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Rambling Noise Vol.46 「メルマガナイトへGo ahead! その32」

アサノさんは、漫画少年であった。


ガキンチョの頃から、落書きや漫画を描くのも楽しかった。
教科書などはパラパラ漫画の原稿用紙としての存在価値が八割方、残りの二割は先生からの目隠しとしての盾の役割。
アサノさんはガッコのお勉強が大層お好きではございませんでしたからね。

アサノさんが、物心が付いて漫画を読み出した時分、その当時の主流の漫画家といえば石森章太郎(当時。ほんとにこの人は何故改名などしたのだろう?)、永井豪藤子不二雄赤塚不二夫などがもっぱらとなっていた。
そして、その頃には実は漫画の神様 手塚治虫の黄金期は少し過去のこととなっていたのだった。

勿論アサノさんだって、鉄腕アトムも知っていたし、他の何冊かも読んだけれども、それはやや古典的なものの様な扱いであって、リアルタイムのものではなかった。
それに当時の手塚治虫は、青年向けの作品も手がけていて、その暗めな大人な作品、俗に言う

「黒手塚」

が割とウケたのと比例して、少年誌では既に古いタイプの漫画家という扱いだった様に思う。

それは、自らの夢であるアニメーション制作の為の会社であった虫プロダクションが、既に手塚治虫の作品ではなく、『ムーミン』『明日のジョー』などを制作する様になっていたことにも現れている。

失望した手塚治虫は虫プロの社長を辞任、アニメ作品作りへの口出しをやめた。その虫プロはやがて経営不振で倒産、個人的に一億を超える借金を背負わされたが、1973年の『ブラック・ジャック』で人気が回復。続く1974年の『三つ目がとおる』もヒットし、復活を遂げた。
だから、アサノさんにとっても、その辺りからがリアル手塚治虫だったのだ。


・・・て、そんなこと言ってて大丈夫なの、アサノさん?
だって、あなた、株式会社手塚プロダクションとコラボして、

『火の鳥 サプリメント in ウォーター編』

なんてお水を販売しているんじゃないの。アッチョンブリケ。


あっそうだね、あれは2018年5月16日のこと。
アサノさんは、JR高田馬場駅のホームの発車音楽が『鉄腕アトム』のテーマソングであることに改めて気が付いた。
昔々、西武新宿線沿いに住んでいた頃に、しょっちゅう乗り換えで使っていた駅だったというのに気付かなかったとは、時と次第で人間の感じ方も違ってくるものだ。

そう、酒の場で思い付いたグッドアイデアが、翌朝になってみると非道く陳腐に思えたりとか。いや、ちょっと違うかな。
あれー? そもそもその昔はアトムの歌は使っていなかったのかも・・・良く判んなくなってきたので、まぁいいか。

その様にして、高田馬場駅を降りて向かった目的地の建物の壁には、こんな判り易いマーキングが施されていた。


(続く)

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