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魔法使(えな)い

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言葉を選ぶということ

咄嗟に話せない僕は言葉を選びすぎる節があると気づき始めたのが大学3年生の頃。 学部生時代、部活をやっていた。部活がおわるといつも集まって、監督や幹部の先輩、あるいはその時々で指名された部員の話を聞いて、解散という流れがルーティーン。 その日はたまたま自分が指名された。そのときは最上級生ではなかったし、正直指名されるとは思っていなかったので、内容を考えていなかったというのはある。しかし僕はそこで、文章を用意するのに5分間フリーズしてしまった。いや、もっと長かったかも。その日の

    • 早歩き書き 2023.02.06 Tue

      この2,3年間の中で自分が興味のあるテーマについて考えていること、それを考える上で影響を受けたBUMP OF CHICKENの音楽と、出会った書籍の一部を紹介します。 そして、それらが連関していると感じた事を、勢いに任せて言葉にしてみました。やはり走り書きほどのスピード感はないので、今回も早歩き書きです。 土井善晴の料理論料理研究家の土井善晴の紡ぐ言葉がとても好きで、学生の頃、著書をよく読んでいた。レシピ本ではなく、料理を通して彼が語る哲学が好きだ。 大学を卒業し、大学院へ

      • 失うということ

        以前「寒いからあたたかい」という記事で少し触れた、僕が思う喪失感が生まれるメカニズムや、その感覚について書いてみたい。 喪失感は多くの場合、言い尽くせない悲しみや切なさを伴う。言葉に直してしまうことで、その言葉の範疇にこの感情が閉じ込められてしまうことは少し恐いけれど、言葉にすることですこしでもわかることができるように思う。忘れ難い記憶の断片を拾い集めながら、慎重に、丁寧に、喪失感という感覚、失うということについて考えてみたい。 喪失感いまでも忘れられない喪失感の記憶がある

        • 撮るということ

          人は何のために写真を撮るのだろう。 その瞬間を残す、とか、その瞬間を切り取る、とかいう文言をよく目にするけれど、それはどういうことなんだろう。本当に形に残っていると言えるのだろうか。 撮影するという行為の、僕なりの考え。 因みに僕は、自然を、とくに空ばかりを撮っています。その前提で読み進めていただけたら。 違うものを撮る人のお話もよかったらきかせてください。 異論も認めます。大いにウェルカム。 言葉では伝えきれないもの今夏、海辺で夜が明けるのを見た。 ずっと寄せては引い

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        言葉を選ぶということ

          映画のはなし

          ことの発端は、サブスクのはなし先日、友人と炒飯屋さんで昼ごはんを食べているときに使っているサブスクの話をしていた。Apple MusicとかNetflixとか、いろんなコンテンツがあるよねという話の中で僕は、YouTube Premiumを使っているという別の友人の話を出した。その友人が「人生で広告見てる時間何時間だと思う?」って言っていたことについて、かねてから誰かに意見を聞いてみたかったから。 たしかに広告見させられてる時間は累計するととても長い気がするなという話に。で

          映画のはなし

          言葉にしなくてもいい

          前置きが長いです。うれしかったんだろうな、心が大きく動く出来事だったんだなという自分の感情の昂りが垣間見える。 先日、初めてのバイト先でよく面倒をみてもらっていた先輩が通っているアトリエの展覧会に行ってきた。2年前にもお邪魔して、アトリエの先生ともお話させてもらって、来年大学院生になったらアトリエ遊びに行きたいな!通ってもみたいなと思ったりしていた。世の中の状況が大きく変わってしまったこと、僕が病院でバイトを始めたことなどを鑑みて遠慮してしまい、すっかり疎遠になっていた。

          言葉にしなくてもいい

          早歩き書き 2021.05.06 Thu

          素材の特性を生かした立体構成を模索し、制作する授業のTA(Teaching Assistant)をやっています。 そのとき限り今日、ある学生の作品を見ていて、うっかり触ったら崩してしまった。当然めちゃくちゃ謝ったけど(ほんとごめん)、素材が壊れたわけではなく(よかった…)、その子はもう一度組み立て直してた。 組み立て直すのがちょっと難しそうで、見ている僕はどんどん罪悪感でいっぱいになっていくのだけど、同時にこれは微妙なバランスの上に成り立ってたのか、と一度限りの儚さみたいな

          早歩き書き 2021.05.06 Thu

          贈るということ

          誰かに何かを贈るとき、その人が好きそうなものを選んだり、その人のためを思って選ぶけれど、そこには抑えているようでいて抑えきれていない自分の主観が多分に入っている。 これ、好きそうだな、使いやすそうだな、というのは、自分が知っているその人の一面でしかないわけで、使いやすいかどうかは自分の価値観や判断基準も少なからずある。同じ人への贈りものが人によって異なるのは、贈る人が切り取る「贈られる人の一面」が異なるからなんだと思う。 贈りものは難しい「自分の仕事をつくる」という本にこん

          贈るということ

          泣くということ

          悲しいとき、悔しいとき、泣く。 ただ、感動してもあまり泣かない。というか泣けない。 泣くってどういうことだろう。皆はどんなときに泣くんだろう。 感動すること感動というのは、ある出来事を受けて心が動かされている状態と言えよう。喜怒哀楽、あるいはその4種に当てはまらない、言葉にならない感情でもよくて、なにかに心を動かされて感情が生まれたら、それはもう感動と言っていいと思う。「感じて動く」と書くのだから、人である以上きっと誰もが経験しているのだろう。 ただ近頃は「感動」という言

          泣くということ

          寒いからあたたかい

          高校生のとき、デッサンを習っていた時期があった。 基本的に静物デッサンは白い紙に黒い鉛筆でモチーフを描く。モチーフの形を正確に捉え、明暗を見極めて、質感を再現し、鉛筆だけでモチーフを画面の中に表現する。もちろん画材や目的は様々だが、僕の習っていたデッサンはそういう形態をとっていた。 光を描く画面の下地が白なので、基本的には黒い部分を描くことで描き進めていく。白い物体や、物体の白い部分を描くにも、より白く描くということができないので、黒い部分を描くしかない。色の恒常性の話に

          寒いからあたたかい