男と女の同じになれない「キャッキャ」ポイント。そこから対話が進めばいい。
男女で何かを分けるような話は基本的に好みませんが、ちょっとだけ(長いけど)
いわゆる「男社会」のコミュニティに長年身をおいてますが、私はたぶん恵まれていて、セクハラだパワハラだって心底感じるような思いはほとんどしてこなかったし、女性だからといって何か制約を受けるような感覚も持ったことはないです(少なくとも今は思い出せない)
でも最近ちょっと思うのは
なんていうか男女って、なんとなく「キャッキャ」するポイントが違うかもなぁ、ていうこと。何気ないことなんだけど、これが実は制度とか偏見とかなんとかよりも、大きなトコなんじゃないかなぁっておもったりします。
仕事終わりにちょっと飲むか~なんてとき、女性は私だけってことはわりとよくあって、楽しいし、みなさん優しいので、そこで不快な想いをすることってほとんどないです。
でも、ふとした瞬間に「あ、キャッキャしてる」て思うことがあって。そんなとき、あ、男社会なんだな、て思うんですね。だからどうってことじゃないし、せっかくだから私も楽しみたいので一緒にキャッキャするんですけど、なんかこう、意識的にモードを作る必要はあるんですよね。
制度とか偏見は是正ができるけど、こういう根底に流れているものっていうのはそうはいかない。
だって、何を楽しいと思うかってことに「是正」もなにもないのだし、こういうのって「そのムードに天然ではなれない状況(=マイノリティ)」にならないと気がつかないこと。男社会にいる男性にはちょっと理解しがたいとおもうし、理解できたからってどうすることもできないだろうしなぁ。だってその価値観ごと、手放すわけにはいかないんだろうから。手放したら、足元から崩れて行っちゃって、発展どころか崩壊しちゃうかもしれないしね。
だもんで、企業のダイバーシティへの取り組みとか見てると、なんていうか、、、うん、ここらが妥協点かもしれないな、なんて思ったりしてます。
理解はできるけど、同じにはなれない「キャッキャ」ポイントがある。そして、社会の仕組みの多くは、男性側の「キャッキャ」ポイントをもとに作られている。なぜなら、作った人の多くが男性なので、女性側の「キャッキャ」ポイントを考慮するにも限界があるから。
ちなみに、これほどの様々な社会の仕組みを女性側の「キャッキャ」で整えられたか?と考えると、「できたはず」とはよう言わんなぁ、私は。。。
そんなとこから対話が進んだら、もうちょっと、いまみたいな不自然におもうほどのセクハラだパワハラだ男女差別だって論調も、緩和しないかなぁ。
苦手なんです、相手を敵に仕立て上げるしかなくなる感じ、、、相容れないからこそ、補完関係になれる可能性があるのだしさ。
まぁ、基本は男女差でなく、個体差だと思ってますけどね。ちょっとだけ(長いけど)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?