ある寒い日の


そう。
湯船に浸かっていた。
外は寒い風の音がして、風呂場の空気も冷たい。
湯からあがるのが億劫で、うとうとしていた。
アンタなんかは誰にも本当の本当には愛されないよと言う声がした。
自分の声だ。
私は黙って聴いていた。
それにアンタは誰のことも本当の本当には愛せないよと言う。
私は黙っていた。
声は私を否定する言葉を続ける。

でっかい耳くそだと思った。
でっかい鼻くそだと思った。

声に対する侮辱の意味ではない。
私が私に溜めているくそみたいな感情だと思ったのだ。

耳くそや鼻くそは、生きていれば勝手に溜まる。

たまに、なんか違和感を感じて、ほじくって取ってしまえば、すっきり通ったりする。
そんなものだと思った。
そういえば、胸くそが悪いという言葉がある。
その胸くそとこの胸くそが一緒かは知らないが、生きていれば、胸くそも勝手に溜まるのだろう。
良いとか悪いとかでなく。
私は黙って聴いた。

聴くよ。言ってごらん。大丈夫だよ。

それが胸くそ掃除の気がした。
ただただ聴いてあげようとすると、なんとなくうやむやと消えていった。


本当の本当にはそんなこと思っていないのだ。


なぜ生きているうちに自分を否定することが、自分を守ることのように錯覚してしまうのだろう。


バスタオルで拭きながら、あー、気持ち良かったとあえて思った。
本当の本当には気持ち良かったじゃないかと教えてあげた、自分に。

誰目線でもなく、自分のしあわせは自分目線で認める強さくらいは持てと言いきかせた。

ある寒い日の風呂だった。


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