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安定だけど不自由な人生か、不安定だけど自由を選ぶか

「留学しようと思ってるんだ」。

勢い込んで周りにこう伝えたら、返ってきたのはこんな反応でした。

「その年で、今さら何のために?」「仕事は放り出すの?」

あれっ、そんな感じなんだ、、

一緒にわくわくしてくれるもの、と勝手に思い込み舞い上がっていた気持ちがしゅんっ、としぼみました。驚きながらも面白がって応援してくれる家族や友人も多かったのですが。

留学を決めるまでには、たくさんの理由と思いがありました。きれいにまとめようとすると、最新のメディア動向を学びたい、とか、海外で暮らしたい、といった説明になります。

が、それよりも「新しいことに挑戦したい」という衝動に突き動かされた、というのが真実です。

好きな仕事を長く続けてこられたのは、とても幸運なこと。だけど、ある意味、惰性になりがちという面もあります。あきらめた夢もあります。年齢もキャリアも積み重ね、この先の進路も見えてきました。それぞれも悪くはない、けど、本当にそれだけしか選択肢はないのかな。

世の中も業界も大きく変わってるのに、生き方も働き方もこれまでと同じでいいのかな。1つのことをずっとこなし続けるのも才能だし大事なこと。だけど、私は新しいことにももっと出会いたいし、知りたい。体力があるうちに、行ったことのない場所に行き、たくさんの人に会って、知らなかったことをできるだけ多く学びたい。その成果を多くの人と共有できるような方法を探したい。今の仕事が好きだからこそ、身に着けたスキルももっと磨きたい。

そんなことを日々悶々と考えていたら、あっという間に無視できないほど強い気持ちに膨れ上がり、「そうだ、留学しよう」とぱっと決めました。行先をアメリカにしたのはメディア動向の最前線であり、学びたい分野を提供する学校があったのと、10代で留学した経験があってある程度、馴染みがあったからです。

でも10代の留学とは違い、年齢や経歴を重ねた後のライフシフトは尋常じゃないエネルギーが必要でした。大学院受験もだけど、周囲との調整や金銭や生活面の準備など決めなきゃいけないことは無限にある。ずっと続けてきた仕事を中断し、“安定”を手放すことへの不安や迷いも大きくて、ふとした瞬間に津波のように襲ってきて私を黒く覆いつくす。

そのたびに、「本当に私はこれがやりたいの?他のことを犠牲にしてでも?」と自分に何度も聞きました。自分の足元(本心)を確認することを繰り返し、その確信を支えにするしか前に進む方法はない、と思ったからです。そして、いつも返ってくるのは「やらなければ絶対後悔するでしょ」という答えでした。そんなことを繰り返しながら、じっくりゆっくり、ここまでたどり着きました。

日本では、特に年齢を重ねた後は「変化」への抵抗感が強いですよね。冒頭のような反応も、そのあらわれかなあと思います。同じことを繰り返すほうが楽だったりもするし重要なことでもある。継続するには才能も必要で、それ自体を否定するわけではない。だけど、私としては新しいことに挑戦し、新しい自分を知りたい。たまたま私はそっちの思いのほうが強かったので、こういうことになりました。まあ、アメリカでも「なんでそのキャリアを経て大学院へ?!」と興味津々で聞かれますが笑。

こちらに来て10カ月近く。「呼吸が楽にできる!」というのが、一番の感想です。多種多様な人や意見に翻弄されながらも、年齢や性別、肩書で判断されることはない。何かしら意思表明をすれば、誰かが必ず反応を返してくれて、事態が動き出す。そのことが楽しくてうれしくて、とにかくのびのびと何でも声を上げよう!と思っています。もちろん、痛い思いをすることも多々ありますが。それまでは周囲の反応を伺い、自分の意見を押し殺すことも多かったんだな、と気づきました。

そして、新しいことに挑戦する興奮や、夢を実現する喜びも実感しています。大人になってからこそ学ぶ楽しさも味わっています。

「挑戦」の内容は、人それぞれ。大小とか関係ありません。もし、気になっていることがあれば、小さくていいから足を一歩、踏み出してみてください。そこからきっと、何かが動き出すはず。

残りの人生、何を優先して生きたいのか。

自分が心から楽しいと思えることや、好きなことは何か。

今夜、お風呂に入りながらでも、こんなこと考えてみてください。もしかしたら、普段気づいていない自分自身が答えを返してくるかもしれません。

 今回は抽象的で小難しい?話になってしまいました。もっと軽い話も書いていきたいと思います。

NYCのTimesSquare。さまざまな個性が行き交う。


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