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私が旅をする理由

それは、私らしくいられると思ったから。

今から7年前、オーストラリアに1年2ヶ月住みました。
その時、化粧しなくても、髪の毛がボサボサでも、周りと同じ服を着なくても、眉毛をきれいに剃らなくても、心地良く過ごすことができたの。

これだけ言うと、だから何?となるかも。
でもこれ結構女性として生きるのに大事だったりする。

二重が可愛い世界もなくて、
そのまんまの私でいた方が愛される世界がそこにはありました。

22歳まで日本で育って、小中高大学の仲良い友達は本当にみんな可愛くて、外に出かけるといつも声をかけられてて、それを隣で見ている私はいつも惨めな気分で、周りと比較して自分のこと嫌いになって、でも負けず嫌いだから必死に追いつこうとして、流行りの服を着たり、モテるような服を着たり、モテるような化粧とか髪型にしたり、本当はこんなこと話したくないけど、私はずっと、男の人に、年上の女の人に、みんなに好かれようと必死だったの。

本当はそんなの自分じゃなくて、ただ仮面をかぶっていただけ。
その時はそんなことにも気づかず、ただ知らない誰かに好かれようとして、私が誰のことが好きかなんて、自分でもわからなかったの。

そういうことに気づいたのは、だいぶ後になるんだけど、
初めてオーストラリアに住んだ時、目を二重にしなくても、髪の毛ボサボサでも、流行りの服を着なくても、いつも”You are so beautiful.”、”You are such a beautiful person.”とか、”You are so sweet.”ってどんな時も言われたの。寝起きでも、仕事終わりで臭くても、何してても、本当にいつでも。

そこでやっと気づいたの。私はそのままでも愛される。
見た目を頑張らなくていいんだ、ありのままの自分でいいんだって、何もしない方が心地良い。今までの自分は無理してただけだ、好きでやってたわけじゃないって。(全然好きでもない服とか買って着てた。。)

見た目でジャッジされないことが嬉しくて、
見た目じゃなくて、中身を見てくれて、
それがとっても心地良かった。

How are you?がいつもの挨拶で、
仕事で疲れた時、I’m so tiredって言うと
手を広げてハグしてくれる。

それがとっても好きだった。とっても幸せを感じてたの。
ずっとこの世界にいたいと思った。

ブラジャーをしなくても、
ほぼ下着みたいな格好でで外に出ても、誰もいやらしい目で見てこない。

女としてじゃなくて、
日本人としてじゃなくて、
一人の人間として関わってくれた。

肘ついてご飯食べても、
片膝立ててご飯食べても、
箸の持ち方がおかしくても、
麺を途中で噛み切っても、
汚れた手を服で拭いても、
裸足で外歩いてそのまま家の中に入っても、
誰も何も言わなくて、
決まりがない、
それが大好きと思った。

好きな服を着て外を歩いてたら、見知らぬおばちゃんに”I like your sweater.” と言われ、これが本当に嬉しいの。

もう少し、この世界に染まりたいと思った。
私もかわいい服着てる人いたら”I like your clothes!”って言いたいと思った。
疲れたーって言ってる人がいたら私もハグしてあげたい。
もっと愛を伝えたい、愛してあげたい。

自分らしくいられるところにできるだけ長く身をおいて、
生まれ育った日本でもどこにいても好きな自分でいられるように、
もう少し自分を大切にする練習が必要だと思ったのです。

そんなことすっかり忘れてしまっていたなーって
今またオーストラリアでそんなことを思い出してます。

もう忘れないように、これが私の当たり前になるように、

そして私が私でいられるよう、旅を続けます。

私に愛を教えてくれた素敵な友達、家族、I love you all.

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