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ムルターン(パキスタン)2010


ムルターン Multan

 ムルターンは聖者のダルガー(霊廟)の多い街とされている。ということは伝統建築が市内に多く残されており、京都のパキスタン版じゃなかろうか?みたいな妄想を元に今回の行ってみたい街の一つになっていた。個人的にはカオスのような雑踏にあふれた都市というより伝統色の強い街の方に引かれる。民族的、宗教的な色彩は現在の合理性を優先的に求める都会とは価値観が異なる。歴史的な建造物が多く残る街にはこの街を作り上げた祖先の汗が建物にしみこんでいて一種の祖先崇拝的な感情が住民にも残っているように感じるときがある。祖先崇拝というと大げさかもしれないが、この街を作り上げた先祖への感謝と畏敬の念といえばいいのだろうか。そのためかこういった街の地元民は都会の人よりも街への愛着や誇りなどがあるように感じる。先祖代々から受け継がれた街の伝説や今に伝わる儀式などの宗教行事。そういった昔からの伝統文化や街を愛する気持ちや誇りというものが代々暮らしていくうちに心にもDNAにもゆっくりと少しずつと刷り込まれているような気がする。 


 たどり着いたムルターンの街はパキスタンで他の街と同様に乾燥した空気で埃っぽいところだった。車や人がいなくてもきっとどことなく空気がやや霞む感じがする。いままで通過したパキスタンの街と同じような人の賑わいはあるものの遠くからでも見え隠れする時計塔やシャー・ルクネ・アーラム廟がこのムルターンをムルターンらしくしている。そして多くのダルガーがある旧市街は記憶が曖昧だがやはりそれなりに古い建物が多かったように思う。ダルガー周辺には花やなぜか鳩の餌と思われる穀物を売る店が多く並んでいた。日本でも寺社などで多くの鳩がいて昔は餌も売っていたが、イスラム世界では「鳩の首飾り」という恋愛文学があるので日本などの鳩とは意味合いが違うのかもしれない。 


綿花畑 Cotton Field

 ムルターンに向かう途中の郊外ではちょうど綿花の収穫が行われていた。途中でも何回か綿花畑を見かけたが、収穫している場面は今回が初めてあった。調べるとパキスタンは世界5位の綿花生産国とのこと。

 畑に女性が大勢いて、一族が集まって綿花摘みをしているかというとどうも違うらしい。どうやら一番左の老人がこの畑の地主で女性たちは身内というわけでもなく労働者として集められた、いわゆる単発の綿花バイトみたいな感じらしい。おそらく地主側は裕福であって身内が労働するわけではなく、収穫は日雇い労働者を集めておこなっているようだった。 

 
 

 そういえばウイグルに行った時も綿花の収穫に中国各地から季節労働者が集まってくると聞いたことがある。綿花の収穫にはそれなりの労働力が必要なので自分たちでは到底収穫しきれず外部の力も必要になるのだろう。

 ノートに色々書き込んでいるのが綿花買い取り業者の多分リーダー。そして重量を計っているのも業者側の部下のようだった。



 正確に言えば、収穫作業はほとんど終わっていて、女性たちの今の労働は草刈りのようだ。頭にのせた布の中身はほとんど雑草のようだ。これは家畜の餌になるのだろうか。





ムルターン市場 Multan Market

 市場に行くと同じ物でも日本と全く売られ方が違うものがある。その代表格がスパイスやナッツ系なんじゃないかと思う。もちろん現地の家庭と消費量が全く違うから話にならないかもしれないが、山盛りとなって量り売りとなるこの壮観なスパイスマーケットは見た目だけでなく店周辺の香りもスパイシーだ。


 布屋さんも日本では見たこともないような美しい柄で見ていて楽しい。こちらでは主に既製品というよりも布地を販売するところが多かったような気がする。これを自分で加工するのかも(実はどうするのかはよくわからない) 必死でお客さんにセールする男性の真剣な眼差しがイイ感じだ。


イードガー・モスク Eidgah Mosque

 ムルターンを象徴するモスク。私が訪ねたときには併設されているマドラサでちょうど授業の真最中だった。生徒たちは本(コーラン関係?)を読むときに体を前後にゆすりながら音読するのだ。体をゆすることで音読のリズムをつけているようだ。これは言葉による説明では物足りないので是非下のリンクでの動画を見てほしい。


 
 生徒達が並ぶ中心に先生と思われる男性がいる。その前でどうやら生徒が暗唱をして先生に本を見せながら聞かせているようだ。先生は気難しい顔して腕組みをして聞いている。一通り暗唱が終わるとどうやら無事に合格したようで次の生徒に切り替わった。生徒たちはあくまでも見た目だが年齢にばらつきがある。どのように一人の先生が段階の異なる生徒の指導するのか少し不思議な気もするが、細かく学科の区別がないから可能なのかもしれない。


バハー・ウル・ハック霊廟 Tomb Baha al Haq

 このような霊廟では周りにも墓が並んでいる。この墓は「あやかりの墓」と呼ばれるらしく、聖者にあやかって墓をそばに建てるようで必ずしも聖者の一族郎党の墓というわけではないらしい。

 

シャー・ルクネ・アーラム霊廟 Tomb Shah Rukn e Alam


 偉大なスーフィー指導者でありMultanのランドマーク的な巨大な霊廟となっている。ムルターンで最も有名な場所であり、この名前は「世界の柱」という意味を持つという。実に立派な建物であり元は彼の墓ではなく王の墓として建設されたものだという。シャー・ルクネ・アーラムの墓は本来別なところへ建てられていたらしいが、王が自分用の廟をシャー・ルクネ・アーラムへ捧げたためこちらへ移動して葬られたらしい。

 手の込んだ装飾が廟の上から下までびっしりと刻まれている。トップのドーム付近を望遠で写してみた。遠目からでもこのように見る者を圧倒するかのような装飾は迫力そして威厳がある。



 
 ここはやはり他の廟よりも参拝の信者が多い。それだけ聖者は信者たちに現在も護られて眠っている。こういうのは形としては人々が霊廟を護っているかのようにみえるのだけれど、精神的な部分においては逆説的ではあるけれど聖者が逆に人々を護っているのではないかと思えてきた。カトリックの場合は街を護る守護聖人というのがあるが、それとはやや異なる。守護聖人はおそらく宗教的な意味合いにおいて霊的な力で街を護るという概念と思われるが、この場合は信者の心の中での結びつきを指している。物理的に有形的には人々が霊廟を整え、参拝し、花を捧げたりして廟を長年の渡り維持して護っているようにも見えるのだが、精神的で無形的には人々の心の拠り所となって信仰心でみんなを結びつけてそしてその団結力をもって外敵などからこの街を護っているように思われるのだ。強い信仰心を生むには何かしらの象徴となるべき宗教的なそれなりの建造物が必要となる。自分のための墓を聖者に譲った王はひょっとしてこういうことを理解していたのかもしれない。いずれにしても結果的にこの霊廟はムルターンを代表する建造物として人々の精神的な柱となっていると思われる。偉大なる宗教建築物には強大な求心力が産まれるのだ。ムルターンの聖者はこのように人々に護られ、そして逆に人々を護り今後もそして永遠にこの街のために眠り続けるのであろう。


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