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画家エヴァレット・シンの本質を考える

エヴァレット・シン(Everett Shinn,1876 - 1953/アメリカの画家)
演劇・劇場のシーン、そして、リアルな都市、マンハッタンの喧騒をモチーフとした画家・イラストレーター。
そして、劇場の壁面や個人宅の壁画も多く描いている。
アシュカン・スクール(アシュカン派)のメンバーとして数えられる。
20thの最初の数年間のアメリカの都市生活(NY)の部分を写実主義とロマンチックな精神の両方で効果的に捉えている。

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キースのユニオンスクエア、 ca。1902–06

(cc) Everett Shinn

・略歴とアートワーク-Everett Shinn
1876年、ウッズタウン(Woodstown/ニュージャージー州)の農家に生まれる。
1891-1893年、スプリング・ガーデン・インスティテュート(Spring Garden Institute/フィラデルフィア-高等専門学校)で、機械製図を学んでいる。そこでは、ジョン・スローンと出会っている。
翌年、ペンシルバニア美術アカデミー(Pennsylvania Academy of the Fine Arts)で学ぶ。

その後、フィラデルフィア新聞(The Philadelphia Press)のアートスタッフ(挿絵)として働いている。
ジョン・スローンや、フィラデルフィアで美術教師をしていたロバート・ヘンライらと、美術クラブを作った。
上記のフィラデルフィア・プレス(The Philadelphia Press)、そして、ニューヨーク・ワールド(New York World/1860-1931)、ハーパーズ・ウィークリー(Harper's Weekly/NYの政治誌/1857-1916)など、フィラデルフィアとニューヨークの新聞や雑誌のイラストレーターやレポーターとして働いている。

1898年、フローレンス・スコーヴェル(Florence Scovel Shinn,1871-1940/挿絵画家/New Thought)と結婚(最初の妻)して、1900年にエヴァレット・シン夫妻はヨーロッパを旅し、この時、印象派の絵画から影響を受け、特に劇場の踊り子などを描いたエドガー・ドガ(Edgar Degas 、1834-1917/仏-印象派の画家・彫刻家)の作品に影響を受け、ニューヨークに帰国後、劇場や俳優がシンのモチーフとなった。この頃から、エヴァレット・シンの視点は、イラストから絵画に向けられる。
1908年、ロバート・ヘンライ、ジョン・スローンたちと作った「*The Eight」のグループ展に出展した。このグループ展「The Eight」の参加者からニューヨークのダウンタウン(ロウアー・マンハッタン)や労働者階級の人々の生活を写実的に描く芸術家のグループ、アシュカンスクール(アシュカン派)が形成されることになる。
この時期も、イラストレーターとしての仕事を続けたが、この時点で、2つの大きな壁画プロジェクト進行している。それは、1907年にニューヨーク市のスタイベサント劇場、そして、1911年にニュージャージー州トレントンの市庁舎だ。

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(cc)Everett Shinn

1913年、 アーモリーショー(Armory Show/現代美術の国際展)出展せず、その頃から、固たる反モダニストとなっていったようだ、ピカソとマティスの在り方についての、シンの問題視だったのかも知れない。
1910年代-1920年代は、満身の精神力で巧みに作られたドローイングの市場を開拓している。ただ、それを「安易な視点での商業的な品質を帯びている」と評論されることもあったのだが・・。
ただ、シンの生きていたその激動の時代の変化に対する個人の抵抗だろう。
それは、後の美術史では、エヴァレット・シン衰退の時期と解説されることもあるだが。(美術史は後から語られる
いずれにしても、1920年1回の展覧会(Knoedler's)を除いて、エヴァレット・シンは1910年から1937年の間に絵画を展示していないようだ。(その時代は、良きアメリカの時代と大恐慌にかかる時期だ)
1940年代は、その作品は、益々多様化していく。
1953年、ニューヨークで亡くなる(肺ガン)、76歳だった。

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Everett Shinn

その良き時代は、コネチカット州とニューヨーク州北部の豪華な家を所有し、4人の妻、そして、愛した人と一緒に、莫大な金額を費やしたが、最期の時には財政的に困窮していたと言われる。
ただ、その時代を、全力疾走した画家かも知れない、少なくとも、表象文化(イメージと文化)に与えた影響は大きだろう。
エヴァレット・シンは、国立デザインアカデミーとアメリカ芸術文学アカデミーなどの会員だ。
その作品は、ホイットニー・ミュージアムとシカゴ・ミュージアム等々、実に多くのミュージアムに収蔵・展示されている。

(追記)*エヴァレット・シンとThe Eight:The Eightに於けるエヴァレット・シン(Everett Shinn)は最年少でもあり、その作品も多様性を極めている、美術史は後から語られるように、簡潔に分類はできないだろう。アシュカン・スクールに友好的ではあっても、深く関わっていた訳ではない。
「エヴァレット・シンは、偶然のThe Eightのメンバーだった」-ジョン・スローン
エヴァレット・シンの高い芸術理念の取り組みは、ジョン・スローンの社会主義的な視点での都市の現実主義とは、ベクトルが違ったのかも知れない。しかし、エヴァレット・シンは自身の芸術における政治的見解を主張し、アシュカン・スクール(アシュカン派)への関心を狭めることはなかったと言われる。

繰り返すが、エヴァレット・シンを語る時、忘れてはならない事は、20thの最初の数年間のアメリカの都市生活(NY)を、それを写実主義とロマンチックな精神の両方で効果的に捉えていると言うことだろう。


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