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真に受けては行けない男の言葉(終

名前候補のメモを見た私は心の中でガッツポーズを決めて、でもタケシくんに何も言わずに見ていないふりを続けた。それ以降、彼が「中絶」とか「堕ろす」と言うことは二度となかった。いよいよ腹が決まったのだと思った。

予定日は11月3日だったけど、10月に入ったら先生に「羊水が減ってきたみたい」と言われた。その頃はもうお母さんの家、つまり店の裏に引っ越しを済ませて、出産の準備をしていた。ベビーベッドやベビーバス、積み木のおもちゃやベビーカーなど、ほとんど買わずに親戚や知り合いが貸してくれた。日当たりのいい離れの部屋があてがわれ、ベビーベッドを置く場所を明るい窓際にしたら

「そんなとこにベビーベッド置いたら外から丸見えになる。『子取り』に取られるから危険」

とヤスコさんが言う。『子取り』とはつまり誘拐されるということだ。いったいいつの時代の話だろう。時は1996年。庭まで人が入ってきて赤ちゃんを盗むわけないだろう。けどあまりに真剣に言うので、私もつい

「それはアカンな、もっと外から見えやんところにベッドを置かんとアカンな」

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と、壁際に移動をさせた。デカくなった腹を突き出して店はまだ続けていたのだが、羊水が減ってきたことから予定日を待たずに陣痛促進剤で出産をさせることになった。なお、タケシくんは子どもの出産というリアルで生々しい現実から逃避…いや、子どもの出産に際し自分と向き合うという名目のため、出産と同時にベルリンへ行くことになっていた。いや、普通の人はなんのことか分からないと思う。妻の出産のときになんで夫だけ旅行やねん。おかしいやろ?しかし、私は一向に構わなかった。出産の時はヤスコさんもいるし、私は伊勢市内に住んでて実家も伊勢市内。だから実の母もいる。出産して当分は病院なんだし、男のタケシくんなんて別にいてもいなくてハッキリ言って関係ない。

当時から出産時に男性も病室に入ることが多くなっていた。産科の先生には立ち合い出産をするかどうか聞かれたけど、当然遠慮した。タケシくんはスプラッターが苦手で、血も嫌い。出産は生命の神秘ではあるけど、外から見たら体に寄生した生き物が飛び出して来るエイリアンみたいなものだ。子どもの他にも体の中から色々出てくる。見たらきっとトラウマになるだろう。出産の日、タケシくんは友達と居酒屋に行っていた。夜中の2時に息子が生まれた時、タケシくんはアトリエ兼自宅で酔っぱらって寝ていた、という訳だ。

そんなタケシくんは息子のおむつも替えなかったし、夜泣きの時は「うるさいから外へ連れていけよ」と言った。赤子期の子育てにはまったくと言っていいほど関与していない。今の育児参加の男性を思えば何もしてないのだけど、それでも就学前くらいになってきたら二人で出かけるようになった。小学校へ入ったら二人で近隣へ旅行とか行く。グローブを買ってきてキャッチボールを教えた。高校になったら自分の分と息子の分の弁当を3年間毎日作った。

子どもを作ってよかったとか、そういう話でこのシリーズを書いていたのではない。タケシくんは「子どもがいてよかったなあ」とは別に言わないし、私も「ほら、よかったでしょ、子どもがいて」とも言わない。「真に受けては行けない男の言葉」とタイトルにはあるけれど「真に受けてはいけない他人の言葉」でもいいと思う。

20代の自分が30代の自分を作るし、20代と30代の自分が40代の自分を作る。20代、30代、40代の自分があって今の50代の自分になる。20代が済めば新しい30代の自分になるわけでもないし、40代になったらステージが用意されていて、そこへ案内されるわけでもない。変身もしない。すべて自分のしたことがずっと続いているだけだ。

例えば自分が大切にしている誰かが言った言葉に従うのだとしても、それは「従うと決めた自分」に責任があるわけで言った人に責任はない。私があのまま「子どもはいらない」と言ったタケシくんの言葉をそのまま受け取めて避妊を続け、子どものいない人生を送ったとしても、タケシくんに責任があるわけではない。彼の言葉を「真に受けた」自分の責任だ。あるいは、子作りにこっそり挑戦したけれど、結局できなかったかも知れない。そのどれだったとしても、どれにするか決められるのは自分だけで、その自分が今の自分を作っている。

今の私は未来の私に責任がある。あの時の私は十分に私に対しての責任を果たして戦った。どの年代も戦った。精一杯やったから、私は今の自分に満足をしている。別に有名にもなっていないし、金持ちにもなっていない。成功もしていないし、都会にも住んでいない。けれど、満足している。一方で、それは本当に満足なのか、と時折考える。満足とか言って、自分を甘やかしてはいるんじゃないか。実際、50代の私が今後60代の私、70代の私、さらに生きれば80代の私を作る。その年代の私に対する責任は、もう発生している。70歳になった私も「80歳の自分に責任がある」と言うのかは分からないけど、まあそれも楽しみだ。

シリーズ読んでくださってありがとうございました!この後、同居の姑ヤスコさんとは金と子育てをめぐって激烈なバトルが始まるんですが、それは既に書いたのでまたご覧ください。最後に戦っていた時の私とタケシくんの写真で締めます。

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