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シミセンのマイ古典セレクト

⓪シミセンのマイ古典セレクト


 これから1年かけて、私が過去に読んだ本の中で最も印象深い10冊を皆さんに紹介していきます。1年で全部読み直しするつもりです。古典と言っても、「枕草子」とか「徒然草」と言ったものではなく、私の中で勝手に決めた古典の名作です。選び方の基準は、著者が日本人であること、すでに亡くなっていること、以前読んで強く印象に残っていること、小説ではないこと、としました。小説はまたの機会にしたいと思います。
 そもそも私は幼いころ読書が好きではありませんでした。いまでも児童文学の名作などは読んでおきたかったと後悔しています。(大人になってから「ゲド戦記」を読みました。ジブリでやる前ですけどね。)中学生の頃は、星新一とか眉村卓とかのSFショートショートを読んだりするくらいでした。高校生になると物理学に興味をもちだして、物理学者の伝記を読み始めました。フリーマン・ダイソン著「宇宙をかき乱すべきか」を皮切りに、ハイゼンベルグ著「部分と全体」やフェルミ、シラード、オッペンハイマーなど原爆の製作にかかわった人の伝記も読みました。大学の合格祝いに朝永振一郎著作集を買ってもらって、それを熱心に読んだ覚えがあります。大学受験に向かう電車の中ではアインシュタイン・インフェルト著「物理学はいかに創られたか」を読んでいました。
 私が、常に本を手元に置くようになったのは高校のときに倫理社会を教わった庭田茂吉先生(現在、同志社大学の教授)の言葉があったからです。おそらく先生は何気なく言っただけで記憶にもないのかもしれませんが「一人の作家の作品を読み通すと、その人の世界が広がっておもしろい」というような意味のことをお話されたのだと思います。その日の帰り道、私は家の近所の書店で新潮文庫の目録を見ながら、誰だったら全部読めそうかなあと考えました。そして選んだのが安部公房。たぶん、そのとき20冊くらい出ていたのだと思います。通学の電車の中で読み続けました。特に印象に残っているのは「第四間氷期」。その後、いろいろあって2回読み直しました。何回読んでもおもしろい。よくこんなこと思いつくなあと思います。胎児のときからずっとそのまま水の中で育てて、エラ呼吸ができる人間をつくります。そうして作り上げられた水棲人間は悲しみを知りません。なぜか。涙が流れないから。納得。大学生の頃は、毎日生協の書店通い。新刊本を見逃してはいけないと、半ば強迫神経症的に棚をチェックしていました。そのころ出会ったのが村上春樹。「羊をめぐる冒険」でした。村上龍も同時に買って読みましたが、私は春樹の方に流れました。それから現在に至るまで、出る本出る本すべて買って読んでいます。途中からは単行本で買うのはやめましたが。村上春樹が書いているから、ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デヴィ」も聴いたし、ポール・スチュアートのスーツも買いました。ギリシャにも行こうと思って「地球の歩き方」を買いました。湾岸戦争で計画はなくなりましたが。それから、さすがにマラソンをしようとは思いませんでした。
20代の終わりころだったと思いますが、テレビで「文学と云うこと」という番組がありました。それを見て、夏目漱石を読み始めました。その後、三島由紀夫や谷崎潤一郎も読み出しました。最近やっと太宰治を読みました。まだまだよめていない名作があります。あるとき一念発起してドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読みました。古典新訳がブームになったこともきっかけになっています。これは本当におもしろかった。村上春樹がそれを読む前と後では世界観が変わると言っていましたが、それはともかく、新しい世界に触れた気はしました。
 何のために本を読むのでしょう。新しい知識を得るためとか、考えを深めるためというのもあるでしょう。また、外国に行ったり、過去に行ったり、宇宙に行ったり、いろいろなことが実際にできればいいのですが、そうはならないので、読書で疑似体験をしているとも言えます。恋愛をしたり、嫉妬をしたり、失恋をしたり、現実にはそう何度も体験できないようなことを読書の中ですることもできます。皆さんもぜひ読書の世界にひたってみてください。
 最近、「源氏物語」を瀬戸内寂聴訳で読みました。文庫にして10冊。最初は読み通せるか不安でしたが、あにはからんや、おもしろくて早く続きが読みたいと思いながら読み進めることができました。なぜまた源氏を読もうと思ったのか。いつか読まないといけないとは思っていました。が、きっかけになったのは高校のときの国語の堅田友子先生が開かれている「大人塾」に参加したことでした。堅田先生は源氏が専門ということで、ちょっと先生の気をひきたいという気持ちがあったのだと思います。10歳ほど年上ですが、これはちょっと恋に近いのではないかと自己分析しています。先生が好きだから、先生の好きなものを好きになる。齋藤孝先生が言う「あこがれの連鎖」です。これが学びの動機になることもあります。とても大切な感情だと思っています。
 私の好きな本、皆さんも読んでみませんか。
ここに、今後紹介する本のタイトルと著者を列記しておきます。小中学生の皆さんはもし何かで悩むことがあったら、まず⑧を読んでみてくださいね。
①朝永振一郎「物理学とは何だろうか」 ②中谷宇吉郎「雪」 
③日高敏隆「人間はどういう動物か」 ④西田利貞「人間性はどこから来たか」 ⑤梅棹忠夫「文明の生態史観」 ⑥網野善彦+宮田登「歴史の中で語られてこなかったこと」 ⑦河合隼雄「未来への記憶」 ⑧森毅「まちがったっていいじゃないか」 ⑨大村はま「日本の教師に伝えたいこと」 ➉林竹二「教えるということ」 以上。そして、追加で⑪岡田節人著「からだの設計図」

①朝永振一郎「物理学とは何だろうか」


 数学はもともと好きでした。理科は得意分野と苦手分野がありました。中3の頃だったと思います。クォークという雑誌で神岡鉱山における陽子崩壊の実験について読みました。いまでいうスーパーカミオカンデの初期のものです。そのころから物理学、とくに素粒子論がかっこういいと思いだしました。大学では物理学を勉強する、そう決めました。高校2年生の夏のことです。朝永先生の本は最初に「物理学読本」を読み、それから「量子力学的世界像」を読みました。その中にある「光子の裁判」が印象的でした。ノーベル物理学賞をとるような方が、ユニークな文章を書くものだなあと感じた覚えがあります。そして、大学の合格祝いに、箱入りの著作集12冊を一括購入してもらいました。その中の第7巻が「物理学とは何だろうか」です。いまでも岩波新書で気軽に手に入れることができます。朝永先生はそうとう元の論文にあたって、その当時、執筆者がどういう想いで書いていたのかを探られていたようです。しかし、これは私が解説を読んで気づかされたことで、はじめて読んだときも再読中にも、朝永先生がこの本の執筆にどれくらいの時間をかけられたのか、どんな想いであったのか、そこまで考えをめぐらすことはできませんでした。実は本書は未完なのです。先生は本書執筆中に病に倒れます。最終節は病室にて口述となっています。内容的にはケプラー、ガリレオ、ニュートンから始まって、ワットなどによる科学技術の進歩からカルノー、クラウジウス、トムソン(ケルヴィン、絶対温度を提唱した人です)など熱力学への影響、そして分子運動論に至り、ボルツマンの苦悩・自死あたりまでとなっています。ファラデーやマックスウエルなどの名前も出てはいましたが、電磁気学についての詳しい記述はないし、ましてやアインシュタインはブラウン運動の話などでいくらか出てきますが、ボーアやハイゼンベルグは出て来ないし、量子力学や相対性理論誕生秘話など一番おもしろいところが全くありません。おそらく構想はあったでしょうし、本当いうと、そこらあたりがきっと同時代を生きて来られた朝永先生としては一番書きたかったことなのではないかと思います。私自身とても残念ですし、先生も悔しかったことでしょう。おそらく後半で先生が書こうとされていた内容が、市民向けの講演で話された「科学と文明」の中にいくらか表れているのだと思います。新書下巻に付されています。そこに出てくるエピソードから。ノーベル物理学賞・化学賞のメダルにある絵の話。「片っ方にはいうまでもなくノーベルの肖像です。片面には二人の女性が立っている絵が描いてある。真ん中に一人の女性が立っていて、それはベールをかぶってるわけです。字が刻んでありまして「ナツーラ」というラテン語が書いてあります。ナツーラは英語ではネイチャーで、自然ということです。その横にもう一人女性がいて、ベールをもちあげて顔をのぞいてる。この女性の横には「スキエンチア」と書いてある。スキエンチアとはサイエンス、科学です。これは何を意味するかといいますと、ナツーラすなわち自然の女神はベールをかぶっていて、なかなかほんとうの素顔を見せたがらない。サイエンスはそのベールをまくって素顔を見る。科学はそういうものだということを象徴しているのが物理学賞、あるいは化学賞のメダルになっているわけです。」中3で勉強する「慣性の法則」これはガリレオが実験(どちらかというと思考実験)で確かめるのですが、「物体に力が働かなければ、止まっているものは止まり続ける。動いているものは同じ速度で動き続ける。」というものです。実際の感覚とはちょっと違うわけです。止まっているものが止まり続けるのはいいとして、動いているものに力を加えないのに同じ速さで動き続けるとはどういうことか。実は、物体には空気の抵抗や摩擦力という力が働いている。だから減速し、最終的には止まる。しかし、力が働かないならば同じ速度で動き続けるのです。こういうことはただぼんやり眺めていただけでは見つけることはできません。ありのままの自然を見るには、なんらか実験などをして自然に働きかけなければいけない。ある意味ではこれは自然に対する冒とくなのかもしれないのです。こういうところまで先生は話を進めています。実はここに至る過程で、先生の思いの中には原子爆弾など、物理学者が犯してきた過ちがあったはずなのです。そんな中で、物理学の新しい動きに注目されています。それは、たとえば天気予報だったり地震の予知だったり、いわゆる地球物理学などの話です。いくらかの実験はもちろん必要なわけですが、複雑な現象をありのまま見つめようとするその姿勢が大切だとおっしゃっています。つまり自然の女神のベールをめくって顔を見るというようなぶきっちょなことをするのではなく、ベールをそのままにしながら自然を知るという方法が可能だということです。こういうことを実は40年前にすでに言われていたわけです。そしていま実際に、そういう分野が複雑系の科学として非常に重要視されています。実は私自身本書を再読して、朝永先生がここまで書いていらっしゃったのだということにはじめて気づきました。学生のころ読んだときにはそこまで知識もなかったし、何とも思わずに読んでいたのだと思います。逆に、熱力学あたりでは数式に全くついていけなくなっていて、読むのに苦労しました。学生時代は理解していたのだろうか・・・。小中学生の皆さんには、序章から第Ⅰ章とそして講演会の記録の最終章を読まれることをおすすめします。高校で物理の勉強を始めたら、Ⅱ章、Ⅲ章も読んでみてください。
最後に、本書からは離れますが、朝永先生の十八番の笑い話。ロンドンだったかに向かう列車のキップを買おうとして、「トゥ ロンドン」と言うと2枚キップが出てきた。そこで「フォー ロンドン」と言い換えると4枚キップが出てきた。どうしようかと思って「エート」と言ったら8枚キップが出てきた。おあとがよろしいようで・・・
 次回は中谷宇吉郎「雪」(岩波文庫)です。雪国の生活の苦労話から、雪の結晶を作るときの苦労話まで、苦労話が満載です。


②中谷宇吉郎「雪」


「雪の結晶は、天から送られた手紙である」このことばをどこかで聞いたことはありませんか。これは、本書の最後に書かれているものです。どうして中谷先生はそんなふうに感じるようになったのでしょう。それを少しずつ見ていきましょう。
私は学生時代「六(りっ)花(か)」という名の学生寮で暮らしました。私にとってその4年間はかけがえのないものとなっています。「六花」とは雪の結晶のことです。六角形の結晶を何かで見たことがあるでしょう。雪の結晶が六角形をしていることは割と古くから知られていたようです。しかしそれは本当に正しいのでしょうか。実際にルーペや顕微鏡などでくわしく見たことはないでしょう。だいたい、最近雪はそう多く降らないし、降ったとしてもすぐとけてしまう。これはやはり寒い土地でないと調べることはできないのでしょう。日本で寒いと言えばもちろん北海道。中谷先生は北海道大学で雪の研究をされていました。本書の最初の12ページは雪の結晶の写真です。最近に書かれた本ならばきれいなカラー写真が載っていることでしょうが、本書の写真は白黒で決して美しいものではありません。さらに、その形は私たちがふつう想像するものとは大いに異なります。針状のものや、角柱のようなもの、3本しかトゲが出ていないものや、逆に12本伸びているものもあります。これらの写真は、中谷先生やその研究室のメンバーが雪が深々と降る寒い中、オーバーコートを着て、分厚い手袋をはめて、顕微鏡をのぞきながら撮ったもののようです。長時間は無理なので、あたたかい暖房の効いた部屋で体を温めては外に出て写真を撮るということをくり返したようです。こうして実際の雪の結晶を調べることができるのは、冬の季節だけです。それではなかなか研究が進まなかったことでしょう。ところが何年かして大学に低温を保つことができる施設がつくられます。そこで、中谷先生たちは人工的に雪の結晶を作ることになります。それがなかなか簡単にはできないのです。そもそも雪とは何でしょう。それは空気中の水蒸気(気体)が冷やされて氷の結晶(固体)になったものです(気体から直接固体に、または固体から直接気体になることを昇華(しょうか)という)。さらに、中心には核(細かいちりなど)になるものが必要です。その核になるものがなければ、気温が下がって水蒸気が飽和状態(中2の最後に勉強します)になったとしても水滴(0℃以下なら雪)ができません。そのような状態を過飽和と言って、その過飽和状態のところに核が現れると雪の結晶がつくられるそうです。では、
それを実験室でどうやって再現するのか。水を温めて水蒸気をつくり、上昇気流をつくって、その上の温度は低く設定する。そして、核としてウサギの毛をつるします。ウサギの毛は拡大して見ると、ところどころに出っ張りがあってそこが核になるようです。これも相当な試行錯誤の上、見つけた方法のようです。水温を変えたり、上部の気温をいろいろ調整し、どんな結晶ができるかを調べます。
さて、最初の写真の中には自然にできた雪の結晶と、人工的につくった雪の結晶との両方が載っています。見比べてみるとどうでしょう。そっくり一緒ではないですか。そうして、どういう条件でできた雪がどんな形状をしているのかが次第にわかってきたのです。結晶の形の違いはそれがつくられるときの気温や湿度によるようです。その後、雪ができる天高くの雲の中の状態も調べることができるようになり、中谷先生たちが調べ上げた気象状況と結晶の形の関係は間違っていなかったことが証明されています。
いまここに書き出したのは本書の3章・4章で述べられていることがらです。実は、本書の前半は、雪国の苦労話とか、雪の利用の仕方とか、それまでに雪についてどのくらいのことが調べられているのかなどが書かれています。その前半部分もおもしろい話はいろいろあるのですが、何と言っても、実際に中谷先生が雪を調べ、雪をつくっていく過程が抜群におもしろいのです。子どもに「どうして雪の結晶がこんな形をしているの?」と聞かれても答えようがない状態だったというところから、研究はスタートしたようです。
では「雪が天からの手紙」であるとは一体どういうことなのでしょう。最後のページを紹介します。
「さて、雪は高層において、まず中心部が出来それが地表まで降って来る間、各層においてそれぞれ異なる生長をして、複雑な形になって、地表へ達すると考えねばならない。それで雪の結晶形及び模様が如何なる条件で出来たかということがわかれば、結晶の顕微鏡写真を見れば、上層から地表までの大気の構造を知ることが出来るはずである。そのためには雪の結晶を人工的に作って見て、天然に見られる雪の全種類を作ることが出来れば、その実験室内の測定値から、今度は逆にその形の雪が降った時の上層の気象の状態を類推することが出来るはずである。このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。」
 本書を読んでずいぶん経ってからですが、石川県の加賀温泉に旅行で訪れました。そこは中谷先生の生誕の地。いまはその地に記念として「雪の科学館」があります。ぜひ見学してみたいと思って行ってみたのですが、なんと休館日でした。ちゃんと事前に調べておかないといけないですね。
 中谷宇吉郎は寺田寅彦大先生のお弟子さんの一人でもあります。そのためか、文章は非常に読みやすいと思います。(エッセイもたくさん書いて「天災は忘れたころにやって来る」と言った寺田寅彦ですが、文学上の師匠は夏目漱石です。)中谷先生と前回紹介した朝永先生は、ほぼ同時代を生きた物理学者ですが、研究分野も大きく違うので、おそらく接点はなかったことと思われます。けれど、朝永先生が最後に言っていた、自然のベールをはぐことなくそのままに眺めることも大切だ、ということを実際にやっていたのが寺田・中谷らだったのだと思われます。
 次回は日高敏隆先生の「人間はどういう動物か」です。とっても楽しい本です。時代はずいぶん最近のものになります。

③日髙敏隆「人間はどういう動物か」


たくさんの本を出されているのに、日髙先生の本はなぜかこの1冊しか読んでいません。そしてこれがとても印象的でした。それほど古い本ではないのですが、すでに先生が他界されているということもあってマイ古典ベストに入れました。そして再読しました。タイトルはとても大きなテーマなのですが、中身は小さなエッセイの集まりです。いろいろな雑誌などに書かれたものを1冊にまとめたのだと思います。
いきなりですが、とても興味深いデズモンド・モリスの説を紹介しましょう。「人間もほ乳類の仲間であるから、赤ん坊を産んで、乳で育てる。おっぱいは、赤ん坊に乳を与えるための、まさに授乳の器官である。ところが、人間の女のおっぱいは美しいものだということになっている。これはなんなのだろう。じつは、ほかの動物のおっぱいはみんな細長い形をしている。・・・ところがなぜか人間のおっぱいは非常に丸く、乳首が短い。・・・赤ん坊に母乳を与えようとするとき、・・・鼻が押さえつけられて息が出来ずに泣くことになる。・・・人間のおっぱいは変な形で、母乳を与える器官としては具合が悪くなってしまっている。・・・どうしてこういう形になってしまったのか。それは人間が直立したことと関係があるのだと、モリスは言っている。・・・類人猿のメスが、自分が優れたメスだということを示す信号はお尻である。・・・赤い尻はメスであることをあらわしている。・・・四つんばいで歩くと、お尻が後ろから見える。オスはそのお尻を見て「あ、いいメスだ」と思って追いかけていく。人間の場合、直立して互いに向き合って話をするようになると、後ろ向きの性的信号は、思ったほど効果を生まない。・・・それで前にあるおっぱいをなるべくお尻に近いものに変えてしまったのである。」なるほど、おもしろい。いや、でもそれって本当かなあ。まあ、いろいろな考え方ができるわけで、他にも擬態の例はいろいろあるので読んでみてください。
次はハヤブサの話題を。猛禽類であるところのハヤブサは断崖絶壁に巣をつくるのだそうです。ところが最近(今現在がどうか不明ですが)アメリカの大都会ニューヨークに住み着いて数を増やしているのだそうです。一体どこに住んでいるのでしょう。それは、ちょっと古い高層ビルの壁。ちょっとした張り出しの下などに巣をつくるのだそうです。そんなところまで天敵のキツネなどは上ってこられないから。
今度はアオムシの実験を紹介しましょう。モンシロチョウの幼虫であるところのアオムシはアブラナ科の植物だけを食べます。これはきちんと遺伝的に決まっている。ホウレンソウやレタスはぜったいに食べない。キャベツとかダイコンはアブラナ科の植物でカラシと同じ成分を含んでいる。そこで、ただの紙切れにカラシをぬって与えてみると、食べても何の栄養にもならないのに平気で食べてしまうのだそうです。かわいいね。
人間の子どもは小さいころは何でも口に入れます。それが辛かったり、口に入れて痛かったりしたら、それは口に入れてはいけないものだと学習するのでしょう。
鳥のひなは親鳥が食べるものをよく見て同じものを食べるようにします。「親の背中を見て育つ」ということですね。
ウグイスの「ホーホケキョ」という鳴き方は、以前は遺伝的にそなわったものであるという説があったそうですが、実験するうちにそうではないことが判明しました。ウグイスのひなを親と離して、音の聞こえないカゴの中で育てる。そうすると、「チャッチャッチャ」という地鳴きはするが、「ホーホケキョ」とは鳴けなくなるのだそうです。ちゃんと鳴けるようにするには、テープでもいいので、「ホーホケキョ」という鳴き声を聞かせて覚えさせるといいのだそうです。
しかしいろいろな実験をする人がいるものですね。これはどうしてだろう、もしこうしたらどうなるのだろう、と何でも不思議に感じる好奇心が必要なのですね。人間の教育については、日髙先生はこんなふうに書いています。「子どもは、自分でおもしろいと思ったことは、どんどん取り込んで育っていくものだ。好奇心があれば身につける必要のあるものを自分で選んで、取り込んで、勝手に育っていく。教育とは、結局、そういう「場」をつくることなのである。」皆が夢中になって学ぶ環境をつくるのが私たちの仕事であると、あらためて考えさせられました。
あとがきで先生は次のようなことを言っています。「今われわれにとって重要なのは、昔からたえず問われてきた「人間はどう生きるべきか?」を問うより、「人間はどういう動物なのか?」を知ることであると思うようになった。」そして、それを知るために、動物行動学と呼ばれる学問と付き合ってこられた。動物行動学は、「それぞれの動物がなぜそのような行動をしているのか?」を知ろうとする学問です。その研究が、人間がどういう動物なのか、ひいてはどう生きればいいのかを知るヒントになっていくのでしょう。
最後に、解説として作家の絲山秋子さんがいいことを書いているので紹介しましょう。「むずかしいことをむずかしく書く」のは誰でもできる。「むずかしいことをやさしく書く」のが大切。しかしそれは「わからないことを都合よく理解する」こととは全く違う。利己的遺伝子で有名なリチャード・ドーキンスは「利己的なのは遺伝子であって、個体ではない」と発言している。それは、動物行動学が恣意的に誤った方向で利用されることに危機感を感じたからではないか。日髙先生もモリスもドーキンスもそれから動物行動学を確立したコンラート・ローレンツも皆「むずかしいことをやさしく書く」のが上手だったようです。このあたり、ほとんど手付かずです。まだまだ読んでいない本がいっぱいあります。興味をもたれた方は、本書を入り口として、いろいろと読み進んでいってみてくださいね。
次回は、西田利貞先生の「人間性はどこから来たか」です。今度はしっかりした単行本です。いまはソフトカバーで発行されているようです。オオカミに育てられた少女の話は真実か???本書で決着がつきます。

④西田利貞「人間性はどこから来たか サル学からのアプローチ」


 「狼少年という話がある。インドやフランスでオオカミに育てられたという子どもが発見された。かれらは、人間の言葉を話せず、オオカミのように唸るだけであるばかりか、二足歩行もできず、四つ脚で走ったという。かれらは、誕生後すぐに母親に捨てられ、オオカミが育てたので、オオカミの習性を身につけたという。」これが本書の出だしです。この後の話のもって行き方によって、私は本書を即購入することに決めました。西田先生の結論はこうです。「私はこの話は嘘に違いないと確信した。」理由はいくつかありますが、ヒトの赤ん坊はしょっちゅう乳首を求めるのに対し、オオカミは3時間に1回である。ヒトの母乳よりオオカミのミルクは成分が濃い。ヒトの赤ん坊がミルクを必要とする年月はオオカミよりはるかに長い、などです。ところが、いまだにこの話を信じて疑わない人がいます。教育関係の本にもよく紹介されるエピソードです。人間は教育で変えられるということを主張したいからでしょう。私自身は、学生時代「教育心理学」の講義の中でこの話が扱われ、これはおそらく自閉症の子どもをずっと隠して育てていたのだろう、ということばが腑に落ちていたのですが、その後も何度もまともに取り上げられているので、どうなんだろうと自信が持てずにいました。しかし、本書を読んでそれは確信に変わりました。そんなことはありえない。「あとがき」にはこうあります。「本書を出版する動機は、「人間は文化の産物であり、教育によってどのようにでも変えられる」という考えがあまりにも根強くはびこっていることにある。」「人間がいかようにでも変わるという思想は、なぜ問題なのか? 進歩思想と結びつくからである。」「人間は学習によってどんな新しい環境にも耐えられるという信仰、問題が起こってもかならず技術革新が起こって解決されるという信仰こそ、環境破壊の最大のイデオロギー的基盤ではないだろうか? あらゆる河という河をコンクリートで固め、ありとあらゆる道路をアスファルトで固めた現代日本の歩みは誤っている。アメリカの模倣をやめ、大量消費の習慣を廃棄して、貧しくとも静かで心豊かな国を目指すべきだ。 私は、こうした「進歩思想」に対して、生物人類学者の立場から異議を唱えたかったのである。」
もう、「はじめに」と「あとがき」それから後ほど紹介する最終章だけ読めば十分なような気もしますが、生物人類学の教科書として3つだけエピソードを紹介しておきます。「互酬性」について。年賀状のやり取りを例に挙げられています。「こちらから年賀状を出していない人から年賀状を受け取った者は、ほとんどが返事を書く。こちらからは出したのに、相手から来なかった場合には、九分九厘の人は、翌年賀状を書かない。「お返しをしない人」と見なされるのである。」「受けた恩恵を返さない人、利己的な人は、疑いや敵意の対象となり、伝統社会では村八分とされた。日本の諺は、互酬的援助行動の核心をついている。「情けは人のためならず」とは、他人を助けることは、結局自分にとって得となることを教えている。」「贈答は古今東西を問わず、行われている習慣である。贈答にはお返しの質、時期に関して一定の暗黙の了解がある。贈与を受けると、そのプレゼントにふさわしいお返しをしなければいけないという義務感を感じるようにヒトの神経系は作られている。」(こういう習慣けっこう苦手なんだけどなあ。)「美意識の発生」について。「皿二枚と積み木をチンパンジーに与えたあと、それを皿におくように身振りで示した。すると、チンパンジーは左右の皿に同数になるように入れ分けた。皿の大きさを変えると、大きな皿には多く、小さな皿には少なく入れた。あとで計ってみると、皿の面積比にきれいに比例していたそうである。」「シンメトリーや比例配分を快いと、チンパンジーは感じるのであろう。これらの能力を教えられなくとももっているのである。おそらく、これは学習によって得た能力ではなく、生得的な脳の配線がなせる技であろう。」「二足歩行」について。ワンバのピグミーチンパンジー(ボノボ)のビデオによると、ピグミーチンパンジーはサトウキビの運搬のときチンパンジー以上によく二足歩行をするし、しかも10メートル以上歩くことはざらにあり、姿勢もチンパンジーよりずっとよい。」その見事な歩きっぷりの写真が掲載されています。
「終章」より。「ヒトの脳は人口密度の小さかった狩猟採集時代に進化した。脳は狩猟採集時代に起こった問題を解決するために生まれた器官であり、決して徹底的に融通のきく万能のコンピューターではない。技術がすべてを解決するという楽観主義の根拠は、こういった認識の欠如から起こる。」それでは、今後我々はどうすべきなのでしょうか。西田先生なりの答えが五点挙げられていますので、それを紹介しましょう。「第一に、子どもたちを幼児のときから、山野に連れていき、それこそが、人にとっての環境であることを体験させる。」「第二に、快適さや能率をあまり追求してはいけない。」「第三に、自然保護活動をヴォランティアとして行ったり、自分でできない場合はそういう活動をしているNGOに加入したりカンパする。」「第四に、拡張主義、発展主義はきびしく批判されるべき。」「第五に、人口抑制に役立つあらゆる方策・政策が実行されるよう提案する。」「現在、地球上で起こっているあらゆる難題は、人口過剰によって引き起こされている。人口を減少させない限り、絶え間なく戦争は起こるだろう。人の命が尊いのは、人口が少ないときだけであることは、虐殺が毎日のように起こっている20世紀の歴史をかいま見ればわかることである。」私が、ふだん思っている通りのことが、ここには書かれています。というか、この本を読んで、こう考えるようになったというのが正しいのでしょう。私が読む本ではだいたい皆同じような考え方をされているのですが、選挙の結果を見る限りでは、どうやらそういう考え方は多数派ではないのです。これは、ちょっと大著ですが、図書館で探して(なければリクエストして)「はじめに」「終章」「あとがき」だけでも読んでみてください。いまは、京大学術出版会からソフトカバーで刊行されています。
 次回は私がここ十数年ほど、古本屋で見つけては購入して読んでいる梅棹忠夫先生の名著「文明の生態史観」です。中公文庫で出ています。


⑤梅棹忠夫「文明の生態史観」


50年以上前に書かれた論文が本書にはおさめられています。私が10年ほど前にはじめて本書を読んだときは、こんな考え方があったのかと、おどろきの連続でした。いま読み返してみると、はじめのときほどの感動はないのですが、それでもいまの世の中のことを思うとき、参考になることがたくさんあります。そもそも、私が著者の本を読みだした理由は、「行為と妄想」というタイトルの自伝を読んだことにあります。たまたま古本屋で見つけて、また、たまたまそれがサイン本だったため、即購入して読みました。すごい人物であることがすぐに分かりました。今西錦司の弟子であり、国立民族学博物館の初代館長でもあります。晩年、目の病のため大変苦労されますが、それでも精力的に執筆活動(口述筆記)や著作集の編集などもされていました。梅棹先生の本はどれも非常に読みやすい、どうやらこれは今西先生の「わかりやすい文章を書け」という教えだったようです。いろいろおもしろい本はありますが、ワクワク感でいうと「東南アジア紀行」などの探検記が最高ではないかと思います。今回は、おそらく著者のなまえをいちやく有名にした文明論であるところの本書を紹介します。インドやパキスタンあたりを旅行したときの話から。「・・・この東洋でも西洋でもないインドをさして、わたしがデリーでしりあったひとりの日本人の留学生は、うまいことをいった。『ここは中洋(一発で変換されないところをみると、このことばは一般化しなかったようです)ですよ』わたしは感心して、このことばをつかうことにした。とにかくわたしは、いままで、インドおよびイスラム諸国が、東洋でもなく西洋でもないことについて、明確な認識をもっていなかったことを、ふかくはじた。」「わたしは、旅行中、アフガニスタンでも、パキスタンでも、インドでも、しばしばおなじ質問をうけた。『日本は、急速に近代化した。その秘伝をおしえてくれ』というのである。わたしは、正直のところ、その秘伝はないとおもう。これらの国をみて、これは日本とは事情がちがいすぎる、とおもったのだ。」これは、著者がカラコラム・ヒンズークシ学術探検隊に参加されたあと、帰り道の旅行のなかで感じたことを書かれたものです。このあたりからあたらしい文明論をえがきはじめられています。なお、先の探検の記録は「モゴール族探検記」として刊行されています。これもおもしろいです。さあ、一気に文明の生態史観の本論に入っていきましょう。「ここでわたしは、問題の旧世界(アメリカ大陸をのぞく世界)を、バッサリふたつの地域にわけよう。それぞれを第一地域、第二地域と名づけよう。旧世界を横長の長円にたとえると、第一地域は、その、東の端と西の端に、ちょっぴりくっついている。とくに、東の部分はちいさいようだ。第二地域は、長円の、あとのすべての部分をしめる。第一地域の特徴は、その生活様式が高度の近代文明であることであり、第二地域の特徴は、そうでないことである。」「わたしは明治維新以来の日本の近代文明と、西欧近代文明との関係を、一種の平行進化とみている。」「第一地域の国ぐには、最近数十年間の、近代文明の建設時代だけではなく、ずっとむかしから、封建制の時代から、しらずしらずのうちに、平行進化をとげてきたのだ」「ふるい進化史観は、進化を一本道とかんがえ、なんでもかでも、いずれは、おなじところへゆきつくとかんがえた。現状のちがいは、そこへゆきつくまでの発展段階のちがいとみたわけだ。じっさいの生物の進化は、けっしてそんなものではないのだが、人間に適用された進化史観は、まさにそういうものだった。生態学的な見かたをとれば、当然道はいくつもある。第一地域と第二地域とで、社会がそれぞれべつの生活様式を発展させてきたところで、ふしぎではない。」しかし、いまだに発展途上の国という発想で、なんとか手助けしようとしていることにかわりがないように思われます。それぞれの国、それぞれの民族には、それぞれの発展のしかたがあり、それを尊重するべきなのだと思います。「旧世界すなわちユーラシアおよび北アフリカをふくむ巨大な陸地の自然の、生態学的構造をかんがえてみよう。きわめていちじるしい現象は、全大陸を東北から西南にななめに横断する巨大な乾燥地帯の存在である。それは、沙漠とオアシスの地帯か、あるいはステップである。それに接して、森林ステップあるいはサバンナがあらわれる。古代文明は、だいたいもうしあわせたように、この乾燥地帯のまっただなかか、あるいはその縁辺にそうサバンナを本拠として成立している。ナイル、メソポタミア、インダス河谷はもちろん、黄河、地中海さえも、実質的にはそうである。」「乾燥地帯は悪魔の巣だ。乾燥地帯のまんなかからあらわてくる人間の集団は、どうしてあれほどはげしい破壊力をしめすことができるのだろうか。」「第一地域の特徴は、・・・中緯度地帯。適度の雨量。たかい土地の生産力。原則として森林におおわれていたから、技術水準のひくい場合は、乾燥地帯のように、文明の発源地にはなりにくいが、ある程度の技術の段階に達した場合は、熱帯降雨林のような手ごわいものではない。なによりも、ここははしっこだった。中央アジア的暴力が、ここまでおよぶことはまずなかった。」のちに東南アジア探検後に一部修正をくわえたうえで、右のような図を作成されています。ここでⅠは中国世界、Ⅱはインド世界、Ⅲはロシア世界、Ⅳは地中海・イスラム世界をあらわしています。右下に東南アジアを別途つけたしたことから、それに対応するかたちで左上に東ヨーロッパをおかれています。そのうえで、いろいろと、対応する点をあげらています。最後の論考では、宗教を伝染病などとの対比として考えられており、これも非常に示唆に富むものとなっています。現在は、危険地帯をのぞけば、世界中どこにでも行けるようになりましたが、60年前には、まだまだ実情がわからない国、地域がたくさんありました。それで、学術探検隊として、いろいろな土地におもむいていかれたのです。そんななかで、梅棹先生は自分の目でみて、感じたこと考えたことをまとめられました。だれかの話をきいただけとか、だれかが書いたものを読んだだけとかとはちがって、いきいきした感じがつたわってきます。そして、そのワクワク感はいまでもおとろえることはありません。いま読んでいての問題は、現在がどういう状況になっているかよくわかっていないという点です。かわってしまったこともあるでしょうし、なにもかわらないままというものもあるでしょう。いずれにせよ、この梅棹先生の考え方を参考に、その応用問題として現在世界がかかえているテロなどの問題にたいして、なんらかの対応方法を見つけていくことができればよいと思います。なお、梅棹先生の文章は漢字が極端にすくなくなっています。すべてローマ字にしてはどうかという議論もあったぐらいですので。次回は網野善彦・宮田登両先生の対談「歴史の中で語られてこなかったこと」(洋泉社新書・現在品切れ中かもしれません。希望者には貸し出します。)をとりあげます。対談には対談の魅力があります。話は「もののけ姫」からはじまります。 

⑥網野善彦+宮田登「歴史の中で語られてこなかったこと」 


網野善彦は日本史の先生、宮田登は民俗学の先生。日本史と民俗学、似たようなことを研究していますが、関心の向き方がちょっと違うようです。いずれにしても、本書には、国家とか政治とか戦争とか、そういう話はあまり出てきません。ふつうの歴史の本とはちょっと違うのです。私自身は宮田先生の方と先に出会っています。つまり民俗学に先に興味をもちました。学生時代に読んだのが「女のフォークロア」。詩人の伊藤比呂美さんとの対談でした。忌屋なんていうことばともそこで初めて出会い、かなり衝撃をうけました。網野先生はたぶん本書を読んだ後くらいから読み出しました。のちに中沢新一さんのおじさんにあたることを知りました。
さて、お二人とも残念なことに他界されているために今回のセレクトに入ってきました。対談の始めは「もののけ姫」からです。みなさんは「もののけ姫」を観たことがありますか。何回観ましたか。1回では理解しづらい部分があるため、何度も観る人が多かったようです。私は子どもが幼いころ付き合って何度も観ました。まずは網野先生の言葉から。「まず、蝦夷の世界から話が始まり、タタラ場は都市のように描かれている。しかもそこには女性や非人、そして牛飼いまでが出てくる。山林には森の精霊が現れ、ダイダラボッチまで出てくるわけです。とにかく玄人が観るとよく勉強してやってる感じがしましたが、素人が観たときにこれがどれだけ理解できるか・・・。」「体に布を巻いた人たちが出てきますが、彼らがハンセン病に罹った被差別民であることなど、わからなかったでしょうね。」宮田「製鉄のためには、山々の木々を大量に伐採し山を破壊する。地域開発センターのタタラ場のまとめ役のエボシ御前は、山の世界を守ろうとする山の精霊たちとの戦いの先頭に立つ。」「学生たちにこの映画の印象的シーンを聞いてみますと、いきなり冒頭にタタリ神になった巨大なイノシシのすさまじい突進シーンがあり、イノシシの全身にヘビが絡み付いた場面が強烈だったようです。」網野「そのタタリ神に矢を撃ち込んで殺してしまった蝦夷の少年の腕にヘビが巻き付き、アザとして残る。」宮田「タタリを象徴するスティグマ(聖痕)になるわけですね。」網野「その少年は、タタリ神を倒したことで、最後までその業から逃れられない。そういう意味では、確かに救いはないわけですね。少年が自然に敵対するものの側に立つたびに、腕のアザがギリギリと締め付ける。」宮田「タタリ神の『しばり』ですね。」網野「しかし、そのスティグマとしてのアザは、この映画の最後で自然と人間の共生を確認するシーンでも消え去ってしまわないのです。つまり、救われてはいない、解決されていないわけですね。そこにこの映画の魅力があるのでしょう。」もう1回、映画が観たくなりますよね。前に観たことがある人は、本書も読みたくなるのではないですか。これでまだ20ページくらいです。「もののけ姫」ばかりというわけにいかないので、先に進みます。
網野先生の一番言いたいこと。「そうした農人は百姓や門男(もうと)(水呑)の一部で、上関では他に船持、商人、廻船問屋、鍛冶屋、漁師、船大工、などが百姓に含まれています。浦方の門男の場合、農人はまったくいません。輪島と同じで商人や職人が大部分です。ですから、百姓=農民とするのはまったく間違いですね。・・・農人の中身をさらに調べてみると、実際は養蚕、木綿、機織りをしたり、たばこを作ったりしており、炭焼きや製塩をやっている人もいる。しかしそれはみな「農間稼」「作間稼」で農業の副業になってしまっています。都市でなくとも、普通の村の中に酒屋、鍛冶屋、たばこ屋などがいたわけで、私の先祖も百姓ですが、酒屋をやり、山を持ち、金融までやっていました。そうした状況が江戸時代の普通の村に見られたのですが、これが全部これまでは農村としてかたづけられていたわけです。」少しわかりにくいことばも出てきますが、網野先生が一貫して言っているのは「百姓=農民」ではないということ。柳田國男などの影響もあるようですが、どうも江戸時代まではほとんどが農民だったような印象があるのですが、そうではないということが少し調べると分かるのですね。
話題は最近の談合の話にも及びます。もともと談合は聖なる場所でするという伝統があったらしい。これは市場にも当てはまる。網野「市場は境に設定され、そこはやはり神の世界に近い場所です。市場では相場を決める談合や饗応、そしてお祭りもやりますし、芸能もあります。それと同時に、市場ではすべてのものが『無縁』になる。つまり『神のもの』になるわけです。だから商品交換ができるわけです。ふつうの場所でものを交換すれば、贈与とお返しで人間の関係がむしろ緊密につながってしまうことになります。ものが『無縁』になる市場だからこそ、初めてものの商品としての交換ができるわけです。」
年貢の話もいろいろとおもしろい。網野「コメを貨幣とするような経済になったので、東北の大名は水田を開発したのではないでしょうか。水田をひらいて貨幣としてのコメを運用すれば、一種の企業が成り立つと考えられるようになったので、それに投資をする商人も現れたのではないでしょうか。」「製鉄民は、コメではなく、鉄を年貢に出すわけです。・・・要するに非農業民の百姓の租税の負担の仕方なんですが、中世にはこういう例がいたるところにあります。東日本でコメを出している荘園はほとんどありません。ほとんどが絹と布ですよ。・・・養蚕地帯であったり、麻を栽培している地帯では、コメを出すよりその方がはるかに自然だったんでしょう。」
網野「夏祭りは都市の祭りです。昔は怨霊の仕業と考えられた疫病などが、都市に多く流行る夏に、その怨霊を払うために行うのが夏祭りですから。」宮田「祇園祭のような、多くの日本の祭りというのは農村の祭りじゃなくて、都市の祭りです。」
本書を読んでいると、歴史の教科書には出て来ない、いろいろな事実が見つかるはずです。最近の研究者は、民間の家に眠っている昔の資料などをあちこち探しまわっているようです。日記や手紙、家計簿など、もともと文書として保存されているものはもちろん、ふすまの裏張りとして使われている紙の中にもいろいろな資料が見つかるそうです。こうして、歴史に興味を持ったうえで、もう一度教科書を読んでみるとよいのかもしれません。最後に網野先生の言葉を「今や、日本史の常識は音を立てて崩れつつあると思いますね。」

 次回は臨床心理学者で日本にユングを紹介し、箱庭療法などを持ち込んだ河合隼雄先生です。数ある著書の中で、「未来への記憶 上・下」(岩波新書)という自伝を紹介します。いまは新潮文庫の「河合隼雄自伝」として刊行されています。

⑦河合隼雄「未来への記憶」 


河合隼雄先生は大学卒業後、3年ほど高校で数学を教えていました。しかし、その間も大学院で心理学の勉強も続けられており、ロールシャッハ診断法などで力を発揮しました。そして、大学で心理学の講師をされたりした後、アメリカ、スイスと留学し、日本で初めてユング派分析家としての資格を取られた方です。箱庭療法を初めて日本に持ち込んだのも河合先生です。また、臨床心理士やスクールカウンセラーの制度確立に尽力されています。京都大学を退官された後は、国際日本文化研究センター(日文研)の所長も務められました。その後、文化庁長官に就任され、その心労がたたったのか、脳梗塞で倒れられ、意識が戻らないまま亡くなられました。本書は、スイスのユング研究所へ留学されたあたりまでの、人世の前半部分の伝記となります。岩波書店社長(当時)の大塚信一さん相手に語り降ろされたのをまとめてあるので、非常に読みやすく仕上がっています。本当は、人生後半部分についてもぜひ書いていただきたかったのですが、残念ながらそれはかないませんでした。村上春樹さんは河合先生と親交がありましたが(対談もおもしろい)、村上さんが唯一読んだことのある河合先生の著書が本書だったそうです。
 もともとの生まれは丹波篠山。田舎ではあるのですが、お父様が歯医者さんで、わりとリベラルな家庭で育たれたようです。男ばかりの6人兄弟の下から2番目。すぐ下の弟さんを5歳のときに亡くされており、それが一番古い記憶だそうです。そこから本書は始まります。兄弟の中で自分だけ運動が苦手で、どちらかというと家で本でも読んでいる方が好きだったようです。けれど、お父様は「子どもは遊ぶのが本分」と、小学生の間の読書はあまり良いとは思っておられなかったそうです。中学生になると自由に本が読めるようになって、年長のお兄さんたちから借りたりして、いろいろ読まれたようです。
 私は自伝が大好きで、いろんな人のものを読んでいますが、とくに興味深いのはいろいろな人との出会いの話です。本書に出てくる最初の有名人は梅棹忠夫先生です。(第5回で著書を紹介しています。)河合隼雄さんが直接指導を受けたのではなく、お兄さんの河合雅雄さん(こちらは、サルの研究者。雅雄さんの「人間の由来」も抜群におもしろいのですが、ご存命のため今回のマイ古典セレクトからははずれています)の、京大動物学教室での指導教官が梅棹先生でした。雅雄さんは学生時代、肺結核のため丹波篠山の自宅で療養中でした。卒業研究でウサギを飼ったりされているのですが、その進捗状況を見るためにわざわざ梅棹先生が訪ねて来られたりしています。隼雄さんはもともと数学が専門だったので、湯川秀樹先生の量子力学か何かの講義も一応聞いているそうです。理学部自治会では伊谷純一郎さん(こちらもサルの研究者)とよくしゃべったそうです。京大人文科学研究所(人文研)も出てきます。桑原武夫、今西錦司の大先生、お二人は名前だけですが、ものも食わずに本ばかり読んでいると紹介されているのが鶴見俊輔さんです。多田道太郎さんとはマンガについての仕事をいっしょにしたそうです。私も鶴見・多田両先生とは若いころ現代風俗研究会(現風研)でご一緒させていただきました。それから、下巻の後半に出てくるのがニジンスキー。(バレエを習っている人なら知っているかな?)とはいっても登場するのはその奥さん。本人は精神を病んで入院中。スイス留学中に奥さんの日本語教師をしていたそうです。私は20代前半に舞踏をちょこっとだけかじっていたので、この名前にかなり敏感に反応してしまいました。いろんな出会いがあるものです。
 河合先生は夏休みには実家に帰って、中学生なんかに数学を教えていたそうです。本家河合塾です。それで、大学卒業後は高校の先生になりたいと思い始めます。しかし、高校教師を見ているとどうも情熱もなく堕落していく人が多い。そんな中、自分が習っていた中で信頼のできる先生に話を聞きに行きます。「中学校や高校の教師は同じことを教えているので自分たちが進歩しなくなる。なんにも進歩しない人間というのは魅力がない。自分は国文学についていつも研究している。それは学会から見れば大したことないかも知らんけれども、自分なりにずっと研究は続けてきている。自分がどこかで進歩しているということを、中学生、高校生には何も教えないのだけれど、みんな感じているんじゃないか。だから、別に数学でなくてもいいから、自分が進歩し続けられるものをしっかりと持っている限りは高校の教師になってもいいと自分は思う。」ということをその先生は言われたのだそうです。とても大切なことだと思います。それで、心理学の勉強を続けられたようです。
 アメリカに留学してから、河合先生はユングの本に出合っています。「人間の心に直接迫ることが書いてあるんで、「これやッ!」と思うたんですよ。」「分析家になるためには自分自身を知らねばならない、だからまず自分が分析を受けねばならない、と書いてあるんですよ。」そこでシュピーゲルマンという先生に分析を受けに行くと、分析料は1時間1ドルでいいと言われます。ふつうは25ドルくらい。安すぎる。自分は留学生だし、本も買わなければいけない、お金がたくさんいる、だから安くしてくれた。けれど、自分にとって非常に大切な分析。それが1ドルでいいというのは納得がいかない。そのことが夢にまで出てくる。シュピーゲルマンに思いを告げますが、それはわかった、けれども分析料は1ドルでいいと言われます。ここで、河合先生の言った言葉がいい。「ここであなたがぼくにしてくれたことをぼくはどこかでするだろう。日本でするか、どこでするかわからないけれども、あなたのしたことをそのままする。それはあなたに対して払うんじゃないけど、あなたのしたことの意味をくんで行うのです。」シュピーゲルマンはとてもよろこんだそうです。(ペイ・イット・フォワードというのと同じような感じでしょうか。「恩送り」ということばを今知りました。)さらに留学中の出来事。アメリカでは博士号(Ph.D.)をとらないと臨床心理士の資格が取れない。そのためにいろいろと講義をきかないといけない。しかし、それは臨床家になるための役に立たないのではないかと大学院生たちは思ったそうです。そこでクロッパーという教授に質問を投げかける。すると、「臨床家となるためのエゴ・ストレングスのために役立っている」つまり強い自我を確立するためにそれは要るんだと言われたのです。大学院生たちはその一言で黙ったそうです。うーん、受験勉強にも同じことが言えるかもしれないですね。その後、スイスのユング研究所に留学。ここでの話も大変おもしろいのですが、紙幅がつきそうです。非常にユニークな研究所だったようです。夢の話とか、シンクロニシティのこととか、もう偶然なのか、必然なのかわからないような話が次々に出てきます。ぜひ読んでみてください。
 最終盤でバイリンガルの精神面についての危険について語られています。こういった話は本書で初めて知ったと思います。
 本書は、岩波の大塚さんに引き出されるまましゃべったため、非常に主観的な内容になったと、ことわられています。それに続けて「私はいわゆる客観よりも主観のほうに、いつも賭けてきた人間なのだから、それが反映されていると言うこともできる。」とあとがきをしめくくられています。
 河合先生にはもっと活躍してほしかっただけに、残念でなりません。しかし、亡くなられてから何冊本が出版されていることか・・・

次回は、いよいよ森毅。私のバイブルです。「まちがったっていいじゃないか」(ちくま文庫)を再読します。


⑧森毅「まちがったっていいじゃないか」 


森毅(つよし)、敬愛の意を込めて呼び捨てにさせていただきます。まずは出会いから。高校3年生のとき、友人が「数学受験術指南」(中公新書いまは文庫で)を「おもしろいから読んでみて」と言って貸してくれました。たしかにおもしろい。2人で、大学にもぐりで講義を聞きに行きました。京都大学の教養部。先の授業はアウシュビッツか何かの話をしていて、大教室は満員。講義が終了するといっせいに学生が出て行きました。数名、寝たままの学生がいましたが。次の講義はいよいよ森毅。期待に胸は高鳴ります。学生があまりやってこないため、私たちは中に入るのをためらっていました。時間になっても森毅はやってこない。学生が数名いるだけ。ひょっとして今日は休講? と思っていたら、くわえタバコにジーパン姿でやってきました。生(なま)森毅。衝撃的でしたね。結局、中には入れず、外から少し様子だけ見て帰ってきました。それ以来のファンです。出る本、出る本飽きずに買って読んでいました。森毅は数学の先生ですからもちろん数学の専門書も書いています。が、それよりも、人生論、教育論、新聞連載の軽いエッセイなどを多く書かれています。私が今持っている、人生観、教育観のかなりの部分が森毅によって形成されたと言っても過言ではありません。その後、次回以降紹介する大村はま先生、林竹二先生、それから齋藤孝さんなどの教育観にも影響を受けていますが、ちょっとしんどくなったら森毅、いつも帰って来る場所になってくれています。森毅は大学定年退官後、テレビのコメンテーターとしてよく顔を見るようになりました。そのときはちゃんとネクタイを締めているんだ。へそ曲がりなんだなあ。講演会にも何度も足を運びました。そして、いまから十数年前。当時私が所属していた子育ての勉強会で、森毅を呼んで講演会を開催することになりました。まあ、ヘビースモーカーで、講演前に一服しながら、「タバコで肺がんになるとかいうけど、タバコやめて受けるストレスの方が体に悪いわ」と言っているのが印象的でした。終了後、居酒屋(お酒は一滴も飲まれませんが)での打ち上げで、私は森毅の向かいでお話を聞く機会に恵まれました。「人生20年説」の第2ステージが終わりかけだった私は、「次のステージはどんなふうに生きていけばいいんでしょうね」などと聞いていたら、「最近は、人生平方(2乗)説に変えたんや」と言っていました。つまり、生まれてから1歳まで、次は4歳まで、9歳まで、16歳まで、25歳まで、36歳まで、49歳まで、64歳まで・・・と区切ってみる。たしかに、26から36までは結婚、出産、37から49は子育てとか、わりとうまく合うのです。64歳までは働いて、その後は・・・と。その後、本の出版数も減り、テレビで見かける機会も減っていたのですが、あるとき、台所で料理中にあやまって熱湯を浴び大やけど、入院、その後、良くならずに亡くなられたということを知りました。まあ、らしいと言えば言えなくもないですが、残念なことでした。
さて、本書について。最初どこに掲載されたかの記載が見当たらないのですが、1980年ころ、おそらく何らかの雑誌に、中学生向けに書かれたのだと思います。いま読み返しても、時代の古さは感じません。「半分おとな」の中学生に対して、「もしもきみが、なんでも親に話し、なんでも先生に話しているのなら、少しは自分の心のなかだけにとどめることを残し、少しは自分たちの世界でものごとを処理することを試みるよう、ぼくはすすめる。もしもきみが、親にも先生にも心をとざし、まったく信用していないのなら、同じ人間同士のことだし、少しは心を開いてみることを、ぼくはすすめる。」
次に、森毅の考え方の中でも、私が最も好きなものの1つで授業中にもよく紹介しているもの。「なぜ勉強するの」という節から。「もちろん、まったく手がつかないのでは、おもしろくもないが、案外に、多少はわからないでも、うまく頭のなかに飼っておくと、そのうちに馴れてくれて、わかってきたりする。その、だんだん少しずつ、わかりかけというのも、オツなものだ。そのためには、それを飼っておく、頭の牧場がゆたかでなければならない。本当のところは、数学の力というのは、いろいろとわかったことをためこむより、わからないのを飼っておける、その牧場のゆたかさのほうにあるのかもしれない。」
受験生へのアドバイスとして。「テストの問題が難しいときは、シメタ、これはほかの奴にできないぞ、と思うとよい。そして、テストの問題が易しいときは、シメタ、これは自分にできるぞ、と思うことだ。まあ、これは別に、受験に限ったことではないのであって、ものごとにはたいてい、よい面と悪い面がある。なるべくよい面に目を向けていると、楽観的になれる。いつでも悪い面を見ていると悲観的になる。そして、楽観派のほうに、運がつきやすい。」
最後に、人生論として。「・・・現在の苦労が将来の安楽のためだなどとは、絶対に思ってほしくない。・・・もちろん、人生には多少は苦しいこともあろうから、それはそれなりにやってよい。山を登るのに、汗をかくこともあろう。しかしぼくは、それを山頂をめざすとばかり思うより、登り道のあれこれを、汗を流しながら楽しむ方を好む。山頂の白雲に思いをはせることはあっても、それは夢でいろどりをそえるためで、やはり現在の登り道にこそ、楽しみはある。」
終わりに、「これから、きみたち自身について、なにを考えていくかは、きみたちの問題である。それには、答えはないだろう。でも、それが、とても大事な問題なんだ。」
 私は高校のとき1年間留学したため1つ下の学年で卒業しました。それで高3のときはあまり友だちがいませんでした。そんな中、数少ない友だちの1人I君が、私と森毅を引き合わせてくれました。I君とは、外部受験仲間としてもよく時間を共にしました。現在音信不通。いつか会って、森毅とのこと、お礼を言いたいと思っています。本人は覚えていないかもしれませんが。みなさんにこうして森毅を紹介しているのを「恩送り(ペイイットフォワード)」と考えてもいいのかもしれませんね。

ほかに、ちくま文庫からは「エエカゲンが面白い」「ひとりで渡ればあぶなくない」、ちくまプリマーブックスから「悩んでなんぼの青春よ」などがあります。タイトル見ただけで、気持ちが楽になりますね。

 次回は、大村はま先生の教師論「日本の教師に伝えたいこと」(ちくま学芸文庫)。読むときはいつも身が引き締まる思いです。


⑨大村はま「日本の教師に伝えたいこと」 


苅谷剛彦さん(教育社会学者)がかかわった「教えることの復権」(ちくま新書)という本を先に読みました。いま本棚に見当たらないので、たぶん、図書館で見つけて読んだのだと思います。そこに、大村はま先生が登場します。私の予備知識は、テレビで一度そのお姿を拝見した程度でした。その本の中で初めてふれる先生の指導法には強烈な印象を持ちました。大村先生ご自身は、もう10年ほど前に、100歳を目前に亡くなられています。そこで紹介されている教育実践例がとにかくすごいのです。100人いれば100通り違う文章を与え、それについて考えさせる。それぞれに手引きを与える。ひとりひとりの生徒をしっかり見ているからこそできる技なのです。同じ教材は別の生徒に対してでも使わないというからまたすごい話です。使い回しはされないのです。それは、いつも新鮮な気持ちで教室に入るためだとおっしゃっています。これはもう大村先生の本を読まなければと思って「教えるということ」と本書(いずれもちくま学芸文庫)を読みました。「教えるということ」は誰かに貸して返ってきていない本の1冊。そういう本が5冊ほどあります。どれも大切な本ばかりです。貸したと思っている相手には「返しました」と言われたから仕方ないですね。
 さて、本書の内容に移します。大村先生はふつうの中学校の国語の先生でした。現役の教師を引退された後も、後進を育てるために各地で講演会などもされていたようです。本書はその講演会での話をもとに編まれています。そのため、何度も同じような話は出てきますが、大切だからこそ何度も登場するのです。
もう、最初のページから反省させられることばかりです。「何事かを加えて教室に向かい、何事かを加えられて教室を出たいと思っています。」もう、1回1回が真剣勝負なのです。「あり合わせ、持ち合わせの力で、授業をしないように。」この言葉を胸に、日々の授業に向かいます。(一方で、ありあわせのもので、必要なものを創る=ブリコラージュという「野生の思考」がいま見直されています。)
「まず、『なになにしなさい』ということばをやめることです。・・・教師がこうなったらいいと願っていることを、『なさい』ということばをつけて子どもに言う、これは専門職の教師としては、たいへん、みっともない気がします。・・・『なさい』と言いたいことを、そう安易に言わないで、自然に子どもにさせてしまう人、そういう人が教育の専門家らしい人だと思います。」その通りだと思います。が、なかなかその通りにできないのが現実です。 
受験が近づいてくると、算数・数学などの質問が多くなります。そんなとき、すっと解き方を子どもたちが分かるように教えるというのはそれほど難しいことではありません。すんなり教えたほうが時間も短縮できます。けれど、それをこらえて、子どもたち自身に考えさせないといけません。そうしないと、自分でできるようにならないからです。私たちが安易に教えるというのは子どもたちの考えるチャンスを奪っているということになります。けれど、それは放っておくというのとは違います。大村先生はこんなふうに言います。「子どもに自由に考えさせると言って、何もしないのは、自由のはき違い、教えるということを忘れていることだと思います。・・・子どもに任せきりでなく、どこまで、どのように手引するのか、深く考えておきたいと思います。教師はいつの場合でも教えることが仕事なのですから。」子どもたちには少しずつヒントを与えます。そしてそれをもとに考えを進めていく。そして、自分の力で「解けた・できた」という思いを持ってもらいたいのです。解けたとき・できたときの快感を奪う権利は私たちにはないのです。私たちも粘り強く、我慢することが大切です。子どもたちに自分自身の力で出来たのだという自信を持ってもらうこと、それがその子の後の学習習慣に大きく生きてくるはずです。
発問の仕方について。「教師自身が答を持っていることを、授業の進行上、子どもに聞いたりする。それは相手を一人前に扱わない失礼なことだと思います。自分の知っていることを知らないような顔をして聞くのは、普通の人にはやらないことです。子どもだからいいというものではない。子どもを尊重するとはそういうことだと思います。」これは、特に、学校の国語科の授業だからこそ言えることなのかもしれませんが、理系を担当している私にとっても、意識しておきたいことばです。
私たちは「ひとりひとりを大切に」と40年以上もうたい続けています。それが、単なるかけ声だけで終わっていないだろうか、日々振り返らなければいけません。「ひとりひとりを育てるには、まず、ひとりひとりを知ることです。ひとりひとりを捉えていなくては、それに応ずる指導ができるわけがないと思います。」今日来てくれた生徒全員に声がかけられただろうか。ひとりひとりを見つめることができただろうか。毎日毎日、問い続けないといけません。それだけ、大変な仕事をしているのだという思いを持ち続けないといけません。
「教育の効果というのは、何十年と先に花開くものですから、すぐ見えなくても焦らないことです。(逆に)すぐ見えても有頂天にならないことです。自分だけで育てているわけではありませんし・・・」私たちの仕事というのは子供たちの成長に関わる本当に大切な仕事だと思っています。合格をして、喜んで報告をしに来てくれる姿を見るのは本当にうれしいものです。けれど、それだけではなく、大学に合格したとき、就職したとき、結婚したとき、子どもができて初めて親の気持ちがわかったとき、そんなときどきに、声を聴かせてもらえるのが本当にうれしいのです。卒業してからもぜひ、機会があれば顔を見せてくださいね。(そういう意味で、FBは、いろいろ問題もあるかもしれませんが、すこぶる活躍してくれるツールなのです。)
 さて、大村先生のことばで気が引き締まりすぎて、ちょっとしんどいなと思ったら、森毅です。私の救いはそこにあります。そして、気がゆるんだら、来月は林竹二先生の「教えるということ」(国土社、単行本です。図書館にあると思います。)これまたすごい教育実践例です。また気を引き締めます。


➉林竹二「教えるということ」 


 林竹二先生のことはどこで知ったのだろう。たぶん、竹内敏晴さんとの対談(「からだ=魂のドラマ」)を先に読んだのだと思います。竹内さんのことは、芝居とか舞踏とかにも興味があったので、ずいぶん前から知っていました。「からだとことばのレッスン」にも参加したことがあります。それで、林先生の教育実践例を知って、これは著作を読んでみないといけないと思い、大きな書店で何冊か買いこみました。林先生は宮城教育大学の学長を務められていたころ、附属小学校をはじめ、全国の小学校で特別授業をされていました。本書では、その具体的な内容というよりかは、子どもたちの感想文をもとに、授業というものがどうあるべきなのかを語られています。
 最初に、私の否定的な思いを少し書いた上で、本書の紹介に入っていきます。まず1つめは、林先生の授業は年に1,2回の特別授業だからこそできる技なのではないかということ。私も先日「銀の匙仕様の理科授業」を行いました。ずいぶんと時間をかけて準備をしました。まずまず好評だったと思います。けれど、これを年間通してするのは無理です。子どもたちの感想では、ふだんの担任の先生との授業より、林先生の授業がいいと書かれていることが多いそうです。上のような理由で、それはそうだろう、と思えてしまいます。もう1つ。「人間について」の授業で、オオカミに育てられたアマラとカマラの話を題材に使われています。1970年代に行われた授業のことだから致し方ないのかも知れません。そういった点を差し引いても、林先生のことばには学ぶべき点が多々あるのです。
 「私が子どもたちの感想から学んだ第一のことは、子どもたちは、みんな勉強したがっているということだ。その点で、いわゆる成績のよいわるいによるちがいは、まったくない。」担任によると勉強する気がないと思われている子が書いた感想文から。「ぼくは、林先生に、べんきょうをおしえられて、はじめて、人間はいったいなんなのかという、ぎもんをかんじた。」おそらく林先生の授業にも興味がわかなかった子はいるはずです。しかし、やりようによっては、あるいは内容によっては、目を輝かせて授業に参加する子どもが出てくるということも確かなのでしょう。
 林先生の特別授業を見学した先生たちからは批判を受けることが度々あるそうです。「私の授業を見た教師は、よく私が子どもたちに発言の場を与えていないことを問題にする。だがたくさんの子どもたちが、『林先生と授業をした』と感想を書き、『私はこんなに先生と授業をしたのははじめてです。』と書いた子もいる。」「子どもが授業の主体にならない限り、授業ははじまらない。・・・『40分が10分くらいにおもえた』と書いている。時間が短く感じられるのは、彼が授業の主となって、夢中になって自分の問題を追っかけているからである。これが、子どもが授業の主体となるということである。発言の有無は関係ない。」授業中、早く終わらないかなあ、と思って時間ばかり気にしいる人はいませんか。一生懸命に先生の話を聞いて、必死に問題を解いて、夢中になって考えていたら、あっという間に時間が過ぎていた、そういう経験をしたこともあるのではないですか。どちらが良いかは言わなくても分かりますね。私たちは日々、後者のような授業を提供しないといけません。みなさんには、常に先生の話は自分に向かって話しかけられているのだと意識していてほしいと思います。先生が自分に問いかけたときだけが自分の問題だと思っていたのでは、その授業を受けたことにはなりません。
「子どもの活発な発言によって進行する授業において、すべての子どもの主体性が尊重されているとはおもえない。この種の授業においては、少数の授業の花形と多数の授業からしめ出された子の出ることはさけがたいのである。教師が厳しく授業を組織するのでなければ、子どもは授業の主体になれないし、授業は授業にならない。授業とは、子どもたちが自分たちだけでは到達できない高みにまで、自分の手や足をつかってよじ登るのを助ける仕事である。この作業の中での教師の任務の中心は、子どもの発現をきびしく吟味にかけることである。借りものの知識はそこでは通用しない。だから教師に授業をきびしく組織する意志と力量があれば、本来仮象にすぎない子どもの成績のよしあしの差は消える。成績のよしあしをきわだたせるものは、授業の質の低さである。」少し、長い引用になってしまいましたが、非常に重いことばです。5年生の子の感想から。「林先生がみんなに話しかけるときもなんだか自分1人に話しかけているみたいでした。」皆がそうあってほしいと切に願います。
 「学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、終わることのない過程に一歩ふみこむことである。・・・学ぶことの証はただ一つで、何かがかわることである。」日々の授業で自分に問いかけてみてください。何かかわったかなあ? かわったことをだれかに伝えてみてください。はじめて聞いたこととか、はじめてできるようになったこととかは、だれかに言ってみたくなりますね。みなさんが、その日の授業の内容を、夢中になっておうちの人に話したりしてくれていたら、私はとってもうれしいです。そういう授業ができるように私たちも意識しないといけません。
 「教師は、その仕事の本質からいえば、医師以上に高度に、専門的な仕事に対して、責任をもたされている。子どもがもっている可能性にとりくんで、これを引き出すという仕事は、病気をなおすよりも、はるかに複雑で困難な仕事である。」医師以上に高度と言われてしまうと、命にかかわることではないし、命より大切なものはないだろうし、などと考えてしまいますが、教師というのは責任ある仕事だということは間違いないでしょう。そして、確かに、はっきりと原因の分かっている病気の治療よりは複雑で困難な仕事と言えるのかもしれません。(そういう意味では、職場環境とか待遇面をもっとよくして、教員を目指す人がもっと増える社会にしていかないといけないのでしょうね。)
 200ページ強の本ですが、ほとんどの引用ははじめの数十ページからです。大切だと思うところに付せんをはりながら読んでいますが、何度も同じ内容に付せんがはられています。いろんな機会に書かれたもの・話されたものを1冊にまとめられているので、同じ記述が何度も出てきます。それは、しかし、大切なことだから何度も登場するのです。教師を目指す人にはいつか自分でしっかり読んでみてほしいと思います。
 次回が最終回です。連載を始める前、私の選んだ古典として10冊を挙げていました。基準は、著者が日本人ですでに亡くなられている方というものでした(小説以外)。もう1冊何をとりあげようかと思い、実はこの1年、複雑な気持ちでいたのです。亡くなられてしまうのは残念なことだけれども、まあ、90歳とかになって、よい作品を残して他界されたのなら、哀悼の意を込めて、マイ古典として紹介させてもらえばよいだろうと思っていました。けれど、喜ばしいことに、1年間そういう方が1人もいらっしゃいませんでした。が、とうとうつい先日、岡田節人先生が亡くなられたという訃報が入ったのです。(喜んではいませんよ!)そこで、次回は「からだの設計図」(岩波新書)をとりあげたいと思います。かわいいプラナリアが登場します。


⑪岡田節人著「からだの設計図 ――プラナリアからヒトまで―― 」


 岡田先生が先月亡くなられました。89歳でした。ご冥福をお祈りいたします。さて、私と岡田先生の出会いからお話しましょう。学生時代、生体物理学という講義を聴きました。カオスやフラクタルの話から生物の発生についての話まで多岐にわたっていました。そんな中で興味をもち、岡田先生の「動物のからだはどのようにしてできるか」(岩波新書、いまは絶版になっているかもしれません)を読みました。あとでふれますが、その中に登場するゴキブリのあしの実験が非常に印象深く、この仕事についてからも、何度も授業の中の話題にしてきました。さらに、私が20代後半で、まだ、さらに専門的な研究をするために大学院に進むかどうか悩んでいたころ、岡田先生の書かれた新聞記事の中にある言葉を見つけました。それが「学問のファン」です。そのことばに接して、私の目の前はパッとひらけたのです。「そうだ、自分はこれから学問のファンに徹しよう。そして、学問の楽しさを皆に伝えていこう。」そんなふうに決心することができたのです。
 それでは本書の内容のほんの一部ですが、紹介していくことにしましょう。「発生は、すべての多細胞生物の演ずる基本的な生物現象である。個体の生命の始まりの姿――これは受精卵である――で死ぬ多細胞生物はないことに思い至って欲しい。卵からスタートした発生というプロセスは、長くしかも見事な筋書きをもったドラマである。この過程は、生物学の歴史においては長らくの間最も神秘的ともいえる現象であり、物質・分子の働きとして説明するには難攻不落の聖域の如く考えられてきたものだ。しかし、今や状況は急変しつつある。もっとも、理解ができたか否かと真正面から問うと、大いに問題もあるのだが、このプロセスの科学的認識ともいえるものは、大きな変容を遂げたと思う。」こういう状況を本書では解説されています。ただし、本書もすでに20年以上前に書かれています。前著の「動物のからだ・・・」から13年たったこともあって、本書で新たな研究成果にふれられているのですが、それもまた古くなってしまいました。本書からは、最新の研究がどうなっているのかを知ることはできませんが、発生生物学の歴史のダイナミズムを感じとることができるのではないかと思います。
 「プラナリアのからだを2つに切ると、頭の方の半分からは尾が、尾の方の半分からは頭が再生して、もとと同じ2匹の動物個体がつくられる。4分しても、8分しても、さらには縦に切っても結果は同じで、再生は完全である。一体全体、どれほど小さくきざんでも再生は可能なのだろうか、と好奇心をもたれる方もあるやもしれぬ。20世紀になってなされた報告に0.3ミリの長さがあれば再生は可能というのがある。そうあてになる実験でもないのだが、こうした実験をデザインし、その結果を評価することは、大げさにいうと生物学のイデオロギーにまで及ぶものもあるといえるのだ。」このあたりの事情がくわしく解説されています。ここで、2通りの考え方ができます。①残ったどの細胞も、腸の細胞でも、神経の細胞でも、分裂を始めると元の性質は御破算になって、新しい体制をつくり直す。または、②再生部分のタネになるような特別な細胞が分布している。もし、実験を繰り返してあまりにも小さな一片からは再生しないという事実があれば、それに対する考え方は次のようになります。①の場合、再生を行うには一定の量の細胞からスタートしなければならない。②の場合、あまりにも小さな一片の中にはタネの細胞が含まれていなかった。このいずれが正しいかを決める実験結果は次のようになるでしょう。①が正しいなら、あるサイズ以下ではすべての断片が再生できなくなる。②が正しいなら、あるサイズ以下にしても再生するものと、再生しないものができる。この後、実験の具体例の説明もありますが、結論を急ぐと、プラナリアの再生のタネになる細胞が見つかっています。それには新生細胞という名前がついています。つまり、②が正しかったのです。残念ながら私たちヒトのもつ再生能力は極度に低く、同じような細胞は見つかりません。しかし、毎日失われていく血球細胞や皮膚、消化管の細胞などを補給するタネになる細胞はあって、それを幹細胞と呼んでいます。こういった研究が、再生医療として注目されるiPS細胞へとつながったのでしょう。
 さて、次にはゴキブリのあしの実験を紹介しましょう。まずはゴキブリのあしに根元の方からA、B、C、D、Eと記号をふりましょう。そして、右図にあるように、DE間で切断したものと、AB間で切断したものをつないでみます。このとき、短い方どうしつまりAとEをつないだものは、間にB、C、Dができるようにあしが伸びてきます。これは十分に想像できますね。次に、長い方どうし、つまりDとBをつないでみます。この場合、根元からA、B、C、D、B、C、D、Eとなりどうも真ん 中のDとBのつながりが気持ち悪いのです。そこで何が起こるか。Ⅾ、Bが自然に消えて元の長さのあしになるなら普通なのですが、ここではⅮ、Bの間にあらたにCがつくられます。これでつながりが良くなるのです。けれどもこのあし、もとに比べるとずいぶん長くなりましたね。しかも、あしに生えている毛の向きにも注目してください。おもしろいことが起こりますね。どうやら、からだの中には決まった位置情報があって、そのつながりがおかしくなった場合は最少の挿入によってつながりを安定させるのだそうです。
 もう1つ、今度は岡田先生の研究室で発見された分子について紹介しましょう。まずは1910年に報告された実験から。カイメンと呼ばれる動物の細胞をバラバラにする。それを新鮮な海水の中に入れておくと細胞のままで生かし続けることができる。数日間観察を続けていると、細胞は再度集まり、多細胞のカイメンが再生する。さて、細胞はどうしてくっつくことができるのか。この仕組みを岡田先生のグループは解明されました。そして、その細胞どうしを接着するのに必要な分子にカドヘリンという名前が付けられました。カドヘリンcadherinとは、カルシウムcalciumの存在下で、細胞接着adhesionにはたらく分子という意味で、自然に発音しやすい語感があったためか急速に知れ渡りました。自分が発見して命名したものが世界中に広まる気分とはどんなものなのでしょうね。
 本書を読み進めるには高校生物の基礎的な知識は必要になります。私もすっかり忘れていますから(というか1回も覚えていないかもしれません)読み進むのは大変苦労しました。それでも、一流の科学者の一般書を読むことで、科学研究の醍醐味をほんの少しでも味わうことができるのではないかと思います。
 
 1年間にわたって、マイ古典を紹介してきました。齋藤孝著「古典力」(岩波新書)の中に、「繰り返し読む価値のある本が古典の名にふさわしい」とあります。それで、この1年間、私が過去に読んだ中で、もう一度読んでみたい本を11冊取り出して、読んでみることにしました。最初に読んだときから私も変化していますから、正直言って感動が薄れたものもありました。しかし、若い頃とはまた違った感じ方をするものもありました。皆さんもたくさん本を読んで、自分自身のマイ古典を見つけていってください。良かったら、またいつか私のマイ古典も読んでみてくださいね。1年間ありがとうございました。


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