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映画のはなし

ことの発端は、サブスクのはなし

先日、友人と炒飯屋さんで昼ごはんを食べているときに使っているサブスクの話をしていた。Apple MusicとかNetflixとか、いろんなコンテンツがあるよねという話の中で僕は、YouTube Premiumを使っているという別の友人の話を出した。その友人が「人生で広告見てる時間何時間だと思う?」って言っていたことについて、かねてから誰かに意見を聞いてみたかったから。

たしかに広告見させられてる時間は累計するととても長い気がするなという話に。でも話しているうちに、そもそも人生の中でどれくらいYouTube見るかな?って話になってきて、まあたしかになんだかんだYouTube見ちゃうけどお金をかけなくても見ることができるので、だったらネトフリやアマプラなど、新しいものにお金かけたいかな〜という方向で意見が一致した。


映画の感動に必要不可欠な条件

以前読んだnoteの記事で、なぜ「アベンジャーズ エンドゲーム」があんなにも売れたのか、そこから映画の本質とはなんだろうと考えた、って話を思い出した。

アベンジャーズに代表される作品群、MCU(MARVEL CINEMATIC UNIVERSE)は簡単に言えばアメリカン・コミックの「マーベル・コミック」を原作としたスーパーヒーローの実写映画化作品を、同一の世界観のクロスオーバー作品として扱う作品群。それぞれのヒーローの単体映画があり、各々のバックストーリーも掘り下げられた上で、アベンジャーズシリーズの映画でヒーローたちが集結し、ストーリーが全て繋がっていたことがわかる。

というわけでエンドゲームは初見ではその物語が十分に理解できないにも関わらず、なぜあんなに売れたのかという考察が各所でなされている。もちろん全世界のファン層が厚い事もその要因の一つ。


その記事を要約するとやっぱり映画は映画館で観る没入感が大事だという結論で、その記事の筆者の方は1年半の時間をかけて前作群(エンドゲームまでにおよそ20作品くらいある)を観たのち、ようやく最後のエンドゲームに辿り着いたのでさぞ感動できることだろうと期待して観たそう。しかしサブスクであるがゆえに携帯で観ていて、全然感動できなかったと。感動できなかった理由として、中断したことを挙げていた。

音量とか暗さとか画面の大きさとかもあるけど、リビングで携帯で観たから感動できなかった訳じゃない。中断できてしまうこと。一番は集中して観るかどうかだよね、という結論だった。感動のラインはもちろん人それぞれだけど、集中なくして感動はあり得ないのかもしれない。地上波で放送される映画は、いいところでCMが流れる。これも同じく、ボルテージがいちいちリセットされている感じがしてなんだか冷めてしまう。
詳しくはこちら。

少し話は変わる。僕がいまルームシェアしている友人はとても映画が好きなのだが、家で映画を観るときは必ず事前に飲み物やおやつを準備して、中断せずに済むよう用意をしてから必ず部屋を真っ暗にする。いい音響システムがあるわけでも、ふかふかのシートがあるわけでも、大きなスクリーンがあるわけでもない。ごくふつうのモニターで、適当に床に座って観る。雰囲気出るし、とてもいいけど、こいつはそこまでするんだ、こいつのこだわりなんだな、と今まではなんとなく思っていた。たしかに以前から彼の家で観る映画はなぜか映画館で観ているのとあまり変わらないような感覚があった。
しかし前述の記事を読んでからは、その環境は映画に集中するために必要なことだったんだとわかったし(本人の意図どおりかはわからないけど)、意図的であろうとそうでなかろうとその環境を求めるということは彼は本当に映画が好きなんだなと思った。


「いつでも観られる」は、観ない

先に紹介した記事でも書かれていたように、個人的にMARVEL作品が好きな僕もアベンジャーズ エンドゲームは本当に面白かったと思う。僕は映画館で同じ映画を2回観たのは人生で初めてだった。自分はいまDisney+(ディズニー系の映画・アニメのサブスク)に入っているからエンドゲームはいつでも観られるんだけど、たぶん今観るとしたら「いいシーン」だけ観ちゃうと思う。けど映画館で観るというのは、そのシーンに至るまでの伏線や布石がたくさんあって、飛ばそうかなと思うシーンでもそれを必ず観ることになるわけで。だからこそ「いいシーン」の感動が倍増するんじゃないか。

さて、はじめの炒飯屋さんに戻ろう。
昼ごはんを食べ進めつつ、友人はこないだ学会がオンライン開催されたという話をしてくれた。発表を聞いている中で、「あれっ、いまなんて言ったんだろ」と巻き戻そうとしたら、オンライン開催、つまり生中継だから当然できなくて、聞き逃してしまったそう。学会発表はPCで観ていたから、いつものYouTubeやネトフリで動画観てるのと近い感覚だったからか、「いつでも巻き戻せる」という感覚がなんとなく無意識にあったのかもなあ、と話していた。

例えば、観たいテレビ番組や映画の再放送を録画する。いつの間にか、録画を保存しておくHDDの容量が一杯になっていた経験はないだろうか。これも同じことが言えるんじゃないかと思う。「いつでも観られるから」と放置しておいた結果、溜まっていくのである。「落ち着いたら」とか「時間ができたら」とか言って、どうせ観ないのに。


まとまらないまとめ

だからやっぱり、映画のサブスクは便利な反面、弊害も確実にあるよなあという話に落ち着いた。作品に集中しなくなるのももしかしたら弊害かもしれないけど、それが引き起こす、「作品が消費されていく感じ」というか…
「いいシーンまでちょっと飛ばそう」とか、「聞き逃しても巻き戻せる」とか、配信されている作品のシステム上そういった操作が可能なので、そういう気持ちが生まれてしまうがゆえに作品へのリスペクトが薄れているような気がするというか…

批判をしたいわけではない。作品へのリスペクトが…とかなんとか書きつつ、自分も2回目以降に観る作品はいいシーンまで飛ばしてしまう側の人間なので。

ただ、そういう時代だからこそ映画館で観る映画のよさに改めて気づけた、そんな映画のはなしでした。映画館に映画観にいきたいな。



やっぱり、映画館で観た映画が一番記憶に残る

個人的には、映画館で観た「WILLPOLIS 2014」が忘れられない。2014年の12月、2週間限定で劇場公開されたBUMP OF CHICKENのライブツアー「WILLPOLIS 2014」のドキュメンタリー映画かつ、「WILLPOLIS」という3DCGアニメの二本立て。個人的にいままでに観た映画で一番記憶に残っているもの。
これはDVDを持っているからいつでも見返せるし、こればかりは僕も飛ばさずに見返すけれど、映画館ではもう二度と観られない。DVDの映像は映画館で初めて観た、あの感動、あの体験を思い出すきっかけに過ぎないのである。

現在リリースされている円盤化された映画たちは、観逃した物語を再生するための救済であり、いつでも再生できるように手元に置いておくための物語の物理的なパッケージであり、映画館で観た体験を思い出すための記憶の鍵である。とも言えるんじゃないでしょうか。

円盤化されたものを手元に置いておきつつも、すこしずつ映画館至上主義になりつつある自分を実感しています。

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