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全落ち就活を経験したわたしが、本当に欲しいものは何か考え直した二年間。〜2度の出版就活を経て、人生の節目で何を選んで何を信じたらいいのか、負けから学んだこと〜

就活でいちばん怖いことは、「全落ち」だと思うのですが、実はわたしは全落ち就活を経験したことがあります。
そんな時期、名も知らぬ誰かの就活ブログに助けられていました。いつもは旅だの音楽だの短歌だのについて書くわたしですが、恩返しをするべく、今日はこのテーマでいきたいと思います。

遠子ちゃんになりたかった

わたしは、小学生の頃から出版社に入ることが夢でした。
野村美月の『文学少女』シリーズを手にしたあの日から、遠子先輩になりたくて、作家を支える編集者に憧れを持ちました。
 
だから大学生になったときも、わたしは出版社に入るんだ、これだけ思い続けて叶わない夢なんかあるものか、と思っていたのです。
ところが。
惨敗。

これはわたしが一度、夢破れてから夢を再び掴むまでのお話です。

22卒、初めての就活「二兎追うものは一兎をも得ず」は本当なのか?

出版社は狭き門であると、一度目の就活のときのわたしはわかっているようでわかっていませんでした。
三大出版(小学館、集英社、講談社)と角川は数十名の内定者を出すのですが、そのほかの出版社は内定者数一桁。5名とればいいほうで、2名ほどというところも多いのです。

大学三年生になる頃には出版社に向けた就活を始めていました。
企業分析、OB訪問、ES添削、自己PRからガクチカまで数種類用意し、面接練習も。
出版社のみに絞った就活です。

そんな中、わたしはもう一つ、この危険な賭けに保険をかけていました。
教員免許の取得。
もしも全部がうまくいかなかったときのために。わたしの夢は長期計画だったので、大学に入った早い段階からこうした保険をかけていました。

しかし。
わかったような顔をした大人たちは言うのです。
「二兎追うものは一兎をも得ず、だぞ」と。
うるせ〜〜〜〜〜!です。
何を知ったような顔をして!
「教員免許を取得するなら就活はやめていただきたい」
そう言う教職窓口のひとたちと何度口論になりかけたか。
そのときのわたしは、たった一つの大事な賭けに集中するためには、集中できるための保険が必要なんだと信じていました。

ESの他に、出版社は課題作文がてんこ盛り。
どの出版社でどのテーマが出たかまでは書きませんが、こんなテーマがあったよというのは記しておきますね。
「わたしがときめく瞬間」「復活劇」「運」「生まれ変わった瞬間」一番面白かったのは、「カワウソのカワちゃんという生物とあなたが一緒に過ごしてきたという体裁でエッセイを書いてください」というもの。
三題噺ももちろんありました。

そうして張り切りすぎの面接が訪れる……

「自分を他の生き物に例えると?」
「ザリガニです。一度掴んだら離さないからです!たとえばこんなエピソードがあります……」

「自分のことを一言で表現すると?」
「起き上がり小法師です!とにかく失敗してもめげません」

明るく元気に。アクティブで体育会系のイメージでいくのが自分の良さを一番アピールできると思っていました。
でもそれは決定的に自己分析が甘いが故の致命的なミスでした。

惨敗した大学四年生の夏に下した判断

さて。
大学四年の七月がやってきます。最後に引っかかっていた選考(確か三次面接)に落ち、絶望に暮れた夏がやってきます。
どうしよう。前述した通り教員免許の取得も同時に進めていたので、このときのわたしには教員になるという道もありました。
教員になるのか?
何度も言われた言葉が頭をよぎります。

「二兎追うものは一兎をも得ず、だぞ」

出版社に全落ちした当時のわたしには刺さりました。
ほら見たことか、と思われているんだろうなと思って教職窓口にも就活相談窓口にも行けませんでした。

「出版社に行きたい人と出版社に向いている人は違う」

それも刺さりました。そうなのかもしれない。

「他の企業も受けておけば良かったのに。夢ばっか追いかけているから」

夢をもて、夢をもてと小学校中学校高校くらいまでは夢を持ってそれに向かって歩くことがいちばん素晴らしい、みたいな顔をしていた大人たちが一斉に反旗を翻してきました。
でも、何も言い返せませんでした。

本当に夢だったのか。小学生の時からの夢を叶えるということを口実に、わたしは就活から逃げていたんじゃないのか。
考えても考えても答えが出なかったわたしに、ある、誠実な大人が言いました。

「考える猶予があってもいいかもしれない。大学院へ行ってみたら?」

三兎追え!本当の夢はどこに

そうしてわたしは、大学院へと進学することを決めます。
全落ちしたのが七月。院進を決めたのが八月。願書提出まで一週間しかありませんでしたが、滑り込みでセーフ。そこから一ヶ月、院試に向けて猛勉強をします。
そして、春には大学院生としての生活をスタートさせるのでした。

大学院で過ごした二年間はここでは書き尽くせないほど、いろいろなことがありました。その「いろいろ」をいつもはブログに綴っているのですが、今回は就活を軸にして話を進めます。

まず、わたしは教員にはなりたくないのか? 
このことを確かめるべく、一年間ほど非常勤講師として高校で国語の先生をしました。現代文・古文・漢文。
一週間に10コマほどだったでしょうか。寝る間も惜しんでとにかく授業作りをするうちに、わたしのゴールはここかもしれないと思うようになります。
教員になるか。
そんな時、わたしの目は、ある文字を捉えました。

「三兎追え」

うそやん。ほんまか? わたしに言ってるような言葉やんか。
自分が担当していたクラスの標語だったと思います。三兎、追うんですか。追っていいんですか。わたしに言ってますか。
教員も、一般企業も、出版社も。
大学院生活も、アルバイトも、就活も。
勉強も、サークルも、恋愛も。
わたしはありとあらゆる三兎を追い回し始めます。
ちなみにこの時、非常勤講師含め、アルバイトも掛け持ちを三つしていました。

時間がない。けど楽しい。
わからないうちは全部やったらいいし、誰がなんと言おうと大切だと思うものを全部大切にしたらいい。

これは、二度目の就活を経て得た、わたしの人生を通しての知見でもあります。
あるひとは、二兎追うものは一兎をも得ずと言う。
でもわたしは、選択肢を狭めていくことが良いことだとはやっぱり今も思いません。全力で走っていくことで、半ば強制的に見える景色が変わる、変えられていく、そしてその先に本当の本当に欲しいものがある、ということはあり得ると思うのです。

24卒、二度目の就活 自分ってどんな人間?

こんなにふらふらしているわたしって一体、なに?
そんな問いが浮かんできた、大学院修士一年生の終わりごろ。つまり、もうすぐ二度目の就活が始まるというその一歩手前で、わたしは一度立ち止まりました。

出版社しか見えていなかったわたしが、非常勤講師にもやりがいを感じたのはなんでだろう。こんなに頑張れたのはなんでだろう。

すべては国語を好きになってもらうための頑張りだった。
国語って言うときにわたしがイメージするのはなんだろう。
物語。誰かの人生を写したもの。そうしたらわたしが大事にしたいのは活字じゃなくて映画や漫画でもいいのかな。
でもやっぱり本は特別に思う、なんでだろう。
なんでわたしはひとに物語を好きになって欲しいんだろう。
言葉を教えるときに、どんな願いを込めて教壇に立っていただろう。
そっか、わたしは誰かの悩みに寄り添うような言葉を届けたいんだ。

そうして自分自身を掘り下げていくうちに、わたしは核心に近い問いに辿り着きます。

なんでわたしは自分の人生を使って、誰かのために尽くしたいんだろう。
ああ、わたしは誰かに必要とされる、唯一無二の自分になりたいんだ。
そういう役割の中で生きていたい、そういうエゴを抱えていたんだな。

そのことに気づき、向き合い、自分のことを認めてあげた瞬間から、わたしの二度目の就活は円滑に進み始めました。

「自分のことを四字熟語で表すと?」
「猪突猛進です」
すると面接官は「そんな気がします。そんなあなたが伝わってきました」

「自分のことを一言で表現してください」
「ブレーキの壊れた自転車です。でも最近は、ブレーキがないことに自覚して徐行することを学びました」

「あなたはどんな社会人になりたいですか」
「わたしは役割があると安心する人間です。誰かのためになっているということがわたしの存在意義になっています。堂々と社会の歯車でありたいです」

「ご自分のことをよく理解しているんですね」と面接官に言われるようになり、多くが最終面接までほぼ落ちないでたどり着けるように。
それでもやっぱり、最後の最後で合わなかったな、と思うことはあったけれど、このやり方は間違っていなかったと思うのです。
こうして二度目の就活では一般企業も出版社も、とてもいい会社から内定をもらうことができました。

出版社の面接でよく聞かれたこと
・どんな編集者になりたい?
・人からどんな性格って言われる?自分ではどういう性格だと自覚してる?
・やってきたことを仕事に活かすとしたら?
・なんで出版社を受けようと思ったの?
・どんな雑誌読む?Webサイト見る?

具体的な面接対策
・カンペ・台本を用意しない
・自分の言葉で話す、等身大でいい
・国会図書館で刊行物をたくさん読む
・面接官との会話を楽しむ
・集団面接はラッキー。ほかの人がどうやって戦っているのかわかる
・自己分析と企業分析が合否を分ける

負けから学んだこと

まず、自分がやりたいことに正直になること。
全力を尽くしているときに聞こえるあらゆる外野の声は、信じても信じなくてもどっちでもいい。
聞いた上で、惑わされることなく自分で選んでいい、ということ。

死ぬほど回り道をしても、必ず辿り着きます。辿り着くべき場所に。
というか、回り道は負けじゃない。
負けは、負けじゃないということがいちばん忘れちゃならないこと。
わたしはいまだにそのことをよく忘れます。ダメだったことばかりが自分を責め立てるし、くよくよしてばかり。でも、やべえ終わったと思うような道の先にもやっぱり道があるから、今この時点で正解かどうか結論を出すことはたぶんあまり意味がないことなんだろうなとぼんやり思っています。

しかも望んでいた場所に辿り着いてわかったのは、
望んでいた場所も、ゴールじゃなかったってこと。
夢はどんどん広がる、奥へ奥へと進んでいく。しかも、本当にこれでよかったのか、ずっとずっとわからない。
それはきっとどの場所に行き着いても同じと思うから、どの道も間違いじゃなかったんだと思うのです。

長くなりましたが、就活の話はこれでおしまい。
またふわふわした話題で更新します。

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