた事だった。
(続く)
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