Paul Goschの作品とナチズムの精神障害者の安楽死(アウトサイダーアート)
ポール・ゴッシュ(Paul Gosch / Paul Goesch /ポール・ゲーシュ - Paul Gösch,1885-1940/ドイツ)20th初頭のドイツのアーティスト、建築家、石版画家、デザイナーetc..
Paul Gosch は、ドローイング、スケッチ、カラーガッシュ、壁画等の作品がある。
建築の図面は、草案までだが、他の建築家に影響を与えているだろう。 絵画は、さまざまな文化的起源の神話的および宗教的モチーフを描いている。そして、顔の特徴が定義されておらず、カラフルな表面に輪郭を描かれた女性等を描いている。そして、遊び心のある手法で、色彩豊かで、明るく軽快なタッチで描かれている。
精神を病んだ、1918年から、1922/23年までが、Paul Goschの芸術的に重要な段階だった。そこから、アウトサイダーアートのエリアに入れられる事になるが、いずれにしても「作品」だろう。Paul Goschの作品をご覧頂きたい。
by Paul Gosch(public domain)
略歴- Paul Gosch(Paul Goesch / Paul Gösch)
1885年、シュヴェリーン(ドイツ北東部)で生まれた。幼少期と青年期をベルリンで過ごしている。15歳の時に、当時の象徴主義運動に目を向けている。そして、宗教的関心から、絵を描き始めた。また、現代の詩も探求していた。
1903-1910年、彼は、シャルロッテンブルク工科大学(Königliche Technische Hochschule Charlottenburg)で建築を学んだ。
また、1914年に、彼はベルリン工科大学で学んでいる。彼は、精神分析学、神智学(theosophy/神秘的直観や、幻視、瞑想、啓示などで、神とのむすびつけ)、そして人智学(anthropos/人の叡智-知恵)の新しい分野を探求していた。
Paul Goschは、この教えを組み合わせて、建築家や芸術家の仕事に関する倫理的に洗練された社会的理解を深めている。
1915-1917年(第一次世界大戦中)、彼はクルム(東プロイセン、現在はポーランドのヘウムノ)の郵便局に雇われていた。
1920年、彼はベルリンに戻り、建築草案とドローイング(カラー)を行なっている。また、さまざまな前衛芸術家協会のメンバーにもなっている。
1920年代初め、妹が住んでいたゲッティンゲン(Göttingen)に居住して、精神科医(義理の兄弟-院長)の病院の患者として入院した。
この時期から、ポール・ゴッシュは、より精神的な危機となり、入院を繰り返した、そして、建築の仕事を続けることは出来なくなった。
ただ、彼の建築と絵画の両方の作品は、後期ドイツ表現主義に起因した可能性がある事は確かだろう。そして、この時期の絵画の「作品」が、揺すぶられるものがるのだ。
Paul Gosch
1935年、ブランデンブルクのトイピッツ(Teupitz)にある施設に異動した。
そして、
1940年8月22日、Paul Goschは、ナチスによって、ブランデンブルク精神病院で殺害された。
それは、ナチズムの障害者(精神障害者)「安楽死-作戦」と呼ばれいる。それは、大量殺害したという事実があり、実際にこれも、実行された作戦だった。
辛い話だ。ジェノサイドと共に、繰り返してはならないことだ・・
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?