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批判的なスタンスと好意的なスタンスの間。何かがあれば、何かがないし、何かがないということは、何かがあるということ。

母の日にいつも贈ってる酵素ドレッシング
届きましたとの母からの報。
 
いつものお店にGW前に頼みに行ったら
翌営業日から1ヶ月休業しますとのことで
思いがけずギリギリ間に合って
縁起のいいドレッシングになった件。笑
 
 
特別給付金しかり、何事も家族戸籍単位で
コトが進む日本の仕組みは好きじゃないし
同性婚みたいに戸籍単位になれない家族は
どうすんだよとかツッコミどころ満載だし
 
為政者にとっての利便性は多少理解するが
少なくともイチ市民(都民か)としては
なんのメリットも感じたことはない
 
 
「家族」の中がブラックボックス化しているのも
家父長制のような考え方が根強く残っているのも
個、という単位が置き去りにされがちなところは
この社会に暮らす人たちの実態とはますます
かけ離れているとはおもう。
 
 
とはいうものの
 
たぶん父の日は贈りそびれるから合同で…
またお父さんのお誕生日あたりに贈るよ…
(母の誕生日と合同にする策略)という
前述の考え方との矛盾に気が付きながら
確信犯的に2人単位で片付けようとする
無精者な娘のコメントに対し
 
当たり前のように「2人でいただきます」と
2人単位で受け取って喜んでくれたりすると
それはそれで、ありがたいなぁとおもう。
  
 
何事も、受け取り方は1つじゃないよね。
何かがあれば、何かがないし
何かがないということは、何かがあるということ
 
 
批判的に物事を検証していくスタンスは大切で
それは常々、持っていようと心がけていて
それと同時に、好意的にここで起こることを
受け取っていくスタンスを両立させることも
心がけていこうと、改めておもう。
 
 
自分にとっておかしいと感じることや
その方向はナシだぜ!とおもうことがあれば
それは声を出すし、表現するし、反対もする
そのために知識も知見も、効果的な伝え方も
身につけていく必要があるとおもう
 
それと同時に、何が起こっても
いまここにあるものを愛で、喜び、活用できる
力も、養っていきたい。
 
 
いろいろ起こる中で
自分の理想や意図と、他者の思惑や希望の間に
身を置いて、葛藤もストレスも感じながら
あるものを愛でて、喜んで、活かして
毎日を過ごすことからフォーカスをずらさない。
 
そういうチャレンジをしていくフェーズに
いるんじゃないかな、と
 
少なくとも自分は、という話だけなんだけど。
だって、せっかく
生きてる意味がわからない苦しい時期を超えて
いまこうして、ここにいるんだもんね。

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